M子さんから久しぶりに電話があり、懐かしく電話を受けたところ、

 

「Aが突然にこの世を去った」という知らせで、非常に驚いた。

 

Aは私と同じ年齢と言う事もあり、とても感慨深いものがある。

 

一期一会という言葉がある。

 

どんなに元気そうに見えても、先の事は誰もわからない。

 

何度も会う機会がある人に対しても、常に「これが最後かもしれない」という気持ちで接することの大切さをひしひしと感じる。

 

 

Aと出逢ったのは、私が目黒区にあったOSHOのセンターに通い始めた直後だから、もう43年も前のことだ。

 

当時、私は某大手企業の超真面目な堅物サラリーマンだった。

 

神や仏は一切信じなかったけれど、OSHOの本を読んで感銘を受け、会社帰りに恐る恐るこのセンターを訪ねてみた。

 

ところが、その場所は予想を遥かに上廻る超過激なヒッピー連中の溜まり場のように見えた。

 

 

ほぼ全員が真っ赤な服装に奇妙な首飾り(マラ)を身に付け、ハイテンションで踊りまくる雰囲気の中、

 

背広にネクタイ姿の私とは、水と油以上の違和感があった。

 

そんな中で、最初に心を開く事が出来たのが、Aとその彼女のM子さんだった。

 

 

とても穏やかで、一級建築士だった彼は仕事ぶりもサニヤシンにもかかわらず(?)超真面目。

 

社会からドロップアウトしないと悟れないと思っていた私にとって、A&Mの存在は私の心の支えとなった。

 

私が、OSHOから名前を貰った時には、一緒にお祝いしてもらった。

 

会社を辞めて、オレゴンのラジニーシプーラムへ行った時は、一緒に広大なコミューンで探究を共にした。

 

私がOSHOのセンターでグループセラピー(精神療法の一種)の仕事をするようになると、あれやこれやで様々に応援してくれた。

 

 

私がOSHOの看板を外して、リーラスペース独自の活動をするようになってからは、自然に会う機会も少なくなった。

 

最期に会ったのは7年くらい前だろうか?

 

相変わらず、とても元気そうだった。

 

私が『ウィンドフォイル』(水中翼の付いたウィンドサーフィンで、ボードが海面から浮き上がり滑空する!)を始めたと聞き、わざわざ沼津の海に立ち寄り、記念写真を撮ってくれた。

 

 

まさかあの時が、最期になるとは、夢にも思わなかった。

 

『一期一会』という言葉をもう一度思い起こす機会を与えてくれて、有難う。

 

彼方の世界から、穏やかに私の存在を見守ってくれている感じがする。

 

合掌