土曜日にまたもWEBでお勉強。

 仕事と関係しているような、していないような。

 

 大変に刺激的なご講演でした。

  

 

 個人的に期待が大きかったのが、伊藤亜紗先生が登壇なさること。

 

 期待は裏切られませんでした。

 

 内容は水声社さんが文字化(書籍化)なさるようなので、完全に備忘録&感想&思い付きメモ。

 

 

 

 ラバーハンドの実験(本当の腕ではなくゴム製の片腕が見えるようにし、偽物の腕に氷を触らせ本当の腕にプラスチックの塊を押し付けると、被検者は冷たさを感じる)から、人間はやはり視覚優位の感覚をもっているのだなあということ。

 

 ある精神医学者が、自我意識の特徴の一つ:能動性を自己所属性に言い換えているけれど、やはり別かもしれないこと。

 というのも、伊藤先生によれば(おそらく認知心理学で)Sense of Agency、Sense of Ownershipという概念があり、それは先のラバーハンド実験からも明確なように、「私が腕を動かしている」と「この腕は私の腕である」という感覚は別だから。

 

 しかし、よくよく考えると「私」意識とそれ以外の特に身体についての(自)意識は別に考えるべきかもしれません。

 少し考えます。

 

 

 

 伊藤先生のご発表の一文で印象的な表現:「身体は意識をこえる(はみだす、だったかも)」

 

 私なりに言い換え。

 「身体は時間性や空間性をはみだす」

 「身体はいうことをきかないことがある」=メンタルな問題の症状

 無意識を安易に使わずに考えたいところ。

 

 

 

 知らなかったこと。

 植木先生のご発表で西欧における蜂に位置づけ。

 もともと西欧では、蜂を無生殖、自己犠牲、王(かつて女王バチは王バチとされていたらしい)に仕える(忠誠)、分業、という意味で価値の高い存在とされていた。

 例えば、皇帝としての戴冠式で、ナポレオンが羽織っていたマントには蜂の紋様があったそうな。

 

 アリストテレス、アウグスティヌスから始まるこの考え、時代が下るにつれて、利己主義、あるいは「部品の一部」のように低い価値づけに反転していく。
 そして、社会生物学論争などを経て(その後の議論は略)、カストリアディスなどを引用しつつ、今や、人間の世界は生政治どころか、家畜政治になっているかもしれないことを示唆して、ご講演は終了。

 

 政治はフーコーのいう生命管理などとうに超えており、巨大化した(生命)データの管理者が誰かも不明な匿名性のもと、私たちは自分らが培養した物を摂取して生きるという一種のカニバリズムの中で統治されているというご議論でした。

 

 確かにGAFAって、(会社の社長という意味でなくて)データを誰が管理しているのでしょう。

 GoogleなんてWEBボット(ソフト)が「巡回」しているんですよね。気持ち悪っ!

 きっと「マトリックス」のエージェント・スミスの恰好をしているに違いありません(← デジタルに無理解&ただの妄想)。

 

 

 仕事に直接関係ない壮大な社会論でしたが、面白かったです。

 生政治どころではなくなっているって、確かにいつまで1960年代の議論を引きずっているんだって話ですよね。

 

 

 

 最後のフリーディスカッションで、再帰性、利他の話題が出てきてどうなるかなと期待したのですが、あまり広がらず。

 むしろ、伊藤先生のご発表で出てきたクールベの絵やその絵についての議論など、やや美学寄りの議論でした。

 

 再帰性って反省性とも言い換えられて「私」の成り立ちと関係するし、利他は私の仕事の性質上、大変に重要な問題で、もう少し話が広がるとよかったのですが・・・・。

 

 

 でも、これらの話のいつかは何かのヒントになりそう。

 あるいは、ヒントにならなくても十分に楽しめました。

 

 

 

 それと興味深かったのが、伊藤先生がどこかで、ご自分事としてものを考えていらっしゃるのが垣間見えた点。

 だからこそ、ご発表も「大きな話」にならなかった。

 

 これは「具体的」とか、ましてや「役に立つ」とかそういうことではないのです。

 お話の内容は思想的な思いっきり抽象的なことです。

 でも、違うんだなあ。

 

 割とすぐに思いつくのは、目の前の事例から抽象化する思考経路をそのままご発表なさっているから。

 ただ、それだけではない、というか、そんなにベタに事例から考えていなかったです(絵画論から議論が出発することもあったので。絵画でないです。絵画論)。

 

 しかも、どのような質問にもきちんとお答えになっていた(わかんない時のデフォルト:「今後の検討課題にします」がほぼゼロ)。

 常に「考えている」のでしょうね。

 

 自分よりも年下の先生から、知識だけでなく、学ぶ/考える姿勢について教わることがいっぱいありました。

 

 

 自分も、かくありたいです。