これまであまり読んでいなかった森鴎外。

 巨大古本チェーンなら100円で買えてしまいます。

 

 当時隆盛の自然主義に掉さす「杯」。

 建設途上のホテルと日本を重ねた象徴的な表現だと思ったら、そうではなかった「普請中」。

 

 木挽町の歌舞伎座から精養軒まで歩くという記述、調べてみると歌舞伎町前に馬車鉄道(?)があり、当時、精養軒は築地にあったので、歌舞伎座から精養軒はすぐ近くでした。

上のHPから引用

 しかも精養軒は明治42年に建て替えられたそうで、「普請中」は明治43年発表だから、執筆当時、本当に建て替ていたのでしょう。

 日本は「普請中」と象徴していると思ったら、本当に普請中で少しがっかり。もちろん、当時の日本の在り方を仮託したのでしょうが。

 

 

 私がもっとも惹かれたのが「妄想」。

 鴎外49歳の作品。

 ほぼ今の私の年齢。

 

 当時、ハルトマンが「最大の哲学」(p59)と持て囃されていたというのは驚きですが、以下の文章は胸にずしんときました。

生まれてから今日まで、自分は何をしているのか。(略)自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後(うしろ)に、別の何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。(略)勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である。(略)この役が即ち生だとは考えれない。背後にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる。(p54-55)

 鴎外が20代のころの悩みですが、執筆時の鴎外の苦しみでもあった。

 自分の心は、まだ元のままである(p66)

 と書いていますから。

 とはいえ「青い鳥を夢の中に尋ねている」(p67)に過ぎないことも、当然わかっている。

 

 

 「百物語」では

僕は生まれながらの傍観者である。(略)社交上尊卑種々の集会に出ていくようになった後まで、どんなに感興が涌き立った時も、僕はその渦巻に身を投じて、心(しん)から楽しんだことがない。僕は人生の活劇の舞台にいたことはあっても、役らしい役をしたことがない。(p96)

 もちろん小説なので一人称が鴎外自身とは限らないのですが、考えてみると鴎外には漱石のように弟子たちに囲まれているというイメージがない。

 

 解説では木下杢太郎の「森鴎外」を引用して、

鴎外は朋党の僻、親分気質の微塵も無い人である。(略)煢然(けいぜん)孤独である。(p346)

 と説明されています。

 荷風も似たことを述べていたらしく、日本人の社交を「乱雑無礼な宴会」と罵っていたそうです。(p349)

 

 

 孤独癖。

 いい年しても解消されない自分への違和感。

 

 鴎外の”中2病”は私にはしっくりきます。

 荷風の鶯の喩えとそっくり。

 

 

 

 

 

 

 

森鴎外「山椒大夫・高瀬舟」

新潮文庫

(中古100円)

ISBN 978-4-10-102005-1