8/10は、長良川花火大会でした🎆
コロナ前までは、7月末の土曜日に中日花火大会
8月の第一週の土曜日に
日日花火大会が、新聞社主催で
開催されて、無料だったし、
実家の前の大通りは、花火終了後
夜中まで車でいっぱい
普段片側一車線が、2車線くらいに膨れ上がり
道一杯、パツンパツン状態
実家所有のアパートからも
55年前は、高い建物もないし
屋上から花火丸見え
親戚や知り合いの人たちも一緒に
屋上で飲んだり食べたり大宴会
花火翌日は、亡くなったおじいちゃんは、
大喜びで、朝夜明け前から
堤防へ行って、落ちてる良さげなものを
拾いに行ってました
おじいちゃんは、第二次世界大戦で、
30過ぎて幼い子供も二人いるのに
赤紙が来て、出征80年前くらいのお話ですが、
赤紙です電話も無く、連絡手段は
お手紙か、電報これでもまだ、
江戸時代の飛脚に比べたら
近代的だったかも知れませんが、
地球の裏にいる人と、顔を見ながらおしゃべりできる
現代とは雲泥の差おばあちゃんは
その時、実家へ用事があって行っていたそうで
そこへご近所の人が、おじいちゃんに赤紙が
届いたと走って知らせてくれて
おばあちゃんは、連れてきた赤ん坊の母の妹を
抱えて裸足で駆け出して
自宅へ帰った頃は、着物の裾が
破けてたそうです
子供も二人いるし年齢的にもおじいちゃんが
戦争に取られることは無いだろうと
考えてたらしく、相当のショックだったそうです
でも、Leeちゃんが知る、おばあちゃんは、
いつもおじいちゃんのことを
大嫌い、岐阜弁でキッツくらいと言って
いつも嫌ってましたけど。。。
大人になって親戚の人から、
そのお話を聞いたときは
夫婦の関係って孫であってもわからない物だ。。。
と、思ったもです
そんなこんなでおじいちゃんが戦争へ行って
終戦後3年経ってようやく
ボルネオから帰ってきたそうです
近所のお宮で遊んでた母は、
知らない汚いおじさんから〇〇ちゃんかと
聞かれて、びっくりして逃げたそうです
夕方になって家に帰ったら
その声をかけてきた知らないおじさんが
家にいたそうですそれが自分の父
二歳くらいで別れて、8年後の
再会だったそうです
違った、戦時中、一度、広島の呉に、
おじいちゃんの乗ったお船が寄港するとかで、
4歳くらいの母と2歳くらいの妹を連れて、
亡くなったおばぁちゃんが、
岐阜から汽車に乗って、
会いに行ったそうです
もうこの機会を逃したら、おじいちゃんに
会えないと思い、幼子を二人連れて
おばぁちゃんは、一人で会いに行ったそうです
あの時代に
優しかったけど、真の強い
女性でした。そのことを知ったのは、Leeちゃんが、
50歳くらいの頃、弟にいじめられた母が
助けを求めてきてから、母娘の会話が
始まったからですそれまでは母から
言われることは、苦しい嫌なことばかりで
少しでも反抗すると、ひどいことを言われるので
こちらから話すことはなく、母の言うことには
異議があろうと従順に従ってるだけだったから。。。
でも、どーやって、おばぁちゃん一人で
広島まで行って、どこで、会えるかとかの情報は
どーやって手に入ったのとか、聞いたけど、
その頃すでにオバァちゃんは、なくなってたし
当時、5歳の母は、岐阜駅で列車が人でいっぱいで
乗れなくて、おばぁちゃんが、
列車に入って、窓から子供二人を
他の乗客の人に助けてもらって受け取って
ギリギリ電車に乗れたことしか
覚えてなかった
また、おばぁちゃんは、小学校卒業直後、家の
借金をはらうため、東京へ二年間
奉公にだされてたそうで、
その事もおばぁちゃんは、
一言もLeeちゃんに言わなくて、
東京に住むおばぁちゃんの一番下の妹さんの
ところへ一人遊びに行った夜
教えてもらったなので、若い私より
東京の事はよく知ってたのは、
奉公中、そこで働く、
お姉さん達に可愛がってもらって
東京の色々な所へ連れて行ってもらった
からだそうです
私の記憶の中のおばぁちゃんは、Leeちゃんを
可愛がってLeeちゃんを信頼して頼ってくれる
ところばかりしか知らなかったけど、Leeちゃんには
想像もできないくらいの
人生を送ってきたのだなぁと
思いました母も戦争中は、目の前で
焼夷弾に当たって人が死ぬのを
何度も見たし、食べ物がなくて
ひもじい思いをしたけど、
まだ、百姓だったから少しは都会の人より
食べ物があったみたいで、
イモのツルとか捨てようと思って
外に置いといたら、それを分けてくださいと
立派な着物を着た、女性にお願いされて
分けてあげた事もあったそうです
そう言う事もあって、母は、実に強く、
訳もなく戦争を生き延びて自分は
運があるお金に困らない運勢を盛った女性であると、
いつも言って父が亡くなって財産を弟と
山分けしてから、働きもせず
人の悪口を言って、贅沢し放題
そして自分に甘く、Leeちゃんや人には厳しく
決してLeeちゃんを甘えさせてはくれなかった
人でした
花火大会の事を考えると
思い出すのは、幼い頃の高度経済成長の
めちゃくちゃだけど、活気があった
昭和30年、40年頃の事
その頃の事も知る人はこれからもっと
少なくなると思うので
今日は、備忘録的に書いてみました
今は、ネットで調べて自分で予約して
Yahoo カーナビ君が、還暦過ぎた
ばぁちゃんのLeeちゃんを
全く知らない長野の田舎や滋賀県まで
連れて行ってくれる
良い時代となりました