今朝は朝からず〜っと、雨。
気温も下がったので湿度も気にならず、とても気持ちが良い。
結構な量の雨なので、今日は小鳥達も餌場に来ない。
ただ雨音だけがして、単調だけれども・・・
それがとても深い沈黙へと導いてくれる。
もちろん晴れた日も気持ち良いが、心がウキウキとして自然にエネルギーが外側に向かう。
雨の日はマインドも自然にお喋りを止めて、ひとりでに内側へ意識が向かう。
内側の静けさに身を委ねると、ただ在ることの有り難さがこみあげてくる。
「今日は何もしない日」としたかったけれど、先延ばしにしていた「衣替え」を敢行!
冬物を押入れから出したりして、1日が過ぎた。
季節の移り変わりの早さに、今更ながら驚く。
久しぶりに蓮如の『白骨の御文(オフミ)』を読んだが、こんな雨の日に読むとなおさら心に響く。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ
