ふと、

メッセージみたいなものが

降りてくることって

ありませんか。

 

 

アイデアやひらめきなども

そうですが。

 

 

わたしは

歩いているときに

ふと…ってことが

よくあります。

 

 

そういうものも

降りてきては

流れていってしまうものも

あるので

ときどきブログに

書いてみようかなと…

これも、ふと思いつきですが。

 

 

でも、気が変わったら

すぐやめるかもしれません。

 

 

 

今日、歩いてるときに

降りてきたメッセージ。

 

では、ここから。

 

 

 

 

もし、あなたが豊かさを求めているなら

 

豊かさはすでに、あなたの中にあります。

 

豊かさはいつも、あなたの中にあります。

 

今は、そのことを、忘れているだけです。

 

 

 

自分の中にある豊かさを

 

思い出したとき

 

豊かさが目の前に現れ

 

人とわかち合うことが

 

できるようになります。

 

 

 

あなたは豊かさを与えることの

 

出来る人です。

 

豊かさの源そのものです。

 

そのことを

 

いつも思い出してください。

 

 

 

 

今日の夕焼け、きれいでした。

 

 

 

TOMOKO.M  / LeDesign(ルデザイン)

 

人はなぜ

自己表現するのだろう?

 

 

自分を知ってほしいから?

 

 

そういう望みは

誰にもありそうですよね。

わたしにもあります。

 

 

人に自分を

わかってもらえたって思うとき

ほっとしたり、嬉しかったりする。

 

 

でも、人間同士

100%わかりあうことは出来ない

というのも、わかっている。

 

 

 

自分のことすら

よくわからなかったりしますもんね(笑)

 

 

 

そうすると、

わかってもらうことが

表現の目的ではないんだなぁ

と気づきます。

 

 

 

表現をして

自分と似た感覚を持っている人と出会い

その人と喜びを共有したくて表現する。

 

 

 

誰かと喜びを共有すると

喜びが増幅する。

 

 

 

この瞬間の

喜びを大きくするために

誰かと出会いたくて

表現しているのかもしれない。

 

 

そう考えてみるのが

今のわたしには、しっくりきます。

 

 

そして、その誰かは

最終的には

まだ見ぬ自分だったり

するんじゃないかな。

 

 

 

人と出会い

喜びを分かち合い

人を通して

まだ見ぬ自分を知り

さいごには

その自分との喜びを

分かち合いたくて

表現しているのかもしれない。

 

 

 

表現は

とどまるところが

ないんだね。

 

 

 

一生を通して

変化し拡張していく。

 

 

 

どこに行きつくか

わからない。

 

 

 

無限にある答え。

果てしがない。

 

 

 

そんな面白さとともに

人って生きてるんだ。

 

 

 

答えや正解を

見つけようとしたら

苦しくなるのは必然ですね。

(そういう経験ありすぎるけど(笑))

 

 

 

答えがないことをたのしむ。

すべてが正解だったと知る。

 

 

 

唯一、正解みたいなものが

あるとするなら

そのとき自分の気持ちが

喜んでいるかどうか

そのことくらいしか

ないんじゃないかな。

 

 

 

どうしても

そこにいきつきます。

 

 

 

人生、楽しむしかないですね。

 

 

image

 
築地本願寺の横にある仏具屋さんの看板
ちょっと良くないですか^^

 

 

 

 

TOMOKO.M  / LeDesign(ルデザイン)

昨日は中秋の名月でしたね。

 

夜風をあびながら月を眺める、この幸せ~。

 

明るく輝いて、きれいでした。

 

残念ながら、今日の満月は雨で見えません。

 

 

 

自己表現って

何かを表現することって

思いがちだけど

 

自己表現のはじまりは

自分を受け入れることだなぁと

最近、つくづく感じます。

 

 

どんな自分も受け入れる

 

ダメな自分

なまけものの自分

弱い自分

ズルい自分

醜い自分

バカな自分

など

無限に出てくる自分が嫌だなと思う自分

 

 

繊細な自分

優しい自分

強い自分

かわいい自分

かっこいい自分

美しい自分

イケてる自分

など

無限にある素晴らしい自分

 

 

 

劣等感や無価値感の強い人は

 

 

ダメな自分を

つい反省してしまったり

 

 

だらしない自分を

責めてしまったり

 

 

ダメな方の自分こそが

本当の自分の姿だ。と思ってしまったり

 

 

そして、それを隠そうとして

またそんな自分を責めてしまったり。

 


 

わたしも、そうでした。

 

 

でも、大丈夫なんですよね。

 

 

みんな意外とそんなものです。

 

 

そして

誰もあなたのダメさを

責めたりしないし

 

 

あなたのだらしなさを見ては

むしろ自分と一緒だ。

と、ほっとしたりしています。

 

 

 

そんなことを

自分で体感すると

ほんと、どんな自分でも

よかったんだなぁと

心から感じるようになるし

嫌だなと思う自分のことも

人に隠さなくなったり

話せたり

笑えるようになってきます。

 

 

そこからは自然に

今までナゾに隠していた

自分の素晴らしいところも

受け入れられるようになってしまう。

 

 

不思議ですが

本当にそうなんですよね。

 

 

そして、好きなものが

どんどんはっきりして

 

 

自分がどうしたいんだろう?

っていうのも、どんどん

わかりやすくなる。

 

 

自分のこれからのヴィジョンや

アイディアが降りてきたり

 

 

今までなんの意味があったのか

わからなかった、点と点で

浮遊していた出来事たちが

一本の線となって繋がり始めたりして

どんどん、自分というものが

浮かびあがってくる。

 

 

何かを表現しようとしなくても

勝手に自分というものが

あらわになって

表現に向かっていくような。。。

 

 

まずは、どんな自分も受け入れることで

自然とあなたの表現の第一歩が

始まっている。

 

そんな感じがします。

 

 

この世界に生まれてきた

自分の存在そのものが

表現に他ならない。

 

ってことを感じられる。

 

 

もちろん、感じ方は人それぞれ。

ここに書いたことすら

とらわれなくていい。

 

 

 

大事なのは、

あなたがあなたを

否定さえしなければ

その存在感は自然と現れる。

ということかなぁって思います。

 

 

 

どうぞ遠慮なくその姿を

この世界に表現してください。

 

 

わたしもそうします。

 

 

 

TOMOKO.M  / LeDesign(ルデザイン)