毎年冬季は、妙高高原(新潟県)のクマール(草間氏)の別荘に長期滞在し、瞑想修行(スノーボード修行?)に励んでいる。

 

しかし、今年は左足首の骨折で修行を中断し、部屋を片付けずにそのまま放置して伊豆に戻ってしまった。

 

まだ足は痛むものの、ようやく歩けるようになったので、別荘のある妙高高原に戻り後片付けをすることになった。

 

ついでに、別荘から車で30分のところにあるクマールの家を表敬訪問。

 

 

部屋に入るなり、彼は申し訳けなさそうに「今は断捨離中だから…」と言ったが(5年前も同じ事を言っていたな〜?

 

床の上には、所狭しと本が積んであり、まだ開封していない本もたくさんあった。

まさに『積読』状態だ。

 

 

「この本も未読なんだね?」と言いながら、足元にある一冊を拾い上げて、何気なくベージを開くと、

 

『大災難や大凶変に遭遇してもびくともしないというのでは、まだまだ未熟である、と葉隠は言う。大災難や大凶変があればあるほど、喜びに満ち溢れ勇んで進むべきである。』

 

と言う一文がパッと目に飛び込んで来た。

 

この躍り上がらんばかりに非常に喜び溢れるさまを、歓喜雀躍(カンキジャクヤク)というそうだ。

 

 

試しにその気分に浸ってみたら・・・

 

突然に、骨折以来鬱屈していた気分が、嘘のように晴れ渡り、

 

「ああ、良かった!骨が折れたことで、また精神的に次のステップへ上がれる♫」

 

と言う感覚が、内面から喜びと共に溢れ出して来たのである。

 

そして、エネルギーのレベルで「既に治った!」と言う確たる感触を得る事ができた。

 

 

さらに、今朝のダイナミック瞑想では、驚くほど徹底して呼吸した結果エネルギーの塊になった。

 

すると足の痛みがほぼ消えてしまい、

 

「久しぶりにランニングしようかな〜」

 

と言う高揚と躍動感が溢れ出て、まだ骨の修復中なので抑えるのに苦労している。

 

 

私に新しい洞察を与えてくれたこの本は、第二次世界大戦の軍国主義の最中(昭和17年)に出版された「葉隠』の解説本。

 

だから「天皇陛下の為に死ぬのが最高!』など、今となっては眉を顰める記述も多々あり、GHQの発禁本となってしまった。

 

しかし、

『徹底するところに、必ず道はある』と説くなど、名言も多い。

 

 

さらにオリジナルの『葉隠』の文章は、非常に凛とした品格があり、禅そのものの体現とも言える。

 

せっかくなので、葉隠の著者 佐賀鍋島藩の山本常朝の写真と、原文を掲載しておこう。

 

 

 

 大難大変(だいなんたいへん)に逢うても毫すこしも動転せぬといふは、まだしきことなり。

 

大変大難に逢うては歓喜雀躍(かんきじゃくやく)して勇み進むべきなり。

 

一難関を超えたる所なり。 

 

 *積読のおかげで、『葉隠』の精神が魂に響くきっかけを作ってくれた、クマールに大感謝♡