「再来」からの続き

2011年5月の連休に起きた,カレーやさんからの復活した恋人生活。

Dは,ほぼバイトだけという一日数時間しか働かない『ぷー』みたいな状態だったので,暇。
そりゃ私のところにいたかったのでしょう。
彼はまだ違う都市にシェアで住み始めたばかりで,私の小さな町には友人はほとんどいないし,
そう,彼Dは寂しかったのだ。
それがかわいそうで,ついつい許してしまった。

でも,それ以上に驚いたことは,Dの態度が変わったことだ。
普通の人に比べたら,大したことはないのだが、やさしくなった。
愛情のかけらもないって感じだったのが、
あまり具体的なことは覚えていないが、私への愛情表現をするようになった。
(メモによると、そう書いてある)
すこしだけ,謝ることもあった。
そして,一緒にいるのが前より苦痛ではなかった。

私は5月中旬には引っ越しを決めた。
アパートは自分で探しはじめていた。
ある日,Dが電話してきて,来ると言う。

私は言った。「今日はアパートを探しに不動産屋に行くから。
わたし,ちょっと体調よくないから,朝ゆっくりしてから
自分のペースで行動したいから,今日は私一人で行ってくるよ」

「ぼくもつきあってあげるよ」
「いや,だから,自分のペースで・・」
「僕が来るのがいやなのか」
「駅に迎えにいったりするとばたばたするし,時間を決められたくないの。
なんだか疲れてるから」

「駅に迎えにいくことくらい,大したことはない。とにかく行く」
ほんとに私の意志は通じない。

結局,その日いろいろ不動産屋を廻り,なぜかDがまるで父親のように
「うん,ここがいい。ここにしろ」
私は「あんただれ?」と言った。
あの時は笑っていたが、ほんとに摩訶不思議Dである。

なぜかそれは,まるで二人の新居を決めるかのようにDは関わり,
その後すぐ引っ越ししたが、その引っ越しはほとんどDとふたりでやった。

その時の引っ越し費用と,ほとんどの退去費用,は私が出した。
私たちのふたりの家は一年以内に解約をしたため,違約金が発生した。
その違約金11万を私は一人で負担した。
Dは,自分には責任がないと言い切った。
私が,Dに出て行ってくれと頼んだから,だと主張した。
腑に落ちなかったが,それでも仕方なかった。

引っ越しは,立ち会いなどの他人が介入しない時は,
またD特有の,「彼の気分のいいときしかやらない症候群」に左右された。

引っ越し先は近かったし,その日のうちに荷物を動かせばよかったが、
私は夕方から仕事が有るから昼間に運ぼう,と言ってもきかず,
ずっと昼間テレビゲームをやっていたD。
夕方になって,ようやく重い腰をあげると,もう私は仕事に行かなくてはならなかった。
Dは「俺一人で新アパートに運んでおくよ」と快諾。

助かるな~と思い,仕事のあと新アパートに行ってみると,
すべてのキッチンやリビングの荷物が出され、
レイアウトセッティングされている。

しまった!!!!と思った。
Dはレイアウトするのが,大好きなのだ。
しかし,彼のレイアウトはものすごく下手だったり,センス悪かったりするのに,勝手に決めて,譲らないのだ。
調味料や家具が並べてあったり,
テーブルやテレビの置き場所が決まっていた。
狭い部屋なのに,テーブルもテレビも壁についておらず、
壁からかなりはなして,広い場所を占領している。
電子レンジの台は,角にくっつけず,ななめにおいて邪魔である。
彼は,それらを少しでも動かすと後ろに立って怒った。

私の部屋なのに,ものを動かすのがこわかった。
私の部屋なのに・・・まだ自由がなかった。

Dが帰るたびに,すこしずつレイアウトを変えて,住みやすくしていった。
すこしづつだったし,「私のアパート」という認識もあって,
なんとか怒られずに済んだ。
いちいちびくびくして,
なんともまどろっこしい。

なんとか,こうして7月くらいまで比較的平穏な日々を続けることになったのだ。
やはり,けんかもあった。
変な嫉妬や,噛み合ない会話もあった。プチモラだった。

でも彼への扱いに慣れた私は,
できるだけ波風を立てないように過ごす術を身につけていた。
そして,出来るだけこちらから愛情や,面倒なこと,コメント,
楽しい会話,相談を求めないようにしていた。

いつしか私は前よりもずっと彼を必要としないように心がけた。
別れることを前提としてつきあっていた。
Dは,「なぜ僕とうまくやっていこうと努力しないんだ?!!」
と怒られたことは覚えている。

適当ながらも,私はうつろな目で,
先が見えないこの付き合いを続けていた。

楽しい時もあったから,つきあっていたのだし,
友人にもあまりDの話しはしなかったし,土日はいつもDと一緒だったから,
友人との付き合いも疎遠になっていた。
友人に隠れてつきあっていたわけではないが,
なんとなくばつが悪い気持ちだった。

今思えば、
彼が比較的モラが治まっていたもう一つの理由は,仕事をしていなかったからだと思う。
その頃はストレスが少ないから,モラが少なかった。
普通の人は仕事している。仕事してるからストレス?
そんな理由でモラをされたら,ばからしいわね,今考えたら。

そうして,もう仕事をしなければならなくなる8月を迎えるのだ。
この頃までのモラはほぼ忘れてしまっている。
小さなモラがいくつかあったはずだ。
思い出してみようとおもう。

買い物へ行って,少しでも彼と違うペースでとろとろしてると,
どやされたりとか,どれだけ買い物がいやかと語られたり,はあった。

銀行に電話して残高を聞いてくれと言われ、はあ???というと,
それはどうもアメリカでは普通のことらしく,
日本では普通はしないよ,というと,
いちいち反論するな!!!とか,僕の言うことに従えんのかとか
ものすごく怒られた。

アメリカへ帰国した友達のReiとSkypeしているときに,
自分の自宅にいるDから電話がかかった。
「いまReiちゃんとSkype中だから,あとからかけるね」というと
「うそをつくな,君はSkypeなんてしてないだろう」
「は?」
Skypeで話をしてるから「してる」と言っているだけの私。
「君のSkypeのパスワードをおしえろ。Skypeに入って調べてみる。」
はああああ??
分けわからん???!!!と思ったが、あまりのしつこさに,教えた。
結局,納得したようだったが,なぜ信用しないのかわからなかった。


「旧友のアフリカ人たちと飲みにいくから~」と私は土曜の夜,出かけた。
Dも知っている友人だ。
Dも自分の自宅の住人らとパーティーだった。
私がDに「11時頃電話するわ~」と言ったが、
その頃充電が切れて,電話がかけられなかった。

結局2時頃,「遅くなってごめ~ん」 と帰宅後電話をかけた。
今となれば,そう,あきらかにモラに攻撃されるとわかる行動である。

2時に電話をかけたとき,Dはまだパーティー中で後ろが騒がしかった。
よかった~と思った。
「俺はずっと心配していたんだ。何をやっていた!
なぜ電話しなかった!!!ずっと待っていたぞ」

「いや,充電が切れちゃって、まあアジャと一緒だって知ってるから
心配ないから,いいかって思ってさ・・」

「友人の電話を借りて,電話できただろう!!!電話番号知ってるだろう!!!
なぜ電話くらいできないんだ!ばかやろう!待つほうの俺の身にもなれ!」

「ごめん・・・」
「約束は守れ!俺を一番に考えろ!後回しにするな!」

その後もこの説教が長く続き、あまりのうっとうしさに電話を切り,
電話の電源を切って寝た。

次の日の朝,6時半,アパートのドアベルが鳴った。
朝いちばんの電車に乗ってやってきたD。
私はそのしつこさに負けて部屋に入れ,仲直りすることとなったのだ。
あ~めんどくさい。



久しぶりに思い出し,自分でもびっくりしています。
やっぱりほんとに変だったな~
今は,いいことばっかり思い出しちゃって,懐かしくなってた。
でも本当はやはりつらかったのだわ・・

どれが本当のDなの?っていつも思ってた。
いまから考えたら,まだわかりません。
今まだ私は,この混乱からは抜け出したのに,
「人」がわからないままなのです。
これは,今までに悩んだことのない悩みとなりました。

テーマとして後ほど取り上げます。
モラハラ事件も同時で書く予定です。

モラハラ記事つづきは「キャンプ1」


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