温泉に入りながら読んだ本で、もう一冊がこれ。

 

 期待して読んだのは「茶料理」ですが、圧倒的に面白かったのは「或る女の話」、「明月」「狐」も素晴らしかった。

 

 印象的なのは、前にも書いた加賀乙彦先生御指摘の「女性らしい」「繊細さ」より、むしろ壮大さとか、さらっと挿入される抽象性です。

 

 

 「茶料理」は、モーパッサンの「みれん」「ミス・ハリエット」、森鴎外の「雁」的なものを考えていたのですが、いやいや、さすが大人の女性は違う。

 あんな子供な話ではなかった(私の精神年齢にはフィットするけど)

 参りました。

 大人になると、あの関係性で、あのような会話ができないといけないのですね、失礼しました・・・という作品で、私にはハードルが高く、大変な自己嫌悪を抱いて読み終わりました。

 

 

 「死」

 弥生子さん29歳のころの初期短編。

 観念的な作品だと思います。

 生と死が解離した3つの「死」の在り方が描かれる。

 台詞がちょっと硬いのですが(p11)、若い人は面白いかも。

 

 

 「或る女の話」

 この作品だけ一気読み。

 声高な批判はない、だからこそ主人公の人生の理不尽さが強調される。

 一か所だけ結婚と金について主人公が考えるシーンがありますが(p82)、それ以外は淡々と「日本の女性の(略)『諦め』」(p88)を抱えつつ自身の境遇を受け入れていく。

 p103あたりは神々しい。

 「新しい女性」たちとすれ違うラストシーンが印象的。

 

 

 「茶料理」は略。

 

 

 「哀しき少年」

 小さいころは今一だけど、突然、才能を開花させたり、反抗期が変なところで頑なになったりなど、男の子の描写がリアル。

 調べると理系の三男さんが17歳ごろの作品です。

 ちなみに野上三兄弟、とんでもない兄弟です。Wikiでどうぞ。

 

 

 「山姥」

 比喩がいちいちインテリ(ある動きに反対の動きは伴うことをミルトンやゲーテで譬えるp177)

 当時の女性の苦境と戦争批判が描かれますが、露骨でないので品があります。

 しかも壮大さが挟まれる。

 風景を眺めて「(略)一万年前にも(略)自分はこうしていたに違いない」(p208)、眠る間際、「血なま臭い宇宙」が流れ込む(p214)。

 

 しかし「アナトール・フランスのような顔の山羊」(p185、209)って・・・

 

参考 

 

 

 「明月」

 しんみりした作品。

 母の死と、地方の文化が失われつつあることが、同時に描かれます。

 田舎の女性たちの噂話を聞きながら、「私たちの上代の歴史や芸術」はこうやって語り継がれたのだろう(p241-242)と考える主人公(=作者)の時間感覚。 

 家族経営から株式会社に変わることで壊れる関係性の指摘(p247)など、これ見よがしでないマクロな視点や批判精神が心地いい。

 

 

 「狐」

 短編集全体に言えますが、ある時期から戦争批判は一貫している。

 1941年の本作では前面に出ますが、被害者意識ではない。

 「(略)戦争には反対だった。といって、行動的に否定したことは一度もない。これは知識人の一般の卑怯であった(略)」(p313)

 今も私たちに必要な当事者意識。

 そして死ぬと「アトムに分解したからだが(略)自然の中でまたなにかに形成」されるという大きな自然観(p314)。

 

 

 本当に魅力的な作家さんです。

 

 

 さて、今「田邊・野上書簡集」を読んでいる途中です。

 やっぱり非常に面白いです。

 案の定、ライプニッツが出てきます。

 

 

 

 

野上弥生子「野上弥生子短編集」 加賀乙彦編

岩波文庫

600円+税(中古300円?だっけ?)

ISBN 4-00-310490-0