神奈川県公立高校入試の結果発表まであと3日。
泣いても笑ってもついに結果が発表されます。
どんな結果が出ようと、それが現実。
冷たい言い方のように思われる人もいるかもしれませんが、
それが自分の行動の結果ですから、きちんと受け止めなければなりません。
良い結果だった人は、今後の人生の中で、
自分がどう努力をすることで、どのように結果ができるのか、
その貴重な経験値として、これまでを記憶しておきましょう。
仮に、良くない結果だった人も、今後の人生の中で、
自分がどう努力をすれば、望んだ結果が出たのか、
これまでの行動をふり返っておきましょう。
もちろん、入試は自分だけの問題ではないので、
自分が正当に努力をしていても思わしくない結果となることもあります。
しかし、いくら自分だけの問題ではなくても、
自分が圧倒的な努力をしていれば、自ずと良い結果が得られるはずです。
自分が望んだ結果が出ないとき、人はよく「誰か」や「何か」のせいにしてしまいます。
もちろん、そうしたくなる気持ちはよく分かります。
でも、自分が望んだものは、自分がどう思い、どう行動するかによって得られるものです。
「誰か」や「何か」が勝手に持ってきてくれるものではありません。
まだティーンの子ども達には残酷なことかもしれません。
でも、そういう経験を重ねていくこともまた健全な「成長」に他なりません。
だから、上手くいったときはもちろん、上手くいかなかったときも、
きちんと自分の行動とその結果を自分自身で受け止めましょう。
そして、保護者の方は、ぜひお子様を温かく見守ってあげてください。
うれしい結果であれば「よかったね」「がんばった結果だね」と。
良くない結果であっても「この経験をこれからに活かそうね」と。
親や家庭がきちんと帰る場所、安心感を得られる場所であれば、
子どもはチャレンジできます。
何かにチャレンジをするとき、もちろん失敗というリスクはあります。
しかし、自分の力の及ぶ範囲のちょっと先、
少し背伸びをして、手を伸ばさなければ、
欲しいものは手にできないし、成長もない。
だから、僕らオトナがやるべきことは、
子ども達に仮初めの、形だけの安全、安心を与えることではありません。
失敗することも承知して、果敢にチャレンジをさせる。
それを見守り、時に助言し、どんな結果になっても、
笑顔で迎える。
何があっても笑顔で待っていてくれて、
おいしい、温かいご飯があるところ…
家族や家庭があるからこそ、子ども達は自分の目一杯で物事に挑むことができるのです。
今日の『朝まで生テレビ』では、「憲法改正」がテーマ。
放送法、表現の自由などを皮切りに、昨今話題となった「安保関連法」について議論が進んでいます。
すでに「安保関連法」に関する僕の考えは記事にしてきました。
基本的に僕のスタンスは変わっていません。
みなさんは、改めてこの問題どうお考えでしょうか。
僕は、先の話とこの憲法改正の話題は、実は大きく関わる問題だと思うのです。
これまでの日本の憲法や安全保障についての歴史をここでは語りませんが、
良くも悪くも先の大戦後日本はアメリカの核の傘の中で国防というものを考え、
整備してきたのは事実です。
ただし、国際社会との協調ということはあったとしても、
主権国家であれば自国の防衛は、やはりまずは自国で行うのが今のところの世界基準です。
日本にはもちろん自衛隊という自衛のための組織があります。
しかし、このことについても多くの議論がされてきている通り、
政府見解は別として、合憲、違憲で見解が分かれるわけです。
私たちは先の大震災のときにも実感したように、
有事の際に頼るべきは自衛隊です。
護憲派の人も、自衛隊の廃止まで掲げる人はあまりいないでしょう。
学者や政治家の議論は別として、市民感覚としては、
我々は自衛隊を廃止したいとは思わない。
むしろ、自衛隊がいてくれてありがたいと思う人の方が多い気さえします。
それならば、日々命を張って活動する自衛隊員の方々が、
「違憲かもしれない」なんて微妙な立場で良いのでしょうか。
一国民として、彼らを必要する一人の市民としては、
彼らが微妙な立ち位置で活動せざるを得ない現状は、
変えるべきであると考えます。
彼らを認めていないという可能性を残す憲法であれば、
僕は、その改正に大賛成であります。
憲法改正反対という人ももちろんいるでしょう。
先の「安保法案」が反対だという人、廃案にしようという人もいるでしょう。
それは一つの考え、価値観ですから、それを否定するつもりはありません。
ただひとつ。
そういう立場の方に質問したいことがあります。
反対派の人たちの口から明確に聞いたことがないこと。
でも、大事なこと。
「自衛隊は不必要ですか?」
「憲法改正を反対し、安保法に反対するのであれば、
自衛隊を廃止するということですか?」
かりに、自衛隊を廃止するつもりがないのであれば、
自衛隊が必要で、大切なものであるならば、
こそこそっと「解釈変更」とか、技術的な操作してごまかさず、
「自衛隊は合憲ってことで…でも他はダメ―」とか子どもみたいなこと言わず、
ちゃんと憲法に書いておきませんか?
さらに「戦争したくないから・・・」という理由を掲げる人。
戦後70年、日本が戦争をしなかったことを憲法9条のおかげだと本気で言う人。
ぜひ想像力を働かせてください。
果たして憲法改正派は、戦争を望んでいるのでしょうか。
憲法改正の真意は「戦争をするため」なのですかね!?
今のままでいた場合「ならず者」が責めてきた場合どうしますか?
座して死を待つのでしょうか。
いや、そもそも日本人の拉致や領海、領空侵犯などは、ある種の戦争前状態といっても良いほど、主権を侵された事件です。
そういう人は、日本が安易に報復をしないことがわかっているからこそ、そうした行為をしているとも言えます。
つまり、憲法9条があるから、理不尽に国民の生命財産が脅かされる事態が起こるということさえあると考えなければいけないでしょう。
その際に、「自衛隊が要る」と言うのであれば、やはり先の質問の答えがほしいですね。
実際には自衛隊を頼りにしつつ、しかし、議論のうえでは自衛隊を否定するような立場でモノを語る。
僕は、やっぱりそこが納得できないですね。
仮初めの安心、安全は、子どもが自分の足で立ち、
ちゃんと頭を使って成長する機会を奪います。
仮初めの安心、安全は、正当に考えようとする国民を思考停止に追いやります。
思考停止の先に国は、社会はどうなるのでしょうか。
少なくとも「自らの考えを持ち、その考えを表現できる人」を育てたいと思って日々子ども達の学びについて考える人間のひとりとしては、オトナたちが「自らの考えを持たず(誰かの強い・大きな声に乗っかり)、誰かの意見を自分の意見のように拡散する人」になってしまっている事態には大変憂慮しています。
いつかも書きましたが、子どもが混乱しています。
変なレッテル張りばかりの人。
否定するだけで対案のない人。
そういう方の意見は「声が大きく」「耳障りが良く」「理想的な」言葉であることが多いようです。
子どもたちは、そうした教科書的な言葉を是とする傾向があるようです。
それだけは教育者としては我慢なりません。
必要な情報、核心部分を隠し、感情や印象操作を巧みにして情報弱者たちを煙に巻くようにして、思考停止、考えのミスリードを起こす。
それだけは、大人として、少なくとも僕はしたくない。
子どもはバカじゃない。
きちんと思考力を培った子どもは、あっさりオトナのごまかしに気づきますよ。
ぜひ子どもに誇れる発言を。
みなさんは、どう思いますか?
僕は、反対派の方への先の質問が明確に返ってきたら、
それが至極まっとうな、納得できるものであれば、
立場、意見を変えることもあるでしょう。
まだ議論の途中。
今の立場、意見に変に固執せず、
事実や見解を正当に交流させて、
みんなでより良い答えを探しましょうよ。