連日、Twitterで作家の佐藤優を批判している。そのツイッター文を掲載する。
「チュウカクレンの分裂。佐藤優も見抜けないであろう。何のための創価公明評論なのかと思いたくなる。今まで何のために創価学会を論じたかと思う。今まで創価学会を論じた佐藤優も、高市政権の状況に何一つ分かることができなかった。だから、評論家はダメだ。」
「高市首相の予測不可能の政局。どの評論家も状況は読めない。佐藤優も、何のために創価公明賛同を論じたのかと思いたくなる。仮に、佐藤優も、高市批判をしたとすれば、いい加減な眼で見ているようになる。だから、展開の読めない高市劇場だ。評論家もお手上げだ。」
「おそらく佐藤優も、今度の高市首相の予測不可能の政局に、判断を見間違え、考え方も、見誤ったにしか等しいと思う。「評論家を当てにするな」と聞いたことがある。評論家すら、今の高市劇場に、評論不能に陥っているので、佐藤優も、考えにミスが出たと思う。だから、「評論家の言葉を信用するな」だ。」
「田崎史郎の政治予測は全てハズレる事が多いと耳にした。しかし、田崎史郎や佐藤優など評論家も、高市政権に予想しにくく、佐藤優をも考えがハズレるので、どの評論家も信用できない。「評論家を信用するな」とあるが、まさに今の高市政権は、予想できない状況だ。」
「予測不可能の高市政権。佐藤優が例によって創価公明寄りの立場を取り、肩に持つ発言したら、間違いなく、佐藤優の考えに誤りがあったに等しい。佐藤優にとって、最後の判断ミスになる。」
「予測の厳しい高市政権。どの評論家も判断力が厳しい。佐藤優も、判断ミスしたら、最後のミスになりかね得ない。「評論家を信用するな」とあるが、このことを日に日に感じる日々だ。」
「どの創価学会御用達の評論家も、学会賛美するだけで、何一つ高市首相を肯定できない。佐藤優も、高市首相を批判するので、判断力にミスが出たに等しい。「最後の最後で、考えが鈍った。」そう思わざる得ない。「評論家を信用するな」だ。」
予測の厳しい。状況の厳しい高市政権。仮に、佐藤優が、高市首相を批判したとすれば、自分の考えにズレが生じたと言える。佐藤優も、最後の最後で、判断を鈍らせたことになる。最後の不覚ではなかろうか?