例のものが流行しているため、同じ内容を繰り返し流しているテレビもネットも見なくなった結果、週末の過ごし方が激変。

 朝、起きて朝食後、読書。

 昼、近所でパンを買って、3密にならない近くの公園でぼーっとしながら家族で食事&子供たちと遊ぶ(=軽運動)。

 夜、夕食前後に読書。

 そのまま自然に眠くなる。

 

 なんだか、すっごく長生きしそうです。

 

 

 なので、先週末、ついに「ツォリコーン・ゼミナール」読了。

 未読の方にざっくりお伝えすると、前半1/3はハイデガーが身体について論じる・・・・の前に空間についてあれこれ論じるけど、正直、よく理解できず。真ん中1/3は時間に戻って「存在と時間」のエッセンスをハイデガー自身が解説。残りはハイデガーによるビンスワンガー批判という内容。

 専門にする領域が違うと読み応えのある場所が違うという本でした。

 

 そういうことは序文に書いておいてくれよー、頼むよー。

 前半が、しんどかったよー。また積読になりかかったよー。よく投げ出さなかったよー、エライよー、俺(←自画自賛)。

 

 

 あと、古本屋が久しぶりに開いたので子供たちと出かけたら、気になっていた本を見つけてしまいました。

 カントさんの「人類の歴史の憶測的起源」(「啓蒙について」の同時収載)、ヴァージニア・ウルフの遺作(「幕間」)。

 無茶苦茶、面白かった。

 ウルフについては、いつか「24」のジャック・バウワーとダロウェイ夫人の関係について書きたいです(嘘です)。

 

 えー、それにしても積読本が一向に減る気配を見せません・・・・

 おかしい・・・・なぜでしょうか?(はいはい、次々に買うからですね、ええ、ええ、わかってますとも)

 

 

 

 とはいえ、一冊、読み終わったのが「バロックの魅力」。

 一時、バロックをキーワードにして考えたいことがあって購入し、そのままにしていた本。

 面白くて、あっという間に読み終わりました。ページ数が少ないのもあるでしょうけど。

 

 

 バロックの語源が「歪んだ真珠」なのは有名だと思います。

 でも、マニエリスム(の絵)だって十分に「歪んでいる」し、どう違うのかとか、「歪む」って具体的にどういうことか、ただのオタクの私は知りませんでした。

 

 

 まずバロックとマニエリスムの違い。

 バロック:誇張、比喩の多用、衝撃性、演技性、ただし衝撃は予定調和的に消失

 マニエリスム:同様の誇張や挑発性はあるが、予定調和に収まらない

 という違いだそうです(p27)。ただし、当然ながら境界がしっかりあるわけではない。

 その前のルネッサンスが秩序と調和なので、その反動なのでしょうね。 

 

 

 で、バロックです。

 「歪んだ真珠」はどのような歪み方か。

 「楕円形」と考えられていたとのこと(p50)。

 つまり、中心が二つある。あらゆることがこの二つの対立と止揚からなると。

 あるいは「曖昧さ、不確かさ、不安定性、両義性」(p125)。

 

 もう少し言えば、ルネッサンス的な秩序(円や球)をもった宇宙が崩壊したともいえる(p125)。 

 それは理性の崩壊でもあり、幻滅や厭世観、メランコリーの広がり、ペシミズムの噴出もあったと(p146)。

 

 一見、華やかな時代ですが、根底にはぺシミズムがあったというのが面白いです。

 行き詰まり感で先行きが不透明な時代だった幕末、突然「ええじゃないか」と人々が踊りだしたのと似ているのでしょうか?(違うか)

 

 

 さて、この「二極性」やダイナミズムは、私が本書で知りたかったバロック音楽だけではなく、当然、他領域にも影響しています。

 絵画ではルーベンスが挙げられていますが、ルネッサンスの水平、垂直、対称性に対し、曲線の連続使用、対角線方向への運動が特徴とされています(p137)。

 演劇では劇中劇という形式が盛んになったり(p147)、舞台の形が、中世からルネッサンスは三方向から舞台を囲むか、横幅の舞台を見るというものだったのが、バロック期は舞台が凹型になり、観客が舞台に囲まれるようになった(p143)。

 つまり、どちらが見ているのか見られているのか分からないようなダイナミズムが生まれたといいます。

 考えてみると同時代の日本の歌舞伎の花道もそうですね。あれも客席を囲みますからね。

 さらに建築なら寺院の様式、広場の形などから、垂直・水平方向あるいは現実空間からの「超克」が特徴と(p136)。

 

 面白いのが学問です。

 ケプラーの「楕円軌道」。おお、まさに楕円。

 あと、ウィリアム・ハーヴェイの血液循環説https://ameblo.jp/lecture12/entry-12595624954.html。てか、こんなところでこの名前を見かけるとは。

 二極あるいは動的な点が当てはまるのだそうな(p125)。 

 

 

 

 で、一番面白かったのが第二章のフランス・バロック・オペラについて。

 

 まず知らなかった歴史から(p45-51)。

 ルネッサンス(-1600年):複数の声部は同じ比重

 古典派・ロマン派(1750年ー):最上部=メロディーが主役。その他が伴奏となって追随

 バロック(1600-1750年):最上部と最下部の二つの極がある。下部が通奏低音。この「二極構造の統合」が重要であると。

 おお、なんだかすっきり。

 

 で、二極性は主旋律と通奏低音だけでなく音と言葉の関係もそのようです。

 古典派:音>言葉

 ルネッサンス:言葉(常に同じ内容のラテン語のミサ文を使用)>音

 で、バロックは両者の統合。

 だから、言葉の抑揚やアクセントを効果的に音楽にのせることに注意が向くようになったのだそうな(p96)。

 

 音楽的にバロックでいいのか分かりませんし、オペラでない上にフランスでもないですが、同時代(1727年)のバッハのマタイ受難曲も、言葉の意味と管弦楽の動きがぴったりと併行していますよね。

 コンサートがあると、毎年、なるべく聴きに行っているバッハ・コレギウム・ジャパンのマタイで、鈴木雅明さんが強調なさっている点です。

 私はコンサートで聴きに行くと、その都度の自分の状況によって、泣く箇所が変わります(← 泣くこと前提。あとCDだと泣けない)。

 やっぱり、言葉が(も)大事。

 

 ところで、このバロック音楽の章、私は数枚だけ持っていたリュリを聞きながら読んでいたのですが、初めてバロック音楽の「聞き方のポイント」が分かった気がします(・・・たぶん)。


 

 

 では、バロック的世界観、あるいはその特徴をまとめるとどのようなことが言えるか。

 

 まず贅沢さ(p57)。

 そうは書かれていないけど、蕩尽ですかね。

 祭りのために、広場に水張って海か湖に見立てて、そこに山車を走らせる(p141-142)。

 で、花火あげる・・・って、どこかで聞いたことのある催し物。

 時代は下るけど、ヘンデルさんではないですか。

 

 この蕩尽の理由で一番大きいのが、反宗教改革への反動だったということのようです(p48-49、121、148)。

 つまり「カソリックの逆襲」

 プロテスタントへ流れていく民衆をいかに取り戻すかという意識があったこと(p145)。

 さらに宗教性として、死との近接性とそれの反転としての(?)生の謳歌、つまり、祝祭性が特徴になった(p139-149)。

 

 本書では祝祭性が強調されているので、出てくるエピソードが一々呆れるくらい派手なのですが、なるほど確かに宗教性が重視されているのかもと思ったのが、当時、音楽領域でエコーについて熱心に研究されていたということです(p81)。

 「見えない」音で空間が「満たされる」ことって、おそらく「(見えない)神の存在をあまねく感じる」ということですよね。

 

 それから同様に死との近接性から、夢幻性や幻想性も特徴だったといえると(p147、149)。

 

 最後、特にフランスの場合ですが、国家意識の形成や象徴としてこのような祝祭性が利用された(p57)。

 確かに。

 私の持っているジョルディ・サヴァールのリュリのCD、(主人公の体で、ホントは)ルイ14世の行進曲から始まったりするし。

 

 

 

 最後、ちょっとへーっと思ったことを3点。

 

 ラモーの「Les Indes Galantes」のインド諸国って、どこのことかなーといつも思っていたのですが、トルコ、ペルー、ペルシャ、アマゾンなのだそうです(p69)。

 あと、galanteもよく「優雅な」と訳されますが、ニュアンスとしては<恋愛における洗練された言動>なので、小穴先生は「かっこいい」とか「sexy」ではないかとおっしゃっています(p69)。

 うーん。

 セクシーって、どこかの若手政治家さんのようです(彼は最近、どちらに・・・・)。

 今なら、なんていうのでしょうか?

 「まじ、ヤバイ」とか?(←・・・まさに「年寄の冷や水」的な・・・・)

 

 

 あと、読んでいて「ええ!!」と大声をあげたのが、カラヴァッジョのナルシスの絵のこと。

 水面に映っている顔の表情、水面を眺めている方の顔と違う表情なんですね!(p159)。

 ご存じでしたか?

 私はこの絵のポストカードを机の上に置いていたのですが、まったく気が付きませんでした。

 今更だけど、俺の目は節穴か・・・・

 

 

 あと、今、断片について妄想中で、以前、光と断片と神性について連想的にだらだら書きましたがhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12592103745.html?frm=theme、光の輝きが神を意味していることって、本書によれば15世紀のフランドルの画家たちが好んだのが始まりのようです。なんでも「神秘の窓」と呼んでいたと(p170)。

 でも、さらにその元ネタがあるはずなんだけどなあ。

 

 

 ああ、早く、週末、来ないかなあ。

 ヤスパースの本も少しずつ読み始めたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

小穴晶子編「バロックの魅力」

2600円+税   193ページ

東信堂

ISBN 978-4-88713-741-7