昨日、本屋で見つけ、面白くて、今日、読み終わりました。

 しかし本作には独特な癖が。

 

 たとえば

 

 九郎右衛門等三人は河岸にある本多伊予守頭取の辻番所に届け出た。辻番組合月番西丸御小納戸(以上は役職:ブログ主注)鵜殿吉之丞の家来玉木勝三郎組合の辻番人が聞き取った。本多から大目附に届けた。辻番組合遠藤但馬守胤統から酒井忠学の留守居へ知らせた(p49)

 

 呆れるほど細かな事実の羅列。

 

 考えてみると、鴎外は医師で軍人、そして官僚。

 なるほど、いかにも医師や役人が書きそうな文章かもしれません。

 

 心理描写もほとんどない。

 「と思った」などの文章は各短編で1-2か所あるかないか。

 ギリシャ悲劇(喜劇)みたいです。

 

 この短編集なら「大塩平八郎」の冒頭、西奉行所の堀なんとかの内面描写がやや詳しい程度(なので、この箇所だけ全体から浮いている)。

 

 じゃあ、面白くないか。

 

 いや、これが驚くほど面白い、

 なんでしょうか、これ。

 

 

 私についていえば、自分の年齢と関係している気がします。

 たとえば「大塩」なら、当時の行政ブロックが動き出す様が、地名、官職と名前、報告が上にあがりそこから物事が動き出す手順が異様なほど細かく描かれることで、これは大ごとだ、大変なことになっている、と「今の私」なら感じられる。

 

 でも大学生のころの私なら、「平八郎は何をどう考えていたんだ?役職ばっかりで、なんだ、この小説」だったと思います。

 

 他の方はどうなのかな。

 ご意見を聞きたいです。

 

 

 興味深いのが、各作品が当時の世相と関係していたらしいこと(解説p319,p324)。

 

 たとえば「大塩」は大逆事件の影響があるそうです。

 確かに鴎外は乱を「覚醒せざる社会主義」とし、平八郎にやや否定的な評価を与えている印象です(p156-157)。

 しかし、この作品、山形有朋への援護射撃だけが意図されていたのか。

 

 医師にして軍人官僚の鴎外は、結果を出してナンボな価値観だったはず。

 大塩の理想的過ぎる発想には違和感しか抱かなかったのではないでしょうか。

 (店焼き討ちに成功するも金品強奪が始まり、一味が失望した表情で眺めるシーンを鴎外はわざわざ描いていますp96)

 

 「堺事件」は一面的な愛国的小説という大岡昇平の批判が有名だそうです。

 関係論文をGoogleでゲットできます。

尾添:大岡昇平『堺港攘夷始末』論 日本文藝研究 2002) 

 確かにそうかもしれませんが、印象に残ったのは切腹に「至るまで」の例によって細かな描写。

 極端な儀式化で、残酷な切腹(立ちあったフランス人、次々と退席。そりゃそうだ)が祝祭のように変質した様が少しは理解できたような気がします。

 

 「護持院原の敵討」

 女性が敵討を成し遂げるという、当時は有名な逸話だったらしいのですが、どこそこに行き、どこそこに寄宿という記述が延々と続く奇怪な小説。

 (1年以上かけて江戸から九州まで出張って、敵討は神田のあたりって家の近くなんかいっ、と私なら笑い話にしたくなりますが、鴎外ですからもちろんそんな下品なことはしません)

 

 

 

 「安井夫人」

 これだけは他の短編とは異質。

 そしてもっとも魅力的でした。

 

 外見は醜いが実直で学者肌の仲平のもとに、当時としては例外的なことに、自らの意志で嫁ぐことを決めた「岡の小町」佐代さん。

 以下引用(少し略)

 

 「御新造様は学問をなさいましたか」

 「いいや」

 「して見ますと、御新造様の方が先生の学問以上の御見識でござりますな」

 「なぜ」

 「あれ程の美人で、先生の夫人におなりなされた所を見ますと」(p216)

  

 と仲平を苦笑いさせるような女性。

 そして鴎外をして

 

 お佐代さんは必ずや未来に何物か望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれてい(た)(p230)

 

 と云わしめるような女性。

 

 鴎外の女性観を垣間見ることができます。

 

 

 

 

森鴎外「大塩平八郎 他三編」

740円+税

岩波文庫

ISBN 978-4-00-360014-2