人って、いつだって
楽しいなぁと苦しいなぁとか
不安だなぁとか
いろんな感情が起こり

そのたびに、その感情に

無意識にラベルを

つけてたりしますよね。

楽しいは 「良い」ラベル
苦しいは 「悪い」ラベル
怒りも 「悪い」ラベル

 

 

そして、「悪い」ラベルを貼った

感情を感じる自分は

悪い人間みたいに
思ったり。

 

 

感情=自分

 

 

にしてませんか?

 

 

そういう感情を感じたあと

どこかで、自分を責めてしまったり

するようなところがあると思うんです。


ただ、湧いてきただけの感情に

「良い」「悪い」のラベルは

貼らなくてよいんですよね。

ほんとは。

 

 

 

「良い」「悪い」にすると
自分で自分を責めるから
最初に湧いたマイナス感情の上に
さらに責められた苦しさの

感情がのかって
どんどん重くなってくる。



人間、意識していないと

そういうことが
いつも起こっていて

「悪い」ラベルの感情を感じると

それだけで、悪いことをしたような

自分が悪い人間のような

罪悪感が生まれる。

 


うっかりすると、そのあと一人反省会に

突入ーなんてしていませんか。


わたしは一人反省会、得意でしたよ。
今でも、うっかりやっちゃうとき

ありますよ。


感じちゃいけないって無意識に
思っていたりするから
そういう感情を感じると

自分を責めたりして。
そのたびに一人反省会だと

疲れますよね。


自分にダメ出し

されっぱなしですもんね。
何かやるのも嫌になっちゃいますよね。



自分がどんな感情を

感じることも、ゆるす!
感情も、神様からもらったものだと

思うんですよね。

だから、「良い」とか「悪い」とか

ほんとはない。

 

どんな感情を感じても

「わたしを全部ゆるす!」

 

と思ってみるといいですよ。

 

 


食べ物だって、甘いものもあれば
辛いものもあって、苦いものもあるし
酸っぱいものもある。

でも、別にどれも悪くないじゃないですか。

 

ここのカレーおいしい!



辛いは悪くて、甘いはいい、
ってことじゃないですもんね。
だた、甘い、辛いがあるだけ。
甘いばっかりじゃ、飽きちゃいます。
 


一生、甘いのだけあげます。

って言われたら
甘いもの好きの人でも

しんどいですよね。

 


辛いも苦いも酸っぱいもあるから
楽しいんだよね。

 


感情は、きっと神様がくれた
スパイスみたいなものなんですよ。


いろんなのを

味わわせてもらえる

神様からの贈り物です。


すべてひっくるめて幸せ。


つらーいのがきたら、

つらーいのがきたわ。

今、味わってるわぁ~。

ひー、つらい、涙でる~。

ひー、つらい。

ティッシュ、ティッシュって

感じですよ。

で、そのうち食べ終わるみたいに、
つらーいのもちゃんと

味わい終わるんですよ。

(↑ 「つらい」を「からい」置き換えるわかりやすいです)



つらーいのがきたら

悪い「ラベル」貼って、

後生大事にもってなくていいですからね。

家宝にしなくていいですからね。

それ、もう干からびてますから。

 


隠そうとして、つらーいの平気なフリして
何事もなかったように、楽しそうにしてって

のも、しなくていいですからね。


つらいときはつらい

楽しいときは楽しい


辛い(カライ)ときは辛い

甘いときは甘いと同じ。


何を感じても悪くないです。


客観的にみたら

あー、今、からいの
食べてるのね。

くらいのものです。

 

 

深刻になってしまったら

そんな風に思ってみると

面白いですよ。
 

照れ

 

 

こころのことって

心理学や

スピリチュアルや

宇宙や

エネルギーや

量子学や

気学や

そのほかなんでも

全てにつながっていて

ほんとに面白い。

飽きないですね。

 

 


TOMOKO.M/LeDesign(ルデザイン)

 

 

一昨日の立春の夕暮れ。

優しかったです。

 

 

 

節分の日

 

「わたしを全部ゆるす」

 

というメッセージがきた節分の翌日の立春に

 

「愛が全開の自分も出してみる」

 

というメッセージがきた。

 

 

この場合の愛というのは

男女の愛というより

人間の本質的な愛のことですが

 

 

出すは、こういうブログや

自分のお仕事などで出すって

いう感じの公開する的な

意味合い。

 

 

でも、愛が全開の自分は

ちょっと照れくさいような

暑苦しいような

はたまた、恐れ多いような

 


自分のことって

愛な自分のときもあれば

そうじゃないときもあると

自分がいちばん知ってるから

そういう矛盾にとまどうけれど

それこそが、人間ですよね。

 

そういう矛盾があることが人間。

誰でもだもんね。

 

 

その矛盾を受け入れてみたら

わたしの好きな愛の表現を思い出した。

 

 

わたしの好きな愛の表現は、こんな感じ

↓↓↓

http://j-lyric.net/artist/a000656/l00efef.html

作詞:所ジョージ

作曲:所ジョージ

 

(youtubeで曲も上がってたんですが

画像と曲がチグハグだったので

リンク貼りませんでしたが

ほのぼのいい曲なので、ぜひ聞いてほしい。)

 

この世界観、きゅんとします。

ほっとする~。

 

 

この「愛」の感覚を体感したら

「愛」という言葉の持つ

イメージが

わたしのなかのこの体感する「愛」とズレてた。

 

「愛」というとすごく崇高、

高尚なものという思い込み。

マリア様みたいな。

 

 

でも、わたし感じる愛の感覚は

ほっこり。。。って感じ。

 

ほっこり愛は

生き吸って吐くぐらいに

日常でもみんな出して

ますよね。

そのほっこり愛も

きっと崇高って

ことなんですね。

 

 

そして、この好きな

世界観からずれた感じで

表現しようとすると

違和感がわいたり

嘘っぽく感じたり。

 

 

根本にあるものは

みんな同じ愛だから

そこしか見てなかったけど

表現の世界観が

自分にあってるかどうかも

けっこう大事。

 

 

愛の表現じゃなくても

自分を表現することだって

自分の好きな世界観で

表現していくのって大事。

それも含めて自分ですもんね。

 

 

愛の表現から

自分らしさの表現を知った

立春でした。

 

 

こなみに、この曲を知ったのは

10年以上前だけど

数年前にこの世界観と似てる

アーティストに出会って

一瞬で好きになってしまいました。

そんなことは、またの機会に^^

 

 

 

TOMOKO.M / LeDesign(ルデザイン)

 

 

 

先日の節分の日
恵方巻を方角に向かって
無言で食べていたときに
ふいに降りてきたメッセージ。


「全部ゆるす」


人をゆるすというより
わたしを全部ゆるす。
という意味の全部ゆるす。

自分のどんなところも

ゆるされている


自分が何をすることも

ゆるされている

 

 

そのときに、一緒にスケッチブックに
書かれているようなラフな絵が見えて
白い空間に、極々小さな粒が、
いくつか浮遊しているのが
さっと一瞬で消えるという
イメージが見えました。

 

残っていた罪のかけらが

消えていく感じかな。
 

 

「わたしを全部ゆるす」

 

 

おなかの辺りに力を入れていってみてください。

なんだか、力がわいてきますよ。

 

 

以上、恵方巻からのメッセージでした。

 

 

TOMOKO.M / LeDesign(ルデザイン)