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日本で「奨学金」といえば、「日本学生支援機構」の奨学金が一番有名でしょうか。
その奨学金は「貸与型」、つまり、借金です。
成績基準などにより「無利子」の貸与の枠もありますので、通常の有利子の借入金とは異なる性格の場合もありますが、とはいえ借金は借金です。
一方、奨学金には「給付型」の、つまり、「もらえる」ものもあります。
ただ、貸与に比べて少ない。
だから、経済的な理由がある人の場合、貸与型の奨学金を借りて、将来(学校を卒業し、就職してから)返済をするというのが、日本における奨学金を利用した一般的な進学スタイルです。
もちろん、成績優秀者や優れた研究をしている人には「給付」がありますし、学校や研究機関、財団などそれぞれ独自の奨学金制度を持っていますから、一概に、日本の奨学金=貸与(借金)としてしまうのはよくない。
とはいえ、メジャーな奨学金、利用人数が多いものが「貸与型」というのもどうなのか。
そこで、近年は「給付型奨学金」が政治の重要なトピックとなっています。
成績優秀者、熱心に勉学に励み、有益な研究を進めて行く人材にはどんどんお金を回すべきです。そうした人材が経済的な理由で進学を断念するのは、国家の、人類の損失ともなり得ることですから。
だから、誤解を恐れずにいえば、単に目先の「就職に有利だから」という理由で、たいして勉強もしないのに大学進学をしていく人にまで税金を財源にした給付型奨学金を与える必要はないだろう。
世の中には、本当に熱心で優秀だけど、残念ながら学費を払うことができない、とか、貸与型奨学金があるとはいえ、借金であるなら進学を断念して就職をするという人がいるのです。
そうした人にこそ、公的な奨学金は優先的に回るべきだと思うのです。
だから、給付の基準はほんとシビアに設定すべきだと思います。
もちろん、大学にまで進学するというのは、あまり勉強をしていなかったとしても、それぞれの学校の教育課程で一応の卒業認定を受けてきているわけですから、それなりの能力は習得してきているのでしょう。
とはいえ、です。
みなさんの周りにもいると思いますが、大学を卒業していても「そんなこともできないのか」「そんなことも知らないのか」「そんなことも考えられないのか」と思わされることが多々あります。
現在であれば、それなりの大学でも、時々の「テスト」をある程度こなしていけば、進学できてしまうのですから、うまくやり抜く方法なんていくらでもあるわけです。だから、もう本当に「○○大学卒」なんて何の役にも立たない(…というのは言い過ぎでも、それに近い)ことなわけです。
今回、給付型奨学金の話題で、高校の成績基準が提案されていますが、ちょっとうまく立ち回る人間であれば、5段階評価の4以上を取るのはそれほど難しい基準ではありません。
特に、税金を使って「もらえる」奨学金を手にするに値する、勉学熱心で、将来その培った知識や技術などの能力で公を発展させてくれそうな人であれば、なおのこと、その程度の基準はふつうにクリアできるでしょう。
問題は、そうではない人でもそれほど難なく達成できてしまうということです。
教育という世界に身を置いている人間のひとりとしては、多くの人に「良い学びの機会」を得てほしいと思います。きちんと頭を磨き、賢い判断、選択ができるようになる人間が増えるのは、国家や共同体にとってもメリットですし、その当人にとっても良いことだと思うからです。
ただし、一方で、単に大学進学を究極の目的にして、そのための高校進学、そのための成績取得、そのためのテストのスコア、それらだけを目標として日々の勉強をしている人が多数います。そういう仕組みなので、一概に否定しきれませんが、そうした環境では、健全な学びの精神は育ちにくくなります。
一生懸命勉強して、テストで良い点数をとり、良い成績を取っている人の中には本当にきちんと学んでいるという人もいます。が、多くの人は、単にテストの点数が取れている、成績が良い、ただそれだけ、になってしまっています。
もちろん本人や家庭だけの問題ではないですが、そうしたマインドの行きつく先は、偏差値が少しでも上の学校に行き、有名な企業に就職する、というたいへん利己的な、自己満だけの目的でしかなくなってしまいます。
それはそれで個人の勝手と言われればそれまで。
価値観の問題ですからそれが良い悪いは究極それぞれが判断すれば良いだけです。
ただし、私個人的には、そうした人にまで税金を財源とした「給付型奨学金」を渡したくはない。教育に関わる者として、器の小さいことを言っていると思われてしまうでしょうか。
でも、誤解を恐れずに言えば、やはり、明確な目的意識もなく、かつての受験競争時代のように、偏差値至上主義のような考え、良い学校、その先に良い就職しかない人にまで、税金を使って大学に進学してほしくない、というのが私の立場です。
そうした自分が成り上がるだけ、とか、自己満足のためだけ、としか思えないような目的しかない人に、自分が払う税金を使ってほしいかどうか、という単純な話です。私は、それは嫌だという、ただそれだけのことです。
もちろん、ではその規準はどうするべきなのか、という点はたいへん難しい問題です。とはいえ、単に学校(各教員)がつける成績、しかも、平均4以上という規準だけで奨学金が「もらえる」のは、ちょっと甘すぎだと思うのです。
みなさんはどう思われますか?
※これはもう論外
こういう人がいるから現場で真摯に頑張る「先生」の立場までどんどん弱くなるんだよ。