空き巣
姉からLineが入った。
「実家に空き巣が入った!ガラス窓が破れている!!」
画像付きの、緊急連絡だ。
幸い、部屋は荒らされておらず、「侵入未遂」だったらしい。
警察へ「被害届」を出すか迷ったが…地域の防犯の意味もあると思い、連絡。
現場検証に立ち会うため、わざわざ実家まで車を走らせた。
警察官
私は、ずっと昔から警察官が苦手。
ワンバクだった子供の頃、近所に怖いオバサンがいた。
少し悪ふざけをするたびに…
「コラ💢 お巡りさんに通報するよ!逮捕だよ!!」
とこっぴどく叱られたものだ。
どうやら、その刷り込みが今も残っているようだ。
さらに、些細な(…と自分では思っている)交通違反で、何度か違反切符を切られた悔しさもあり、パトカーや制服姿を見ると、ついつい身構えてしまう😭
実は20年前にも、実家が空き巣被害に遭った。
その時の現場検証や被害届の手続きなどがかなり面倒で、嫌な記憶が残っている。
「またあれを繰り返すのか…」と気が重かった。
でも、今回担当された警察官は、とても親切な方。
侵入未遂でもあり、手続きもスムーズに進み、実家に一泊だけして妙高高原にすぐ戻る事が出来た。
今週末は、スノーボードのコブ講習会がある。
今まで、警察官を毛嫌いしていて、少し反省ムード🙇♀️
ドライブの途中で…
帰りのドライブ中、「YouTube断ち」をしていることもあり、久しぶりにクラシック音楽を流しながらドライブ。
せっかくだから普段あまり聴かないものをと思い、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ、第31番、32番を続けて聴きながら運転した。
ベートーヴェンのピアノソナタは、『ピアノ音楽の新約聖書』と呼ばれることもあるそうだが…
実は、「悲愴」「月光」「熱情」以外は、ほとんど最後まで聴いた事がなかった。
特に、後期ピアノソナタ(28〜32)は、いつも途中で飽きてしまい…
「なるほど、噂通りに玄人好みの難解な音楽だな〜、自分には合わない」
と、勝手に切り捨てていた。
ところが今回は、運転中なのに妙に引き込まれた。
部屋に戻り、改めて静かな環境でステレオで聴き直してみると…
難解どころか、驚くほど繊細でとても美しく、かつどこまでも奥深い響きがあり、とても新鮮な体験を味わった。
存在の流れ
ベートーヴェンといえば、交響曲第5番に象徴されるような、
「とてもパワフルで緻密に計算され尽くした作品で、聴衆に強い感動を与える作曲家」
「人生の困難(難聴)を克服した、超人的な意志を持つ運命の開拓者」
というイメージが私の中にある。
ところが、後期ピアノソナタは、印象がまるで違う。
ベートーヴェンが意志の力で「作り込む」のではなく、音の流れの美しさを発見していく感覚がある。
次の音が、前の音に導かれるように自然に現れてくる。
それは、山に降った雨が、自然の地形に沿って流れ、川になり、やがて海へ至るように。
それは、OSHOの隠れた名著『存在の詩』に収められた、『ティロパの詩』そのものだ。
その詩の最後は、こう締め括られている。
AT FIRST A YOGI FEELS HIS MIND IS TUMBLING LIKE A WATERFALL; IN MID-COURSE, LIKE THE GANGES, IT FLOWS ON SLOW AND GENTLE; IN THE END IT IS A GREAT VAST OCEAN WHERE THE LIGHTS OF SON AND MOTHER MERGE IN ONE.
はじめヨーギは
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガー*のごとそはゆるやかにやさしく流れついに、そは大いなる海なり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ~
まさに、この存在の流れそのものをピアノで響かせたもの。
それが、ベートーヴェンのピアノソナタではあるまいか!?
繊細な変化
話を「侵入未遂」事件へ戻そう。
スピリチュアル界隈では、
「起こることには全て意味がある」
とよく言われる。
事件直後は、
「窓ガラスが破られたことで、迷惑以外の意味なんかあるものか!」
と思っていた。
しかし、今は少し違う。
今回の出来事を通して、自分の内側の繊細な変化に気づくことができた。
最近は、『YouTube中毒』気味で、意識が外側に引っ張られ、静かに耳を澄ませて音楽を聴くスペースから遠ざかっていた。
ところが、「YouTube断ち」と、「侵入未遂事件」のお陰で、久しぶりに長時間クラシック音楽に浸ることができた。
そして、自分の中に、「後期ピアノソナタに感激できる感性」が残っていたことがとても嬉しかった。
思えば、子供の頃の私はクラシック音楽が大好きだった。
幼少期から高校生頃までは、今よりずっと繊細な感性を持て余しながら生きていた気がする。
ところが、大学受験や司法試験を目指すうちに、その感性は次第に鈍くなっていった。
しかし、完全に消えたのではなかった。
ただ、外側で生きるのに忙しく、その上に「透明な見えざるフタ」を被せてしまっただけなのかもしれない。
不思議なことに、実家のガラス窓が破られたのと時を同じくして、その見えざるフタにも小さな亀裂が入ったような気がする。
全て大いなる存在の流れ
ところで、ふと思ったことがある。
あの「存在の流れ」、実は、スノーボードのコブにもよく似ている。
意志の力でコブをねじ伏せるのではなく、コブの流れに沿って身を委ねる。
すると、コブが自然に次のラインへ導いてくれる。
地形そのものが滑らせてくれるのだ。
瞑想も、音楽も、スノーボードも、どこかで同じ流れに繋がっている不思議さがある。
明日からの、講習会が楽しみだ。
存在の流れに身を委ねながら、コブを味わってみたい。
