ブロック塀と白壁 | レさんのブログ改めジャンク・エッセイ

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 実家付近には戸建てとはいえ、とても慎ましやかな小さな家が目立つ。このご時世、戸建てを持つことがステイタスである、と言う若い御人が、そこそこいらっしゃるのである。良いことだと思う。僕は集合住宅住まいだが。

 

 実家の付近にあった田畠が次々と造成されてゆくのに、時の流れを感じる昨今である。

 この時期になると、カエルが凄まじい合唱を聞かせたり、ヤゴやタイコウチを捕まえていた場所が無くなるのは、仕方が無いこととはいえ、少しノスタルジック。要は、減反政策で放置されていた土地を地主が始末するのである。いいなぁ、土地成金。不労所得。どこからか引っ越してきた若い家族が増えるのは、町内としては嬉しいことだろう、とは思う。

 現に、おやじ殿が鬼籍に入り一人暮らしをしている母は、生来のお節介焼きも手伝って、そこそこ上手くお付き合いをしてるようだ。

 

 そんな母から電話が入る。日曜日の午前10時。

 だいたいこの時間の電話は、「買い物連れて行ってくれろ」と言う、お呼び出しである。八十歳。一人暮らし。まだまだ元気ではあるものの、膝の不安から自転車を降りた母は、買い物に行く「あし」が無い。そう思うと無下にするワケにもいかず、僕は炎天下にうんざりしながら、またぞろ愛車LEDプリウスに乗って実家に向かうのである。

 

 母は、車中で色々な話をする。

 ご近所とのお付き合いはそこそこあるにしても、そこはそれ、愚息である僕にしか話せないこともあるようで、とにかくよく喋る。内容は「どこの誰それさんの連れ合いが亡くなった」だの「誰それさんの息子は、このご時世のアオリを喰って、解雇された」だの「隣の境界線のブロック塀が、経年劣化で傾いている」だの、ネガティブな話題が多い。僕もこの歳で得心したのだが、母は恐らく性善説の人である。故にこちらがどうこうできない由無し事でも、気になってしまうらしい。

 僕としては、それが疎ましくも感じられるのだが、それをわざわざ指摘したりはしない。拙い人生経験から「ガマン」と言うスキルを得たからである。レベル5ぐらいだけど。

 

 母はまだまだ壮健である。

 疎ましいながらも、それには感謝し感心もしている。

 件のブロック塀は、年季を経て経年劣化、それでもまだ、しっかりと立っている。

 僕はその塀を横目に見ながら、実家を後にした。

 来週のことを気にかけながら。