存在の詩(うた)

 

先日の私のブログを読んだ友人から、こんなメッセージが届いた。

 

『存在の詩』の冒頭の一節が浮かんできて、涙が出ました。

 

メッセージと共に、本の冒頭の写真も添付してくれた。

 

 

 

先日のブログとは、禅語『無事是貴人』について書いたもの。

 

無事とは、他に求めない心であり、

是貴人とは、このままで仏であり、悟りであること。

 

『存在の詩(うた)』とは、日本で最初に出版されたOSHO講話の日本語訳であり、隠れたベストセラーでもある。

チベット・タントラ仏教の奥義「マハムドラーの詩」の解説書だ。

 

 

冒頭は、こう始まる。

 

マハムドラーはすべての言葉とシンボルを超越せり

されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために

いまこの詩を与うべし

 

「空」は何ものも頼まず

マハムドラーは何ものにも依らず

また労せず

ただゆったりと自然であることによりて

人はくびきを打ち壊し

解脱を手の内にするなり

 

“MAHAMUDRA IS BEYOND ALL WORDS AND SYMBOLS, BUT FOR YOU, NAROPA, EARNEST AND LOYAL, MUST THIS BE SAID: 

 

THE VOID NEEDS NO RELIANCE, MAHAMUDRA RESTS ON NOUGHT. WITHOUT MAKING AN EFFORT, BUT REMAINING LOOSE AND NATURAL, ONE CAN BREAK THE YOKE – THUS GAINING LIBERATION. ”

 

禅語『無事是貴人』から、『存在の詩』の冒頭を思い出して涙が出るとは、私にとって想定外の出来事だった。

 

「涙が出た」という話を聞いて、私も胸が熱くなり、涙がこみ上げそうになった。

 

「涙は魂の唯一の言語」と言われる。

 

きっと、とても深いところで魂が震えたのだろう。

 

実に素晴らしい。

 

 

霞か、雲か…

私が最初にこの本を手に取ったのは、42年も昔のことだ。

 

何だかわかったような、わからないような…

霞か雲をつかもうとしているような、あやふやな感覚だった。

 

何ものも頼らず、何ものにも依らず…

しかも労せず…

ただゆったり自然にしていたら…」

 

それでは人生が堕落するに決まっているではないか!

 

そもそも、

 

すべての言葉とシンボルを超越せり」だって?

 

だったら、何も言うな!!

 

と、ついには腹が立つ始末だった。

 

 

ヴィンテージもの

 

それから42年の時を経て……

 

マハムドラーの詩が、自然に共感できるようになりつつある。

 

誤解を恐れず言えば、瞑想には

『プレゼンス(気づき)』と『ビーイング(寛ぎ)』

という陰陽のプロセスがある。

 

プレゼンスには、多かれ少なかれ「覚醒の瞬間」があり、

時間の流れの中で、

 

「あの出来事だ」

 

と指し示すことができる。

 

しかし、ビーイング(寛ぎ)に関しては、体験そのものが曖昧になる。

 

体験する「私」が消えていき、

体験の輪郭が失われ、

時間と空間すら溶けていく。

 

結局のところ、42年という歳月そのものが、

マハムドラーを味わい深いものに仕上げてくれたのだ。

 

どうやら、究極のビーイングとは、

ヴィンテージもののワインのようである。

 

 

友人の涙に、乾杯 🍷