リーンのガラパゴス批評~“この国のかたち”はどこへ行く。 -4ページ目

リーンのガラパゴス批評~“この国のかたち”はどこへ行く。

“3.11”の衝撃を受け、日本は大きく舵を切ろうとしています。この国のかたちを見据えるため、震災と原発について書く時事批評ブログに変身します。文章を書くだけのブログに何ができるでしょうか?

 わがブログで時事ネタの源泉としてとりあげる、BSフジ『プライムニュース』ではさっそく政権を奪還した自民党幹部が招かれて政権運営について語っていた。最後に登場した甘利明・政調会長は原発政策にふれて


「国際基準に照らしてもっとも厳しい基準を当てはめ、それに見合っていれば再稼働する」


 と語った。原発の使用が抑えられている現在、燃料費がかさんでいることを憂慮してのはつげんである。だが、地震国家である日本が身を切るように厳しい再稼働基準を考えなければならないが、老朽化した原発を稼働させるのはかなり危険ではないか。そもそも、機械って代物は完全に止めてしまったものを動かすのは慎重にならざるを得ないものだし、動かすタイミングで壊れやすい宿命があると思うのだが?


 自民党が政権党になったことで、脱原発の道は遠のいた。直接事故の被害に合われた方を除けば、原発問題は日常の政治問題として有権者に響かない。この選挙結果で本当に良かったのか?有権者は真剣に考えるべきではないか。政治に期待するばかりでは、また振り子を戻すように民主党に政権が戻るだろう。


 そして震災が、風化する。


 今回の選挙で落選した中に加藤紘一氏の名前を見つけて非常に驚いた。自民党保守本流の宏池会出身として党の明日を担う方だと期待されていたが、いわゆる「加藤の乱」で離党を思いとどまってから急速に求心力が失われた。そのときに

「大将は動いてはいけません」

 とか言って、離党を思いとどまらせたのが谷垣禎一・前総裁だった。谷垣氏のその時の判断は間違っている。離党を止めたことでボスの政治生命を絶ってしまうということがなぜわからなかったのか。その後自分が総裁になるのだが、ボスを踏みにじって自分がトップに立つとはいい神経をしている。悪い人ではないのだが、この一件以来、どうしても谷垣氏を信頼を持って見れなかったし、加藤氏の声望が失われるのを苦々しく思っている。


 政治家の行動、出処進退というのは即、政治生命に直結するほど怖いものだ。加藤氏はもちろんのこと。そして、民主党に残った議員の中で、現役閣僚が8人も落選するというほど、今回民主党には逆風、それも爆弾低気圧並みの日本憲政史上に残る逆風が吹き荒れた。そして残ったのが57人。大惨敗である。素人に政治を任せたことへの批判、マニュフェストを覆し消費税増税に突っ走ったこと、そして党内の意見調整ができないことを露呈した運営そのものに国民は強烈な審判を下したといえる。それでも、当選した57人にはこれからいばらの道が待っているだろうが、一度政権を担当したことを生かして捲土重来を期すというのは、民主党にとっては泣きたくなるほど厳しいけれども実は悪くないことではないか。TPP交渉参加のことなど政策的には頷けないが、民主党の中で国会に帰ることができた57人のこれからをじっくりと見定めてみようと思っている。ただ、管直人・前総理には眉をひそめているが、結局民主党の弱点は彼のように組織の人間を動かす方法がまったくわかっておらず、典型的な書斎の秀才タイプばかり揃ったのが政権運営に齟齬をきたし、小沢一郎・元幹事長とは肌が合わなかった。だから、民主党には人材を発掘してもらい、実務と人事と組織運営がわかる人間を登用することを真剣に考えてはどうか。今、生き残った57人の次の人材どんな人間があらわれるか。そこを見ていきたいと思っている。


 閑話休題


 新潟では田中真紀子・文部大臣が落選した。越山会の支持もまとまらず、言動にややエキセントリックなところがあるのではなかなかついてくる人がいなかったのだろう。もはや引退してはどうか。

 その田中氏を破って当選したのが長島忠美氏だ。旧・山古志村村長だった方だ。新潟の中部地震の被害の際は陣頭指揮を執って復興に尽力したことをおぼえている。岩手では黄川田徹氏も当選したし、災害の復興に尽力する人が当選したのは、まだまだ日本も捨てたもんじゃないと思う。あたしゃ、こういう人に票を投じたいのだが、何とかならんのかこの選挙制度!!

 総選挙速報を見ながらこれを書いています。自民党が単独過半数を超え、自公連合で絶対安定多数を確保する勢いである。


 自民党が政権を担うということは、反原発が遠のいた、いや敗北といって間違いない。この党には中曽根康弘元首相が活躍したころから原発推進、そして核保有を模索する政策を取ってきた。石破茂幹事長などにそれは受け継がれている。対中国政策などで強気に出たときに、核保有の意思を臭わせることを非常に懸念している。原発を稼働しているということは、潜在的に核保有をしているのとおなじだ。


 自民党が政権の座に長く就いた理由は対米追従路線をした総理が多いことにある。TPPなどは大丈夫だろうか?そして気になるのは、沖縄の選挙区でも自民党候補が当選している。基地問題で結局は米国の意向通りにしてきた党だったのに今回当選した。


 ということは。


 今回の総選挙は、“嫌”民主党の票が自民党に流れただけだ。選挙民はまともに政策を考えずに一票を投じた結果がこの有様だ。衆愚政治、ここに極まれり。


 今回安定多数を取ったとはいえ、自民党は次回の総選挙ではおそらく厳しい戦いを強いられる。政権の座を追われるかもしれない。選挙をするたびに政権党が変わるのではないか。暗澹たる想像が膨らむことをどうしてもおさえきれない。暗夜行路・NIPPON。本当にこの国は大丈夫か?

 結局、今回の選挙では夢のある話がまったく聞かれなかった。おそらく故・田中角栄の「日本列島改造論」以来、将来に思いをはせるような話題というのは誰からも聞くことはなかった。政治家の言葉に対する貧困さと、国会の椅子取りゲームに血眼になるだけで信念を持てない候補ではとても先見の明を働かせることはできないのだろう。


 13日(木)に放映されたBSフジ『プライムニュース』では総選挙の論点として、税と社会保障について掘り下げていた。ゲストとして登場した森信茂樹氏、宮本太郎氏、西沢和彦氏の3氏ともお互いの著作を読んでいたため、論拠を補完しあいながら話をすすめていくため、司会の反町キャスターが質問を掘り下げやすく、試聴する側としては非常に満足感が高かった。録画した放送回を一度、ホームページでの動画試聴も2度3度と拝見するほどで、この3人の著作を読んでみたいと思った。

 ここでふたつのことが印象に残った。


 ひとつは森信氏がいっていた


 労働サービス


 もうひとつは宮本氏がIMFのラガルド専務理事の発言を借りて発言した


 女性の就業率をあげる


 以上の2点だ。


 労働サービスとは、簡単に言えばフルタイムで仕事をしている人に国が金額的に補助を与えるというもの。仕事をしているにもかかわらず年間の給与所得が200万から300万円以下の貧困層は結婚をして生活するのは厳しい。といって企業が給与を増やすと、現在のデフレ下でお金を拠出するのが厳しい現状では即倒産の憂き目を見る。そこで国が少額でも補助をすることによって就業人口の将来を助けようというものだ。フルタイム就業から落ちた人を助けるセーフティーネットとの2本立てで労働意欲を促していこうというものだ。


 そして宮本氏がいう女性の就業率を上げる、というのは子育て支援とも密接にかかわってくる。

「今回の選挙ではどの党もいいませんが、子育て支援は税と社会保障の一体改革にもかかわる目玉商品なんです」

 と宮本氏がやわらかい言質を醸しながらも重要性を力説したことに、この国の将来像の一端を見る思いがした。女性が働く比率を欧米並みにすればそれだけで日本の将来が明るくなるとの意味がある。


 日本は1億総労働時代である。少々言葉が悪いが、就業人口を増やし仕事の内容も性差に合ったものを積極的に取り入れることが待ったなしの時代に入っている。


 東日本大震災の被災民はもちろんのこと、すべての成人にとっても、雇用、というのが切実な時代である。それがより深刻になってきたのが2012年である。ハローワークに行ってもなかなか働き口が見つからない、見つかっても賃金が低く会社が社会保険にも加入していない(加入するほどのお金の余裕がない)ため、保障がないので不安を抱えて働く。賃金保証が一人で生活してやっとのスズメの涙ほどしか得られないため結婚をしる意欲も湧かない。ましてや、被災地では人口の流出が止まらず、サービス業が次々に廃業や就業地の転業という憂き目にあい、子育て世代は住んでいた土地に戻らない事態が進行している。それももともと住んでいた土地では雇用がまったく得られないからだ。


 今、日本はコンクリートから安らぎの時代に突入した。


 コンクリート。日本列島改造論に象徴される箱モノ建設などによる公共投資の象徴ということ。ただただ、国力を上げて無駄な箱モノをつくり、土地取引による狂乱の時代は結局バブルを産んだ。だが、バブルが弾けたあとの失われた20年では公共投資が冷え込み、雇用も、需要も落ち込んだ。私は国による公共事業はむしろ効果を見定めて行うべきだと思っている。国がすることは利益優先に事業を行わざるをえないデフレ下の私企業とちがい、安定した雇用を得られる可能性があると思っているからだ。税金を上げても、それで医療福祉費のすべてが賄えるとは思えない。公的年金だけでなく、労働で得た賃金の一部を自前で積み立てる私的年金も必要になってくる。


 賃金で得られる範囲での納得できる安心をつくることが、政治と官僚が為すべきことではないか。


 政府による強引かつ短絡的な小手先だけの政治に、オバマ大統領の政治的、経済的、社会的変革を目指す恐ろしいほど野心的な政策が加わって悪化したものだと私は思う。良くなるどころの話ではない。


 『億万長者の不況に強いビジネス戦略』 ダン・S・ケネディ著 ダイレクト出版、より


 政治とは野心的に行おうとするほど、意図に反して国を奈落の底に向かわせる劇薬かもしれない。そこを見定めながら、冷静に現在と将来の安らぎを求めて戦わなけれならない。明日は衆議院議員総選挙の投票日。私は仕事があるため、期日前投票を済ませました。この1票がどうなるのか、そしてどんな政権が出来上がるのか、じっくり見ていかなければならない。人気投票になっては困ります。今回の選挙で世の中が動くと思うほど楽観してはいない。将来に向かって、ずっと行く末を見続けていく、その一歩となるのが12月16日なのだと思う。

 消費税、相続税、自動車税!?……。収入あるところに税金は必ず発生する。税金が徴収できなくなったら政治家としての意味がない。税金が取れなかったら官僚や公務員は暮らしていけない。だから、必死になってお金を国民から巻き上げる方法を必死で考える。いっそのこと、国民全体で税金を払うことをやめれば、少しはお上は下々のことを大事に考えてくれるかもしれない。


 とりあえず税金は等しく納めるものだが、税率も等しくあれというのはどうなんだろうか。


 選挙で話題の消費税だが、どうしてすべての商品に一律同じパーセントの税金が課せられるのだろうか。現在の消費税率は5%。たとえば戦線食料品は低い税率にして土地や不動産などの税率を高くする(どの商品にどんな税率がいいのかはわからないのだが)といったことは考えられないだろうか。実際、外国ではそうした複数税率(この言い方は正しいのか?)が実際に行われている。今回はどの党も税率を上げるか据え置きか、といった論議しか提示していないが、いくら税金の論議がわかりにくいからといっても多元的な論議を展開しないのは国民を馬鹿にしていないだろうか。日本の政治風土は未だにワンフレーズを連呼していればいいとは、まったくもって日本は成長しない国なのだと落胆する。


 税と社会保障の一体改革が叫ばれてきたが、今回の選挙で民主党が沈没することにより一頓挫することになるだろう。だが、税金を払いそれを社会保障に充てるだけで国民の医療費などがすべて賄えるはずもない。税金をいくらとっても医療費や介護福祉費用の負担は増大するばかりだ。このブログで時々話題にしたが親の医療費を給料から払えずに私から金を借りている人がいる。まだ全額返金していない。税金を払い保険医療をしようにも治療の方法如何によっては国の医療負担などスズメの涙にしかならない。


 税金で国民を救えない。保険で治療を救えない。どこか国民はあきらめの気持ちを持っているのではないだろうか。専門家の方にもお願いしたいが、こんな諦観を吹き飛ばすような税制を確立してほしいし、それを政治にやらせてほしい。税金論議のむなしさが年の瀬に重くのしかかってくるようだ。


 まとまりのない文章ですが今日はこの辺で。

 日本における原子力発電の火は消えかかっている。敦賀原発の真下に活断層があるという調査結果が明らかにされた。法律では活断層の上に原発を建設してはならないというのだから、早晩廃炉への道が切り開かれる。資源を持たない国が低コストで発電でき、エネルギーを必要とする高度成長の流れに乗って原発は法律上の地層学的制約をものともせず建設されてきた。


 ※ だが原発に使用されるウラン鉱石も立派な資源のはずだ。安全神話といい、資源に頼らない発電方法といい、原発に関しては刷り込みが多い。無批判に何事も信じてはいけないということが原発事故の教訓といえる


 今回の総選挙における原子力発電の是非は、ほとんどエネルギー問題に集約されている。経済発展のために原発は必要、いや現在稼働している原発がわずかなのだから原発なしでも将来やっていける。など。


 だが、原発問題で大事なのは健康問題ではないか。


 健康、それは今回の事故で福島県民が蒙った放射線の影響のことだ。たしかにこの問題は地球に隕石が衝突する確率で起きたのかもしれないほど、微小な確率でおきた事故、かもしれない。だから、安全が確保されればこうした事故は起きないとは考えられる。


 しかし日本の原発は、ほとんどが高度成長期に建てられている。30年ないし40年経っているものが多い。先日の笹子トンネルの事故で明らかになったように、高度成長期に建設されたインフラは老朽化している。ボルト1本の腐食や錆が想像もできない事故を引き起こす原因になる。日本列島改造論の遺産がすべて古びてきているのだ。まして、原発の内部は「配管のお化け」と言われるように、複数の建設会社、ゼネコンといってもいいのでしょうか、が網の目のように原発内部に管を張り巡らして建設した。老朽化した部品を取り換えようにも、内部が複雑すぎて発注もままならずに修理も進まないと想像できる。安全神話に洗脳された現場では見逃されたミスや故障もあっただろうし、明らかにされていない事故も頻繁にあったはずだ。

 原発は制作過程だけを見ても安全の確保がままならない張りぼてである。そして建設から相当の時間が経っていることを考えれば


 福島第一原発のような事故は今後必ず発生する


 と想定しておくことが国家レベルで必要である。


 福島県民の健康は大丈夫だろうか。ネットを介して放射線の影響を書くと、被害を過剰にあおっていると取られる可能性は大いにある。だが、放射線の影響による低線量被曝がないとはたして言い切れるか?健康被害が明らかになるのはこれからだ。きっと政府や医療界は原発との因果関係を否定するだろう。しかし、レベル7に認定された原発事故が起きて、人体に何も影響が起きないとはたしていえるだろうか。そして、ゴーストタウン化した街が産み出されたのに、それでも原子力発電を続けるというのだろうか。日本全体が見て見ぬふりをしている原発の健康被害、事実を隠すことで生まれる差別感情、原発事故が産み出す影響は、エネルギー問題以上に人間の生命そのものに与える影響が甚大なものだ。そして放射線が環境に与える影響も含めて。


 原発の廃炉問題を選挙の争点にするのは低次元なことだ。YESかNOか、と政治家が叫んでも結局は政争の具にしているだけだ。国会議事堂の前で原発反対のデモをする人の方がより問題の本質と切実な感情を露わにしている。財界との癒着を隠してエネルギー問題を訴える政治家のいうことを信用するよりも、国民の意見を素直に反映してはどうか。


 原発問題に関しては政治家の言うことは信用できない。政治問題にするより、即時に国民の意見を反映させるべし!!