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日々のgudagudaを綴るのだ

ブログタイトルを変更しました。

今日は今日で「動けるうちに髪切った」ってメールが来た。

動けなくなるのは、もう一ヶ月とかそういう話なの?

怖くて聞けない。



「動けなくなる前にご飯行きたい」
ってメールしたいけど、
「もう無理」って返ってきそうで送れない。


「もう会えないかも」そんな風に思うようにしてるけどそれは最悪の設定で、
それでも「会いたい」って願ってるし、
「会えるかも」って期待もしている。

だけど本当にもう無理なのかな?


告知以降、初めて会ってきた。
会社の近くで飲み会あるから、差し入れ持って行きたいって言ったら、
会社にいるみたいで、会社の下まで降りてきてくれた。

ほんの30秒ほど。

白いシャツで腕まくってネクタイして
すごくカッコよかった。

雰囲気は前とそんなに変わらず。

会社にも告知して
仕事の分担とか何か変わったのかな?

いっぱい聞きたいけど、聞けない。
時間もないけど、聞くのも怖い。

もう二度とゆっくり時間を過ごすことは
ないのかな?

台湾なんて夢のまた夢で
叶うはずのない夢ってわかってるけど、

ご飯食べに行くことすら無理なんかな?

今はこうやって一瞬でもあえることに
感謝しようって思ってるけど
この気持ち続くかな(笑)

「大好き」ってメールしたら
「ありがとう」ってかえってきた

「うん」が一番多くて「俺も」とかの返事もあるけど「ありがとう」はあんまり記憶がない。

どういう心境での返事なのかな。

私のことが少しでも支えになってたら嬉しいな。
もう「ありがとう」という言葉でしか
応えることができないってことならちょっと悲しい。


私はよく唐突に思ったことをメールするんだけど、

今回も何の脈絡もなく

「台湾に一緒にいきたいなあ」って送った。

 

台湾はカレが100回以上出張で訪れた国だ。

私は行ったことはないけど、よく遊ぶ友達も台湾が好きで

、若干親戚のゆかりの国でもあって、

いいところなんだろうなと思っていて、

一番叶ったら嬉しいけど難しいのはわかっている夢だ。

 

そしたら「うごけたらね」と返ってきて、

無理じゃなくて、行けるんだったら行ける可能性があるんだと

ポジティブに受け取っていたら、続けて

「もう動けなくなるかも」ってメールがきた。

 

私の中で,それでも,少なめにみても

もう2~3年は,なんとか日常生活を送れるんじゃないかと

勝手に思い込んでいたというか思い込もうとしていたから、

 

「もう」って「もうなの?」とすごく哀しくなってしまった。

 

「自分勝手なことを送ってゴメンね」とメールしたら

「ううん、動けなくなる恐怖でいっぱいなんだ」

と返ってきた。

 

「もう動けなくなるかも」という言葉。

本当にもうすぐにでも動けなくなって車椅子生活になるのか、

動けなくなる恐怖から、そんな言葉を言ってしまったのか、

よくわからないけど怖くて聞けない。

 

動けなくなったら二度と逢えないし、

動ける間は忙しいだろうし、どっちにしてももう逢えないのかな。

 

でも今みたいに「おはよう」メールで繋がっていて、

まだ私の存在を必要をしてくれる限りは、

このまま繋がっていたい。

 

 

 

 

土曜日に退院して、日曜日に告知されたことをしって、

月曜日がきた。

 

いつものように家を出た後「おはよう」メールを送った。

返事がすぐに来るときもあれば、会社に着いてからの時も

あって、でもたまーに来ないときもある。

でもその日はなかなか「おはよう」が返ってこなくて。

 

今日から会社だと思っていたけど、病院に行ってるのかな?

告知されて自分の人生を考えて、もう、関係を終わらせたいのかな?

バイブ音で同じのが来たから、みてみたら、非通知の電話着信で

もしかして「バレて」様子を見るための電話?って思って見たり。

 

時間が経つのが長く感じで、でも待とうって思って

我慢していたら、11時を過ぎて「おはよう♪」と返事がきた。

入院中はほとんど「おはよう」だったけど「おはよう♪」になってて

メールがきたことも、「おはよう♪」だったのも嬉しくて嬉しくて。

いつものように「今日も一日頑張ってね」と返信をした。

 

結局今日から出社しているのかは聞かなかった。

何も聞かなければ、

「おはよう」「おはよう」「今日も一日頑張ってね」とメールが

やりとりされるだけの告知の前、入院の前と何一つ変わらない日常。

私はカレに逢えることはほとんどないから

私が考えないようにしたら、カレが難病であることなんて、

夢だったんかな?って思ってしまいそうなくらい希薄だけど、

本人も家族もそんなわけにはいかなくて、

日々現実と向き合って、どうやって生きていくか考えないと

いけなんだなあと思うとやるせない。

 

でも今は、カレの1日1日が充実したものになるよう

祈るしか私はできない。

こっちに転勤になって「逢いたい、逢いたい」って言って

忙しいカレを困らせてきたけど、

申し少し思いやりをもってカレと接することができるようになって

困らせることは少しはなくなるのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

結局、3日続けてお見舞いに行ってしまいました。

 

2日目は最寄り駅からタクシーで行ったし、

場所とか段取りとかわかっていたので余裕でした。

 

3日目は本当に泣きそうでした。

ただでさえ会える時間が少ないのに、

仕事中に電車が遅れていて、休止もしくは遅延の情報。

終業時刻と同時に会社を飛びだして駅に向かいましたが、

案の定大幅な遅れで、遅れている電車が来てくれたらと

思っていたけど、なかなか電車がこない。

早く来てーと願って電車を待っていたら

カレから「きょうはやめとこうか」とメール。

会社の人が来てて面会時間ギリギリまで帰らないかもしれない。

とのこと。

電車が遅れているし、私もギリギリになると思う。

会えなくても仕方ないから、とにかく向かうと伝えました。

いつもよりも遅い時間に電車がやっときました。

でもやっと乗れたと思ったら、途中で、

駅に前の電車が止まっているから前の電車が出発しないと

ホームに入れないといって止まるし。

神様に早くついてとお願いしながら涙が。

やっと乗換駅についておりようとしたけど、

大きな荷物を持った人が前にいてなかなか、

電車から降りれない。

最寄り駅について、タクシーに乗ろうと思ったら、

昨日いた場所にタクシーはいなくて。

タクシーを泣く思いでまって、やっとのれたら、

途中で、長い信号待ちが2回。

病院についたのは、面会時間終了の3分前でした。

 

なんとかでもカレにあえて、

アイスクリームとおにぎりを売店で買って渡せました。

 

次の日に家族も呼んで先生から告知があるから

そしたら退院だなって言ってました。

 

告知の日、いつもの「おはよう」メールは来たけど

結局、報告はありませんでした。

でも怖くて聞けなかった。

 

その次の日、それでもちゃんと知らなきゃって思って

退院したのか確認のメールをしたら

「うん」という返事でした。

もしかしたら、症状は似てるけど、違うなら検査続くのかも

って期待したけど、ダメでした。

疑われていた病名だったの?と聞いたら

「うん、がっつり」という返事でした。

 

本当は何もできないことがわかっている。

もう会えないのかもしれない。

でも今はまだ認めることができない。

「そうなんだね。病名がわかって良かったね、としか

言えないけど、ずっと支えるから、そばにいるから」

とメールを送りました。

後半部分、絶対ありえないのはわかっていると思うので

そこを今の時点で拒絶されたらどうしようかとは思ったけど

これからもっと連絡がとれにくくなることが予想されたので

とりあえず思っている気持ちを伝えた。

カレからは「ありがとう」とだけ返事がきました。

 

そこでメールのやりとりを終了しました。

私のメールをみてどう思ったのかな?

カレの真意はわからないけど

昨日の告知を機会に、ふたりの関係が大きく変わったこと

には変わりがない。

大きな区切りになります。

 

今はまだ夢をみているような感覚で

正直現実をうけとめきれない。

でも一日一日確実に時間は進んでいく。

時間を大切にできる生き方考えていきたい。