一昨日の立春の夕暮れ。
優しかったです。
節分の日
「わたしを全部ゆるす」
というメッセージがきた節分の翌日の立春に
「愛が全開の自分も出してみる」
というメッセージがきた。
この場合の愛というのは
男女の愛というより
人間の本質的な愛のことですが
出すは、こういうブログや
自分のお仕事などで出すって
いう感じの公開する的な
意味合い。
でも、愛が全開の自分は
ちょっと照れくさいような
暑苦しいような
はたまた、恐れ多いような
自分のことって
愛な自分のときもあれば
そうじゃないときもあると
自分がいちばん知ってるから
そういう矛盾にとまどうけれど
それこそが、人間ですよね。
そういう矛盾があることが人間。
誰でもだもんね。
その矛盾を受け入れてみたら
わたしの好きな愛の表現を思い出した。
わたしの好きな愛の表現は、こんな感じ
↓↓↓
http://j-lyric.net/artist/a000656/l00efef.html
作詞:所ジョージ
作曲:所ジョージ
(youtubeで曲も上がってたんですが
画像と曲がチグハグだったので
リンク貼りませんでしたが
ほのぼのいい曲なので、ぜひ聞いてほしい。)
この世界観、きゅんとします。
ほっとする~。
この「愛」の感覚を体感したら
「愛」という言葉の持つ
イメージが
わたしのなかのこの体感する「愛」とズレてた。
「愛」というとすごく崇高、
高尚なものという思い込み。
マリア様みたいな。
でも、わたし感じる愛の感覚は
ほっこり。。。って感じ。
ほっこり愛は
生き吸って吐くぐらいに
日常でもみんな出して
ますよね。
そのほっこり愛も
きっと崇高って
ことなんですね。
そして、この好きな
世界観からずれた感じで
表現しようとすると
違和感がわいたり
嘘っぽく感じたり。
根本にあるものは
みんな同じ愛だから
そこしか見てなかったけど
表現の世界観が
自分にあってるかどうかも
けっこう大事。
愛の表現じゃなくても
自分を表現することだって
自分の好きな世界観で
表現していくのって大事。
それも含めて自分ですもんね。
愛の表現から
自分らしさの表現を知った
立春でした。
こなみに、この曲を知ったのは
10年以上前だけど
数年前にこの世界観と似てる
アーティストに出会って
一瞬で好きになってしまいました。
そんなことは、またの機会に^^
TOMOKO.M / LeDesign(ルデザイン)