やっと鴎外記念館に。
秋葉原に寄るという口車に乗せられたこども3、じゃあとついてきた子供1が参加。
駅を降りて団子坂を登るとこんな建物が。
記念館入口(団子坂側)、実は邸宅の勝手口
周りの雰囲気を味わいたくて徘徊し、なかなか入ろうとしない私に、こども3からものいいが。
こども3は飽きるかもしれないと子供1と相談し、私が見学中は2人で館内のカフェで待機してもらうことに。
ありがとう、子供1。
中は外観同様、コンクリートの打ちっぱなしでモダンです。
原則撮影禁止ですが、展示入口だけOK。
等身大写真パネルがあるのは小倉と同じ。
ただ和装の小倉と違って、茉莉さんがお気に入りと書いていた写真を選んでいるあたり、さすが鴎外記念館。
「父の顔は上等な顔(略)だった。とくに微笑が綺麗だった。写真に微笑したのが一枚しかないのが残念でならない(略)馬の手綱を取って立っている別当(略)と(の 略)一枚きりである」「父の最後の日々」
無茶苦茶可愛い林太郎ちゃん、賢そうな林太郎少年、ご近所さんの西周邸、医学部での成績はイマイチで留学できず、軍医になってドイツ留学を果たした時の誇らしげな林太郎青年と、様々な写真を楽しめます。
庭の一部が保存されていました。
写真奥(でっかい窓はカフェ)の石、下の写真で鴎外先生が座っている石です。
ちょっと大きさが違うような・・・・。
まま、気にしないことにします。
真ん中は露伴先生で、右のすかした雰囲気の御仁は緑雨です。
佐佐木信綱が「緑雨氏がいつもの皮肉な口調(略)」「観潮楼の思い出」と書いていますが、見かけ通りのようです(お好きな方、すいません)。
展示物ですが、鴎外はエライ人なので、いろんな人から手紙をもらっていた。
それらを眺めているだけでに優に1時間は楽しめました。
たとえば帰国時に呉秀三から「早発性痴呆」(今は違う名前)と診断された夏目漱石の鴎外宛の手紙。
とても整った美しい字。
メンタルな問題を抱えていたとしても、やっぱり「早発性痴呆」ではなかったのではないかなどと、しばし妄想。
鴎外に私淑していた荷風の年賀状(確か)はいかにも彼らしい洋風な絵葉書。
しかもなぜかピエロ(だったはず)で、この突拍子もなさも荷風っぽい。
荷風のあまり上手いとはいえない字も見ることがでました。
記念館パンフの表紙右側にある鴎外死去時の寄せ書きから拡大。
実物が展示されていましたが、撮影禁止なのでここから。
ちなみに左上、30歳の鴎外。カッコいい!
若いころの仲代達矢っぽくないですか?
買いたい本が山ほどあったけど、タイトルだけ暗記して別経由で買うことに。
記念館でしか買えないものをと、トートバック(どこで使う?)と以前の特別展示のパンフを購入。
鴎外が医者としてどんなことをやりたかったのか知らなかったので。
有名なのは脚気事件ですね。
ということで、つづく。