人はなぜ

自己表現するのだろう?

 

 

自分を知ってほしいから?

 

 

そういう望みは

誰にもありそうですよね。

わたしにもあります。

 

 

人に自分を

わかってもらえたって思うとき

ほっとしたり、嬉しかったりする。

 

 

でも、人間同士

100%わかりあうことは出来ない

というのも、わかっている。

 

 

 

自分のことすら

よくわからなかったりしますもんね(笑)

 

 

 

そうすると、

わかってもらうことが

表現の目的ではないんだなぁ

と気づきます。

 

 

 

表現をして

自分と似た感覚を持っている人と出会い

その人と喜びを共有したくて表現する。

 

 

 

誰かと喜びを共有すると

喜びが増幅する。

 

 

 

この瞬間の

喜びを大きくするために

誰かと出会いたくて

表現しているのかもしれない。

 

 

そう考えてみるのが

今のわたしには、しっくりきます。

 

 

そして、その誰かは

最終的には

まだ見ぬ自分だったり

するんじゃないかな。

 

 

 

人と出会い

喜びを分かち合い

人を通して

まだ見ぬ自分を知り

さいごには

その自分との喜びを

分かち合いたくて

表現しているのかもしれない。

 

 

 

表現は

とどまるところが

ないんだね。

 

 

 

一生を通して

変化し拡張していく。

 

 

 

どこに行きつくか

わからない。

 

 

 

無限にある答え。

果てしがない。

 

 

 

そんな面白さとともに

人って生きてるんだ。

 

 

 

答えや正解を

見つけようとしたら

苦しくなるのは必然ですね。

(そういう経験ありすぎるけど(笑))

 

 

 

答えがないことをたのしむ。

すべてが正解だったと知る。

 

 

 

唯一、正解みたいなものが

あるとするなら

そのとき自分の気持ちが

喜んでいるかどうか

そのことくらいしか

ないんじゃないかな。

 

 

 

どうしても

そこにいきつきます。

 

 

 

人生、楽しむしかないですね。

 

 

image

 
築地本願寺の横にある仏具屋さんの看板
ちょっと良くないですか^^

 

 

 

 

TOMOKO.M  / LeDesign(ルデザイン)