最近アレルギーが出てて,横になる日が続いている。
暑すぎるから、疲れるのかしら。
ただ精神的には,すこしずつ落ち着いてはきている。

仕事が短く不規則な私は,相変わらずよく寝る。
ほんとうに一日の半分くらい寝る。
ここ半年ほどずっとそうである。
健康的ではないが,うつと長く戦ってきたから,
まだ回復中で仕方がないことにして自分を許している。

しばらくは,まだまとまったモラハラ記事を書くことが,
つらいかもしれないので,
思い出したことや,気づきを書いていこうと思う。

私が初めて「モラルハラスメント」と言う言葉を知ったのは,
Dと暮らして3ヶ月たち,Dに初めて暴力をふるわれて,
恐怖心が出ていることに気づいた冬休みの頃だった。

実家で大晦日にゆっくりしていたとき,
どうやってか忘れたが、PCでみつけた。

加害者の存在にびっくりした。そんな人たちがいるなんて。
そして,私が被害者なんて。

それから,私は彼と一緒に住み始めてたった3ヶ月しかたっていないのに,
別居したいと思い,Dに申し出た。
彼は結局5月まで出て行ってはくれなかった。
その間ずいぶんとひどい目にも遭った。本当につらい日々だった。
暴力はその間4,5回か。あまりよく覚えていない。
本当にいつもびくびくしていた。
Dの機嫌を取るだけに徹して,友人も失った。
私の悪いことばかり見つけたり、私のやることに対し「うざい」と言った。

ちょっと思い出したのが、
「おはよう」とか「おかえり」「ただいま」「おやすみ」とかは言わなかったことだ。
「この世の中はルールだらけで、そういう決まりはおかしい。
だから、僕はいわない」と言った。
でも,私はそういう言葉が好きだった。
私の両親は,ふたりとも戦後に生まれた末っ子で
いわゆるしつけのなっていない人たちで,
私たち子供らに躾をきちんとしてこなかった。
そこで,私はよそで覚えたそういった日本の習慣的なものを,
自分で取り入れ実践するようになった。
だから,私はそこにこだわっていたし,
言われると気持ちがいいものであると思っている。
私は,彼の言葉を無視し言い続けた。
彼は,「いってきます」「いってらっしゃい」「おかえり」と「ただいま」だけは,何となく言うようになった。
日本のよさに気づいてくれただろうか,と思う。
「おはよう」「おやすみ」はない。

おはようとハグしたり、キスするのは,嫌がった。
基本的にすべて
自分がするのはいいが、私にされるのは嫌」だった。

Dが逢いたい時に逢う。逢いたくない時は,絶対に逢わない。
Dが話したい時だけ話す。話したくない時はあからさまに不機嫌。
Dが外出したいときだけ,外出。
Dがつきあいたい時だけつきあう,別れたい時は別れる。
全ては,そういうルールだった。
本当に自分本位の人だったな,と振り返って思う。

そこで,この前驚いたことがあった。
友人関係を築こうとして連絡を取り続けてきたD。
一ヶ月ほど前に,Dからの誘いで,
ビーチパーティーに行こうと誘われて実際私は行った。

その前日のこと。夜6時頃メールが来た。
「生協の店なんじまでだっけ。
まだ空いてたら,(私とDのお気に入り自然派の)洗濯洗剤を
買ってきてくれないかな?」


はい!?!?なんで???わたしが?
車で15分かかるところにガソリンたいて行けと?
しかもあと2時間以内に?!

当然嫌だったので、
「今外出中だし、私は今車を所有していないので,
残念ながら無理だわ~」

といかにも、どうしてもできない感じで返信した。

そしたら,
「そっか,でもありがとう!
じゃあこっちで買えるところたぶんわかるから,そこで買うね」


はああああ~~~~~~~~~~?
買える場所知ってるんかいな。
自分のことはじぶんでしろよ!
人を簡単に平気で動かそうとするなよ!


と気分を害した。
まるで,まだ親友気取り,もしくはまだ親密な関係のつもり?
だと思った。
やっぱりモラ、がんがん境界線を乗り越えようとするような気がした。

この話を親友「な~ちゃん」としていた。
そして,気づいたことがあった。

Dは友人には,大変礼儀正しく変なことはしない。
だから,明らかに私にだけ,奴隷のように簡単に物事を頼もうとする。

しかし,ひどい別れ方をして,恋人復活したわけでもなく,
今こういったことを頼めるような関係じゃないだろ?!っていう認識もないのか?と思った。
そこで,はっと思った。

もしかしてこれは,Dからのテストだったのではなかろうか?
また私をうまく支配できるかどうかを試すための。

私はいままで彼に頼まれたことを
ほぼ断ったことがなかったくらいこなしてきた。
それが私と彼の中にいつもあった主従関係だった。

私はあまり損得なしに人にやってあげることがある。
人として関われることが楽しいからだ。

私もDに頼むことはあっても,そんなしょっちゅうではなかったし,
Dも楽しめたり,得があるようなことを選択していた。

その主従関係がDが私とうまくやれた理由だったのではないか。
Dが私と一緒に仲良くなりたかったのは,そこだと確信した。

彼は無意識にやっているのだと思う。
そして,彼は,「ゆ~はもう(もしくはまだ)前のように手足のようには動かない」,と思ったことだろう。

その後、何回もテレビのリサイクルはどうするのかを調べてくれだの,
ダニマットのおすすめはどこで買うのかだの,
Dは頼み事をいくつかしてきた。

私は,あまり深入りしたくなかったので、
両方とも,ネットのリンクを送ってあげた。
彼は英語が話せる日本人の友人も大変多いから、(あまり深い友人ではないだろうが)誰かに聞けばいい話だ。
そういったいくつかのテストにも,私は不合格だったと思う。
もう私は以前の奴隷のようには,使われない。

しかしその後すぐ,
私が至急英語で仕上げなければいけないエッセイがあった。
それに対して,Dは瞬時に対応し英語の校正をしてくれたのは,
本当に助かった。大変感謝した。

彼は,私とお互い気を遣わない家族のように,深い関係を求めていたんだと思う。
境界線を緩める気だったのだろう。

ただ,彼が頼むのが10としたら,私が頼むのは1くらいの微量である。
しかもDは「私がやって当然」と思っているから,
感謝の気持ちもお礼もない。
感謝のふりはすることがあるが、心からでないのが見える。
しかし,私がやってもらった時は,本当に感謝する。
これは人として,彼はおかしいとずっと思い続けてきたことだ。

私が頼まれたことを完璧にこなさなかったとき(ミスをした),
彼は言った。
「頼まれたことは完璧にやれ!」「俺の前ではロボットになれ!」
私は性格上,几帳面ではないので,
残念ながらロボットにはなれなかった。

彼は几帳面かというと,いやはや,私よりもミスだらけである。
多分性格が私と似ているので,
まるで自分を見ているように思ったかもしれない。
だから、余計いらついたのかもしれない。

きっと私を何でもやってくれる母親のように思っていたのだろう。
母親より便利。私はパソコンも強いし,
40才になるまで一人で生きてきたから,何でも自分でできる。
どんな手続きもできるし,よく知っている。
海外に行っても大丈夫だ。
どんなことも秘書のように対応してきた。
外人しか必要のない手続きのいろんなことを学んだ。
時間も昼間に動ける。
それは重宝するだろう。

しかし,もう彼と恋人ではないし,友人でもない。
先月友人として関わろうとしてきた彼は,
私の感情には全く関心がなかった。(このエピソード詳細は後ほど書きます)
彼Dは,連絡してきた。なぜなら,
自分が寂しいから、私と会いたかった。
自分が暇だから,しゃべりたかった。
自分が落ち込んだから、私に救いを求めた。

決して,私を見てはいなかった。
私を利用すること以外は、考えていなかった。

私は彼がさぞ寂しかろう,と思って、近くに行ったから会いにいった。
私が会いたいわけではなかった。
あのプライドの高い男が,今年3月のあんな劣悪な別れ方のあとに
私に声をかけたのは,よほど孤独なのだろうと思い,
心配をした。
あほやった。

私はただただ最後の最後まで。ある意味では,
うまく利用されたのだと思う。

確かに私も彼のおかげで孤独ではなかったし,
(というか,本当に離れたかったくらい。)
楽しいこともいっぱいあった。
本当に多くの時間をよくも悪くも一緒に過ごした。
でも彼は,私の感情には興味がなかった。
それだけのことであった。

彼は私のことを愛していると言った。
「家族のように愛している」と言った。
でも,彼は愛しかたを知らなかった。
愛するということは,ほんわかで,とても心地がいいものだ
ということを知らない人だった。
私が教えてあげようなどと,とんでもないことを
思ってきたが,完全に無理だった。

私の両親は父がモラ気味かつプチDVではあるものの
まあまあそこそこ愛情のある人だった。
そして,とても子供に愛情のある母親に育てられた。
彼女の愛は,本物だといつも思う。

な~ちゃんは,何度か私に言った。
「Dは,ゆ~ちゃん以外に,こんなに愛情のある人に
もう一生二度と出会うことはないと思う。
本当に彼は惜しいことをしたと思う。
いつか後悔するだろうと思う。」


私はその言葉で,救われた。
「もう精一杯,Dに愛情をあげたのだ,
もうあげ尽くしたから,からからになってしまったのだが、
もう後悔はない」
と思えるようになった。

今日で7月も終わり。
そうか,もうDと正式に別れてから8ヶ月もたつのか。
ようやく私の心が,すこしづつ安定しつつあって、
友人との対応や,あらゆる人たちに対する過剰な警戒心が
解けつつあることを日々感じる。

このブログを初めてまだ3ヶ月。
ブログをはじめたあの頃は肝臓が悪いと言われ,
肉体的にもつらい状態で、
オーストラリアの友人宅で,
肩身の狭い思いで書いていた。
精神的には全く安定しておらず,ほんとに苦しかった時だった。
いつも気持ちがざわざわとして,
世界でどこにも居場所がないような,
心がいつも空虚だった。
まだ海を漂流していて,島が見えるのにたどり着かない,
そんな気がして焦りだけがあった。

この3ヶ月がすごく長いような気がして仕方がない。
私はこの3ヶ月はずっとオーストラリアの田舎で
孤独に過ごしてきていたような気がしていた。
でも実際は,いろんな人に助けられてきたのだ。
オーストラリアで大親友のRuは,私の滞在を
嫌な顔一つせず受け入れてくれた。
そして私の話を本当によく聞いてくれた。

ゴールドコーストの友人も遊びにいった私をうけいれて,
親友でもなかったのに,本当によくしてくれた。

近所で友人になったPriaとは,いろんな話をした。
私はできるだけDの話をしなかったが,彼女はよくわかってくれた。

親友な~ちゃんとは,Skypeで毎日話した。
彼女なしでは,今の私はないだろう。
本当に自殺か殺人を犯していたかもしれないと真剣に思う。

罵詈雑言の人格否定ばかりされ,卑屈になっていたし,
自信もなく,若々しさもなく,
愛情をもらえないことや,話が通じないことで,
頭が狂いそうだった。いや,一時は狂っていた。

彼に好きな子が出来たとき,完全に打ちのめされた。
その子を見てショックだった。
20前半のアイドルのようにかわいいお金持ちの娘。
私とは全く違うタイプで,才能にあふれ,
それは華やかなクラブのアイドル。
それがなに?って思われるかもしれないが、
私にはないものばかりを持っている。
嫉妬をしたのと同時に,Dに愕然とした。

今まで傷つけられてきた怒りと,棄てられた悲しみと,
気が狂うほどの罵詈雑言での別れ,彼の一貫性のない行動に翻弄された。
指すら動けない日があったり,水も受け付けないほどだった日もあった。

それが3月。(このひどい別れエピソードは,後日書きます)
それが,ようやく精神安定してきたとおもったら,
Dとの一ヶ月前の再会でまた精神不安の振り出しへ。
その後連絡もなく会わなくなって,今,ようやく安定してきました。

その一ヶ月前の「友人として会う」編を次回書きたいと思います。

今日は支離滅裂で,おもいだしたことを書きました。
わけわからなかったら,すみません!