私の中で、瀬戸内寂聴とほぼ同じ括りだった(雑!)宇野千代の初期短編集。

 横光利一が何かの文学賞を逃した時、宇野千代が受賞したということを知り、読んでみることに。

 短編集なのに読み終わったのは、購入して半年後の先週末。

 

 

 読後、印象が一変。

 いたたまれさ。

 強烈な怒り。

 

 

 「脂粉の顔」

 ある場でしか通用しないナルシシズムが弄ばれる。

 しかし弄ぶ女性も「買われ」ている。

 「買っている」男はスイス人。

 スイスは作品発表当時の1920年、大変な貧困状態だった。

 彼もまたアジア人女性を弄ぶことしかできない存在にすぎない。

 

 

 

 「墓を発く」

 行軍する兵隊。嘔吐し、行軍に遅れる兵士。

 学校。流涎し、学校に居場所のない知的障碍児。

 

 学校。県知事の思いつきで行われる教育評価一斉試験に、空しさを抱く女教師。

 

 ある店。青雲の志で朝鮮に移住するが、朝鮮人に殺害された日本人青年。

 ある店。地元の男女に愚弄され、叫び怒る朝鮮人青年。

 

 学校。不正をし、嬰児殺しを「母親相談の解決」と子供達に自慢する教師。

 

 学校。校長に媚びる教師、その教師に媚びる女教師の「俗悪な恋」(p55)の間で、居場所を失っている子。

 家庭。継母と、異母弟の間で、居場所を失っているもう1人の女教師。

 

 小作人。行軍と演習で田畑を荒らされ、家業の手伝いで学校に行けない眼病の子。

 

 精神を病む姉と、死にゆく兄。

 

 連鎖と対照。

 「何から何まで汚穢だらけ」(p55)。

 

 

 

 「巷の雑音」

 「金持のお慈悲でやっと生きてる腐ったような女の奴隷め」(p97)

 「上まえを跳ねるが好い!そしてお前の白紛代と亭主の晩酌の代とを、しこたま溜めるが好い!」(p102)

 「他人を嘲笑して楽しんでいる彼等の下素(ママ)根性を憎んだ」(p117)

 

 「媚びを売ったか」を繰り返し問う(p145-147)

 しかし「すべての家ですべての女が、男に鬻(ひさ)いでいる」ではないか(!)

 「良人の靴音が門先に聴こえる」と女たちは「白紛を塗り紅を」さす(!!)

 「丸髷という貞操の象徴を売」って手に入れた「指輪」をつけて(!!!p 147)。

 

 カフェで働く。

 仲間は「馬鹿女」(p155)ばかりで客も「馬鹿男」(p161)ばかり。

 

 「すべて焼けちまえ!」(p166)

 「『愛する者のためにする』生活は浄い」(p121)と考えながら。

 

 

 

 「三千世の嫁入り」「ランプ明るく」

 実の父親は鬱憤晴らしで暴力をふるう。

 ある母親は自分の息子の放埓な生活のために女性を利用する。

 

 何もしない継母を「愛し」(p180)、「恋愛小説のような会話」を許婚とかわすことを想像する(p210)。

 許嫁は裏切り、父親的なものにすがるしかない(p195-196、197-202,215-216)。父親もまた無力なのに。

 しかし、彼女はそんな父親を愛している(p220、225、250)。

 

 

 

 「老女マノン」

 「私」は脂粉の老女と同じなのか(p265、270)。

 困窮している時、男から金をもらって生きることは醜いのか(p274)。

 このことを正面から考えないと、私は「完全に売笑婦になってしまう」(p275)

 

 一種のメタ私小説。

 芥川龍之介の「葱」への返歌(解説p325)。

 

 

 

 

 華やかな恋愛遍歴と闊達で死なない気がすると述べた晩年の活躍。

 これらとは全くイメージが異なる。

 

 男が描きがちな社会的不正への怒りではない。

 今やPC的に問題な「女流作家」という立ち位置からのジェンダー的怒りでもない。

 自身の生き方に密着した怒り。

 

 数学的な横光(初期)に比べ、描かれている感情の強さに圧倒された。

 

 

 まだナルシシズムを持て余し気味な私は「脂粉の顔」を何度も読んでしまう。

 この読後の不快感。

 

 身につまされる。

 

 

 

 

 

宇野千代「老女マノン・脂粉の顔」

740円+税

岩波文庫

ISBN 978-4-00-312222-8