”I 've been waiting for you, Obi-One. I meet you again at last. The circle is now complete"
スター・ウォーズ一作目(1977年の方)で、ダース・ヴェイダーが言うセリフです。
「(運命の)輪が今や閉じたのだ」
私にとっての「永遠の名セリフ」の一つ。
これが副題の理由は後半で。
さて、本書。
またも行きつけの古本屋で衝動買い。
他にモーパッサンと樋口一葉の小説も買ったので、読み終わったらブログに書くかもしれません。
でも、一葉の短編集。
読みかけの段階ですでに暗さんたる気持ちに・・・・
で、この本・・・というか「本」といっていいのか・・・・ビジュアル重視であまり情報量がなく、あっという間に読み終わります。
副題にありますが大正(と明治)時代、恋愛がまだ「野合(!)」(p29)と言われていたころのエピソード集です。
写真を眺めながら、あれこれ妄想していると時間があっという間に過ぎてしまう。
非常に楽しい読書タイムでした。
登場する女性は総じて逞しいのですが、私の興味は、むしろこういった女性たちに対して男がどうふるまったかです。
心中しちゃった人を除くと、くっついたり離れたり(北原白秋p12-17)、フランスに逃げたり(島崎藤村p50-55)、教授をやめちゃったり(石原純p78-84)、うまくいかなくなった仕事をお尻を叩かれて見直したり(与謝野鉄幹p38-49)、振り回されっぱなしだったり(竹久夢二と徳田秋聲p132-141)、どういうつもりなのかよくわかんなかったり仲違いしてみたり(有名な谷崎潤一郎と佐藤春夫の件p104-113)、まあ、面白い面白い。
もっとも面白かったのは、やはり平塚らいてう。
らいてうはご存じの通り、森田草平と心中未遂事件を起こす。
その後は年下の奥村博史と事実婚をした。
当時は、結婚しないことはもとより、年下の男性と同居することもあれこれ言われたそうな。
で、そのことを揶揄して奥村は「若い燕」といわれたのだそうです。「らいてう=雷鳥」へのあてつけなのでしょう。
そう、「若い燕」の語源です(p31)。
で、森田草平の写真(p19)。
私は初めて見たのですが、なんだかぼうっとした男だな・・・・というのが第一印象。
それに比べてらいてうの少女時代の写真(p20)。本当に賢そう。
とはいえ、古い写真だし、たった一枚の写真でどうこう言ってはいけない。
では、心中当時を振り返った森田の(私)小説と、らいてうの自伝の一部が掲載されていたので、読んでみましょう。
*森田の(私)小説「煤煙」
<要吉(草平のこと)は朋子(らいてうのこと)に惹かれつつも、どうも彼女がよくわからない>
うん、何しろ<女性は暗黒大陸>ですからねhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12607646723.html。
それで?
<要吉は考えていたが最後につぶやいた。「いや、処女だ。どうしても処女に相違ない」>
・・・・・・え?・・・・・・・・
<(朋子からの手紙を読んで)こうなれば恋愛は知力上の争いに過ぎない(略)機才においても技巧においても、明らかに男がうちやぶられたのだ(略)心の底から屈辱を感ぜずにはいられない>(以上p23)
・・・・・は、はい?・・・・・・・・
気を取り直して、らいてうの言い分を。
*らいてうの自伝
<先生は、これで、わたくしをパッショネートな女だ(略)わたくしがもう処女ではないのかもしれないという疑惑をおこし(略)待合というところにはじめて連れられました(略)まだ待合の機能が何であるかについて、実はよく知らなかったのです(略)先生は(略)寝床に横になりました。「あなたも寝ませんか」(略)わたくしはその瞬間、「そんな要求をわたくしになさっても無駄です。わたくしは女でも、男でもない、それ以前のものですから」というと、先生は声を出して笑い、「女でないなどとあなたにはいわせない、あなたは嘘をついちゃいけない」といったので、わたくしはムッとなりました。先生はわたくしのことをちっともわかっていないのだと思うと急に悲しくもなりました>
・・・・どうですか、この中学生男子のような帝大出身学士と、「大義で死にたい」と考えていた日本女子大出身の女性とのかみ合わなさ。
「私は女でも、男でもない」って台詞、「それ以前」と続くので未成熟さにつなげてしまっているけど、観方を変えると「男女とか性とかそういうことを問題にしているのではない」という、もっともな抗議に聞こえないですか?
私はこの「私は女でも、男でもない」に「青踏」の思想の原型が胚種されているように思います。
というか、このエピソード、可笑しいを通り越して呆れましたが。
ちなみに二人が心中しようとしたとき、らいてうの遺書にはこう書いてあった。
<我が生涯の体系を貫徹す、われは我がCauseによって斃れしなり、他人が犯すところにあらず>
かっこいい!
自分の中にある「生死についての信念、己自身の思想を根拠に死ぬのだ」と。
他人がどうこうではないと。
ましてや恋愛なんかでもない。
・・・てか、やっぱり森田草平はどうでもいいということですね。
それに比べて奥村博史。
周囲にどう言われようと、しかも社会的名声は当然ながら、おそらく能力的にもパートナーには「かなわなかった」かもしれないけれど、そんなつまんないことを気にする様子もなく、成城学園で先生をしながら(教え子に大岡昇平がいるそうです。影山昇:平塚らいてうと奥村博史 成城文芸 174:104-159、2003 PDFで読めます)、ひたすららいてうを愛した。
で、この共同生活が始まって、らいてうは青鞜を伊藤野枝に譲るわけですねhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12579422750.html?frm=theme。
それにしても晩年の二人の写真は本当にほほえましい(p37)。
二人ともそっくり。
精神的につながっている夫婦は、顔つきが似るのでしょうか、姉弟のようです。
この写真をみるだけでも本書の価値があると私は思います。
あとは朝ドラで有名な白蓮と宮崎龍介(p90-100)。
宮崎、お父さん以上に遣り手。
もちろん、吉田鋼太郎・・・・もとい、伊藤伝右衛門も漢(「男」という漢字が似合わない)。
姦通罪にもっていこうと部下たちが大騒ぎする中、「俺が一度は惚れた女じゃ、手出し無用!」と一喝(p100)。
かっこいい!
さて、このブログの副題に戻ります。
なぜ「輪が閉じた」か。
実は、ついさっき、「ハイデガーヤスパース往復書簡」を読み終わったのです。
これで、ハイデガーと恋愛関係にあったアーレント、ヤスパースの弟子だったアーレント、そしてハイデガーとヤスパースの書簡集を読み終わり、私の中で「輪が閉じた」のでした。
感想。
ハイデガーとヤスパースの関係、まるっきりBL。
Boysでないから、おっさんずラブでもいいです。
3つの本を読み終わると、ハイデガー ←→ アーレント → ヤスパース → ハイデガー → ヤスパース → アーレント → ハイデガー・・・・・と延々と続く、やや変則的な輪が見えてくるのです(私だけか?)。
1920年代に二人は初めて会って意気投合。
その後は半端ない量の手紙のやりとりがあります。
しかし、ヤスパースのある著作をハイデガーがしっかり読み込んだ上で誠実に批判するのだけれど、どことなく距離ができる(書簡9)。
とはいえ、超インフレ下で金銭の貸し借りをし(書簡15-16あたり)、「孤独な私」にとって「友情こそ最高の贈り物」と繰り返し伝え(書簡20など)、もっぱらギリシャ時代に関心を向けていたハイデガーはヤスパースの影響を受けて「カントを愛し始めています」(書簡29)と書く。
ヤスパースに至ってはしつこいくらい「会って議論がしたいです」と書いてあって、もうラブレターです。
ところがナチス台頭の1930年代ころから挨拶程度で数行の手紙になり、1936年に手紙は途絶える。
戦後。
1949年にヤスパースから手紙を出してから思索的内容の手紙のやりとりが再開。
しかし、二人の考え方の違いが徐々に明白になる。
「経験」「日常」から離れるのをよしとせず、哲学を人生への問いかけとして捉えなおしたいヤスパース(書簡133、146)。
「根本」「根元」を追求し、哲学の根本的問い直しをしたいハイデガー(書簡145)。
当初は、当時の形骸化した大学を改革する「同士」として熱烈な手紙を書き送る(てか、1920年代の大学批判、読んでいると今にも通じます。これはどういうことなんでしょう・・・・)。
しかし、政治問題やユダヤ人問題が絡んだあたりからすれ違いが起きる。
でも、実は1920年代から互いの哲学観の違いは浮き彫りになっていた。
その違いを二人は、互いに見ないように巧妙に避けていた節がある。
戦後、一方はナチス犯罪への加担で非難されて田舎に引っ込み、もう一方は不本意な勇者扱いにうんざりしてスイスへ移住。
時代的な制約の中で各々思索する条件に差ができてしまい、もともとの差異は取り返しがつかないほどに広がってしまう・・・・。
書簡で読む限り、ヤスパースもハイデガーも自分を人見知りだと書いています。
似た者同士で初めてホントに気兼ねなく話合うことができる相手を見つけた。
しかし、悲劇的なことに価値観が根本的なところでずれていた。
晩年、それを寂しげにやっと認めるヤスパース(書簡151)。
一度は一緒に二人の名前で共著で雑誌を作ろう!と意気込んでいたのに(書簡13)。
読後、なんとも言えない悲しい気持ちになってしまいました。
・・・・という訳でいかがですか、BLがお好きな方。
ハイデガーとヤスパース。
これにアーレントまで入れると1920年代はハイデガーとアーレントの悲恋(不倫だけど)、1950年代はプラトニックな関係性(やっぱり不倫ぽい)が入り込み、アーレントを献身的に支えたブリュッヒャーの話なんかを入れると、本当に複雑な大河ドラマになります。
てか、今日のブログ、まとまりがない?(いつものことですね)
えーとですね、何が申し上げたかったかというと、「悲しい終わり方をする友愛/恋愛は、どこか尊さがある」ということでした。
あ、森田草平は除外しております。
というわけで、私は再びヤスパースを読まなければ・・・・
中村圭子編「命みじかし恋せよ乙女 大正恋愛事件簿」
1800円+税
河出書房新社
ISBN 978-4-309-75025-5
W.ビーメル、H.ザーナー編「ハイデッガー=ヤスパース往復書簡 1920-1963」 渡邊二郎訳
4500円+税
名古屋大学出版会
ISBN 4-8158-0232-7
Biemel vW, Saner H:Martin Heidegger/ Karl Jaspers, Briefwechsel Frankfurt am Main, Piper, 1990