長らく探していた茉莉さんのパッパへの気持ちをまとめたアンソロジー。

 巨大古本チェーンで偶然に発見。

 

 

 彼女とパッパの関係はあまりに有名。

 夫のもとへ旅立つ時の鴎外との別れを「一生恋愛しなくてもいいくらい」の経験だったと(!p292)

 関心があったのは、最愛の娘から鴎外はどう見えていたか。

起ち居、動作が静か (p49)

 

(宴席で)父の座っている所だけがしんとして、静かだった (同)

 

(宴席で)目立たない場所に背中を丸めてあぐらをかき、にこにこしていた (p230)

 

微笑が綺麗だった (p295)

 

私をみて微笑みますと(略)蔭のある、すばらしい微笑なのでした (p261)

 

茉莉さんが鴎外の素敵な微笑の写真とあげている(p205)のは、たぶんこれ。

写真の馬丁さんは鴎外のお気に入りだった。

でも酔って溝で寝ていたりした愛すべきダメ男君。

 

態度やようすに一種の落ち着きというなんというか、本人は威張っていないのに、ひどく自信のある人のような感じがあった (p229)

 

旅亭に行って隅の卓子で話していると、女たちが来て、父の脇に座ろうとする。(略)大声で「俺は結核だ、寄るな、寄るな」と言って手を振っていた (p224)  

 

車夫や、精養軒のボオイや、帽子屋の中僧、小僧にばかにされた時の内心の深い、子供らしい激怒 (p233)

茉莉さんはドン・キホーテを想起しています (p256)

 

 物静か。はにかむような笑顔。

 頭が良いので、ニコニコしながら当然のごとく質問に答えたりして、本人にそのつもりはないのに、人を馬鹿にしていると誤解された。

 真剣な関係以外の女性の扱いは苦手。

 どこか劣等感を抱えていた。 

 

 無駄を削ぎ落し清潔好きな、軍人にして医師らしい気風。

父の生み出した、骨のような書体は(略)綺麗で、雅 (p179)

 

風呂に2回入るほど清潔を好んだ (p127)

 部屋が整理されていないと、要領よく片付けたのだそうです。

 しかも鉛筆一本一本、丁寧に拾うところから始める。

 

細君が風邪で寝ていたりすると、子供の弁当のお菜(かず)を造(こし)らえた (p220)

 地位も名誉もあって、しかも”明治男”が!

 イクメンなどという胡散臭い言葉のできる100年前です。

  

 

 要するにこんな人だった。

何一つ教訓は垂れないが、ただ自分の生活を私に見せていただけである。ねころんで昼寝をしたり、驚くべく清潔に暮らしたり、(昔ツウレに王ありき)などと素敵に歌ったりしていたのである (p228)

 そして茉莉さんにとって大切な情緒を教えてくれた。

 

 

 お、っと思った点。

私は父の翻訳以外は(略)素晴らしいと思ったことはない (p227)

ドーデなどの翻訳がいいそうです(p235) 

 なぜなら

小説は理屈が前面に出すぎていた (p239)

 

最初の一行を書く時に、既(も)う、その小説の最後の一行が作者にわかっている、というようなところがある (p240)

 

 

 茉莉さんからすると、鴎外は小説で情緒を描けなかった。

 で、翻訳はその補完だったと。

  三島由紀夫も同じタイプとのご意見です。

 

 自分の感想と重なるところがあって嬉しい。

 でも私はそれを鴎外の欠点とは思いませんが。 

 

 

 

 「恋愛をしなくてもいい」と思うほど父を愛したことは、茉莉さんにとって不幸な面があったのではと勝手に考えていたのですが(たとえばp109)、下衆の勘繰りでした。

 鴎外の子供であることに重圧を感じないかという質問された時、それはないと答え、その理由を以下のように書いています。

たとえ子供達が何か書いても(略)父の名を辱める(略)と(略)批評するような事はないと、思っていた。(略)私は世間の人というものを、そんなに意地悪な人々と考えていない (p248)

 世間を絶対的に肯定し、信頼できるものだと思っている。

 このような感情は、十分に愛された人特有の感覚ではないでしょうか。

 やはり、森茉莉さんは幸せだったのかな。

 

 

 

 印象に残った箇所。

 鴎外邸から品川の海が見えたそうで、来客があると二階にあげて景色を見せていた。

 ただ、実際は、よほど天候に恵まれないとさすがに海までは見えなかったそうで、多くの客は見えないのに見えますと答えていたらしい。

 で、奥さんが嫁いできた日、鴎外は彼女を二階に連れていく。

(あの、不忍池の向こうの海が見えるか?)と言った。母は真面目な顔でじっと目を据えていたが、(見えません)と、言った。父は、(お前は正直だ)と、言った。母は絶世の美女であったが父は、母の美しいことよりも、その正直なところを愛した (p176-177)

 

 変に気を遣わない、生真面目な奥さんが微笑ましい。

 そして、鴎外は困ったような笑顔を微かに浮かべて、娘ほど年齢の違う新婦を見つめていたに違いないと思うのです。

 

 

 

 

森茉莉「父と私の恋愛のようなもの」  早川茉莉編

ちくま書店

800円+税(古本550円)

ISBN 978-4-480-43817-0