ペースが速い。 2013年、スクリーンとブラウン管を縦横無尽に駆け回ったイ·ジョンソクが、新年のカレンダーがかかるやいなや、天然キャラな気質を持つ男になって帰ってきた。 「血の沸く青春」のジョンギルはイ·ジョンソクという被写体が持っているイメージを裏切るキャラクターだ。 映画でイ·ジョンソクは気兼ねなく壊れ、喜んで身を投げ出す。 --この映画でイ·ジョンソクが演技派俳優の仲間入りをしたとは言えないだろう。 しかし、ここには26歳の俳優が演技に対して抱いている真剣な態度と欲がある。 このようなヒントは、イ·ジョンソクの人生の曲線からも捉えられる。

★スターの人生曲線

16歳 モデルデビュー右上矢印

19歳 歌手準備右下矢印

演技者の会社に行った右上矢印

19-21歳 ただ遊んでた右下矢印

21歳 ドラマ 検事プリンセスデビュー右上矢印

アルバイト右下矢印

21-22歳 ドラマ シークレットガーデン右上矢印

R2B、コリア右矢印

シットコム ハイキック右上矢印

人気歌謡(僕、魂あります)右下矢印

学校2013右上矢印

 君の声が聞こえる(女神イ・ボヨン最高)右上矢印

観相師右下矢印

ノーブレシング右矢印

血の沸く青春右上矢印(パクボヨンも)

#険しいデビュー期:俳優になれるようにしてください、はい?

16歳 モデルデビュー右上矢印

19歳 歌手準備右下矢印

演技者の会社に行った右上矢印

 

俳優が夢だったイ・ジョンソクは、スターたちの定番のレパートリーである路上スカウトを通じてモデル界入りした。 その時、彼は16歳。 イ・ジョンソクがランウェイの舞台に立った韓国の最年少男子モデルという事実は有名だ。 中性的な目鼻立ちに弱々しい体のライン、ゆらゆらとウォーキングした儚げな雰囲気の少年は、ランウェイを訪れた人々を魅了させるのに十分だった。 イ・ジョンソクはデビューと同時に数多くのデザイナーのミューズとして愛され、舞台を駆け回った。 問題はイ・ジョンソクの心に抱いていた夢がランウェイでなくブラウン管の中にあったという点だ。 モデルとしては非常に運が良かったが、いざ本人が望む俳優の道は簡単に開かれなかった。素晴らしい身体条件は、むしろ彼をランウェイにとらえていた。 「演技をすると言われて入ったが、いつもランウェイにだけ立ちました」演技に対する渇望で、演技したくて入った2番目の企画会社はイ·ジョンソクをすでに出来上がっているアイドルグループに入れた。

 

 

アイドルの準備、これも(人生の曲線に)」描かないといけないんですか? 書きたくないのに。(笑)」そこで過ごした3カ月間を、イ·ジョンソクは高校3年生の受験生の生活よりも厳しく、干からびた時間と記憶していた。 適性に合わない歌のレッスンとダンスの練習はもちろん、英語と日本語教育、甚だしくはインタビューの練習まで。 機械的に組まれた1日の日課を終え、がらんとした家に戻ると、空しさが押し寄せてきた。 しかし、イ·ジョンソクを本当に苦しめたのは人だった。 心を開いてくれる友達がいればよかったが、イ·ジョンソクはずっと一人だった。 「メンバーたちとよく喧嘩しました。 2年近く歌手を準備していた子たちだったのに、いきなり思いもよらないコネ入社が入ってきたから、どれほど嫌だったでしょう。目の上のたんこぶだったでしょう。 歌手は自分も望んでいなかったことなのに、メンバーとの関係まで食い違うからもっと大変だったんですよ」ためらう理由がなかった。 彼には長い間抱いていた他の夢があり、その夢を諦められない意地があった。 二番目の会社を離れ、役者たちのいる今のマネジメントに移った。 その過程で訴訟も経験した。 19才のイ·ジョンソクの世の中は冬の海のように冷たかった。

 

#人生最悪のスランプ:デビュー後の挫折

19-21歳 ただ遊んでた右下矢印

21歳 ドラマ 検事プリンセスデビュー右上矢印

アルバイト右下矢印

 

回り回って入った役者の会社 事がうまく行くかと思っただろう。 「大きな夢はありました。 これで演技をするんだな」しかし、憎らしいほど傲慢な運命は彼との激しい綱引きを楽しんだ。 「会社はわたしを放置しました。(笑) 自分が何もできなくて狂いそうなくらいです」 そうやって3年の時間をまた耐えた。 オーディションで何度も落ちた。 そして2010年、「検事プリンセス」でついに夢に描いた演技者の道を歩み出した。 しかし、変わることは?なかった。 デビューしたにもかかわらず足踏み状態の現実が、イ・ジョンソクの心を重くした。 「さらに大きな喪失感に陥りました。 私が何かしなければ狂ってしまうかもしれないと思いアルバイトをしました。」人生曲線で見るようにこの時期、彼の絶望の底にいる。

 

 

21-22歳 ドラマ シークレットガーデン右上矢印

 

しかし、絶望の果てから希望が始まるものだ。 長いトンネルの先でイ·ジョンソクがドラマ『シークレット·ガーデン』に出くわす。 その時の彼の年、21歳。 「サンだ!」「お?シークレット·ガーデンだ」という名前は知らないが,彼の顔を覚えている人が次々と現れ始めた. 決定的にこの時、イ・ジョンソクは自分に訪れた機会を黙ってみているだけではなかった。 長い間待った末、彼が得た教訓は「幸運は求める者に訪れるという点」だった。 いつかインタビューでイ·ジョンソクは「シットコムハイキック! 「短い脚の逆襲」を終えた頃からは直接動き出しました。 監督を訪ねてお目にかかって話も聞いて…。 いわゆる営業をしていたのです」と語った。 つまり、イ・ジョンソクが積み上げた後の成果は所属事務所ではなく、彼の力で得た結果ということだ。 その選択には「学校2013」と「君の声が聞こえる」(以下「君声」)もある。

 

#華やかな飛翔:イ·ジョンソクの声が聞こえる。

学校2013右上矢印右上矢印

 君の声が聞こえる(女神イ・ボヨン最高)右上矢印

 観相師右下矢印

 ノーブレシング右矢印

血の沸く青春右上矢印(パクボヨンも)

 

「学校2013」がイ·ジョンソクの跳躍だったとすれば、「君声」はイ·ジョンソクの飛翔だった。 イ·ジョンソクは登板するラウンドごとに見事な一発を飛ばし、ドラマの高視聴率が続いた。 インタビューのオファーが殺到した。 広告契約が相次いだ。 何より、手に汗握るような熱烈な愛を受けた。 タフで傷を背負った「学校2013」の早熟した反抗児コ·ナムスンに心を奪われるのは少女たちの宿命であり、深い瞳を持った「君声」の年下の男パク·スハに母性本能を感じるのは姉たちの運命だった。 イ·ジョンソクの長くない演技人生で「君声」はどんなチャプターで記録されているのだろうか。 「いくつかのシナリオが入ってきたのも、超人気男と呼ばれるようになったのもすべて"君声"のおかげだ。 自分が経験したことのない感情を表現するのに精一杯でしたが、それらがいい勉強になりました」。

 

しかし、厳しいこともあった。 「油断するな」という誰かの啓示だったのだろうか。 幸せに思う存分酔う前に映画「観相師」と「ノ-ブレッシング」がやって来る。 「観相師」は「君声」が入る前に、「ノ-ブレッシング」は「君声」と同時に撮影された作品で、封切りはドラマが終わった後だった。 『観相師』を撮影した時のイ·ジョンソクと封切りした時のイ·ジョンソクの状況は変わっていた。 イ・ジョンソクの映画が注目されるのは当然だった。 メディアは当時、『太陽を抱く月』から『泥棒たち』へと続いたキム·スヒョンの活動をイ・ジョンソクと比べたりした。 しかし、姿を現した映画の中でのイ·ジョンソクは残念だった。 「観相師」のイ·ジョンソクは、体に合わない服を着ているように違和感があった。 「ノ-ブレッシング」では長所と評価される甘いルックスをあまりにも露骨に出したため、むしろ魅力が半減する逆効果を生んだ。 イ·ジョンソクには申し訳ない言葉だが、「観相師」と「ノ-ブレッシング」はスターと俳優の違いを如実にあらわす結果だった。

 

 

人生曲線を描くイ·ジョンソクに、このような考えを伝えるかどうか悩むところだが、意外にも当時の状況を引き出して先に口に出したのはイ・ジョンソクだった。 「正直『観相師』の撮影当時はそれなりに善戦したと思いました。 ところが完成した映画を見ながら… 汗をたくさんかきました。 私が登場する度に、ドラマの流れが途切れる気がしました。 恥ずかしかった。自責もしたし」 イ・ジョンソクは自分の不十分な発声と、ぎこちないセリフまわしと、未熟な感情表現を誰よりもよく知っており、それを表すことに躊躇しなかった。 自分自身を褒めなさすぎるって? それもあり得る。 しかし、一方で考えてみると、これは強い自信の表れかもしれない。 自分の短所を気兼ねなく露出するということは、それを直してみせるという、あるいは乗り越えられるという強い意志の表れだからだ。

 

 

案の定結果的に「観相師」は彼の演技経歴の大きな資産になった。 イ·ジョンソクの演技は「観相師」を基点に飛躍的に成長した印象がある。 その成果を初めて表したのが「君声」。 追い打ちをかけたのは、映画『血の沸く青春』だ。 「血の沸く青春」で、ダサさとトラウマのあるジュンギルというキャラクターを表現する姿を見ると、イ·ジョンソクの真価がこれだったという気がする。 「観相師」の経験がもたらした教訓がなかったら、キラ星のような先輩たちの間で見聞きした経験値がなかったら、イ·ジョンソクは「血の沸く青春」を今のように自信に満ちた表現をできなかったかもしれない。 27才の賢い俳優は、自分がどのようなアイテムを持ち、それをどのように駆使しなければならないのかはよく分かっている。 俳優としての彼の将来が気になる理由だ。

 

#「ソウルレス」?「私も魂があります」

 

人気歌謡(僕、魂あります)右下矢印右下矢印

 

イ·ジョンソクの人生の曲線を見ると興味深い地点を一つ見つけることができる。「ソウルレス」というニックネームとともに黒歴史を残したと自評するSBS「人気歌謡」MC時代だ。 「その時、ものすごく怒られました。 魂を入れずに進行していると。(笑)私は一次元的に表現するのが嫌で淡々としたんだけど、それが誠意がないように感じられた」と彼の性格もあった。 「わたしは人前に立つのがとても苦手です。 舞台挨拶をする時も どれだけ緊張するか分かりません。 だからその時間は死にそうでした」そんな人が演技はどうだろうか。 「演技をするときは自分ではないでしょう。 台本があって、状況があって、感情があるから。 その時はイ·ジョンソクじゃない

 

よく知られているように、彼の「親友」キム·ウビンも歌謡番組「M COUNTDOWN」の進行を務めている状況。 機会を逃さずMCキム·ウビンについて聞いた。 「ははは。ウビンですか? そうじゃなくても、MCを引き受ける前に 僕に聞いてきたんです。 どうだった?と聞いたんです。 ただ死んだつもりでやれ」と言っても、うまく進行しているキム·ウビンが誇らしいのか、いつにも増して明るい笑みを浮かべた。

 

 

#テレビキッズの生涯

幼い頃、イ・ジョンソクは極めて気の小さい少年だった。 そんな息子が心配だった父親によって、イ・ジョンソクはピアノ、テコンドー、美術、囲碁まで習わせた。 ピアノはそれでも良かったが、テコンドーは幼いイ·ジョンソクの好みではなかった。 ちょうど中学2年生の時、膝の靭帯が切れる怪我を負った。 何ヶ月かのリハビリをした。 その時イ·ジョンソクは、同年代の男の子が夢中になったコンピュータゲームの代わりにテレビをつけて暮らした。 俳優に対する夢を育てたのもその時だった。 特に映画『オオカミの誘惑』で出会ったカン·ドンウォンは幼いイ·ジョンソクの心を揺さぶった。 カン·ドンウォンのような素敵な人になりたいという思いが「幼いイ・ジョンソク」の中でうごめいていた 「テレビに私が出たらいいな~本当にいいな~」

 

それから10余年。 テレビを見ながら未来を夢見た少年は、テレビに出て誰かの夢になりつつある。 人生曲線を見れば分かるが、イ・ジョンソクは誰かの指示に従って動くタイプではない。 素敵なイメージにやきもきしたり、それが壊れるのではないかと戦々恐々する俳優でもない。 所属事務所のプラン通り、あるいは知人の思い通りに動いていたなら、彼の演技履歴書に「血の沸く青春」はなかったかもしれない。 楽な道を行かず、何故敢えて火の中に飛び込むのかという周りの視線を気にせず、当面の人気に振り回されず、仕組まれたイメージに縛られず、自分の心が導くところへイ・ジョンソクは一歩一歩、歩いていくだけだ。 これから描いていく人生の曲線を想像し、かすかに微笑むイ·ジョンソクの顔に『学校2013』で彼が詠んだ詩人ナ·テジュの詩「草花」が浮かび上がった。

よく見てこそきれいだ

長くずっと見てこそ愛しい

君もそうだ

文.チョン·シウ記者(10asia)
編集、カン·ソウン記者、チェ·ジンシル記者(10asia)
写真.ク·ヘジョン記者(10asia)
写真提供、ウェルメイドイエンティ、イ·ジョンソクミートゥデイ

 

 

 

 

インタビュー読んでいると

「訴訟を経験した」って出てくるけど

これは、音楽事務所「SMエンターテインメント」

との訴訟かな?

 

音楽事務所は、けっこう縛りがきびしそうですね

いつもゴタゴタしているのは

K-POPグループだし、

 

俳優の事務所は比較的みんな個人事務所作ったり

自由に移籍したりしているみたいだけど

 

考えてみれば、

K-POPは、歌やらダンスやら

デビューする前は、

お金かけてるんだよね

 

俳優は、特にイ・ジョンソクssiの場合

自分で営業して取ってきてるし

そういう人は、まあ移籍しても大丈夫だよね・・・ニヤリ