7月に弟20歳(知的障害・自閉症)と、TOKIO魂に行ってきた。
弟は幼少期からまともに話せないし、言語の理解にも皆無と言っていいほど乏しいし、行動も普通じゃない。まぁ普通という世の中の境界線がよくわからないのだけれども、気に入らないことがあったら自分の頭や手や足を殴るし、人前で平気で泣いたり怒ったり大声を上げたりもする。
だけど、これは決して偽善ではなく、あたしはそんな弟が心から愛しいと思うのだ。
仕事や遊びから帰ってくると、脱兎の如く玄関まで走って迎えに来る。
「おねえちゃん、ただいま、おかえり」
そう言ってくれる時の弟の笑顔に、あたしは辛さを忘れて本心で癒されるのだ。
これは何の躊躇もなく言えるあたしの本心だが、昔から、弟のことを恥ずかしいなんて思ったことは一度も無い。
偽善と呼ばれても構わない。
だけど本当に、本当にそんなことは一度だってないのだ。
「知的障害」という言葉を聞いて、普通の人はまず“可哀想”“気の毒にね”と思うはずだ。
その根拠は、メディアがそう捉え、そう主張しているからだ。
実際スーパーに買い物に行ったら不思議な顔で見られるし、一緒に歩くと振り向かれる。
それでもあたしは愛しいのだ。すごく優しくて、すごく他人思いな弟が、大好きなのだ。
知的障害というレッテルを貼られ、それでも前を向いて生きている弟を見ると、あたしは本当にいつも心を打たれる。
勿論本人にそんな気はないだろうし、自分の考えていることをどこまで理解しているのかわからない。会話だって成立しない。
だけど、あたしが言いたいのは、「知的障害や自閉症だからと言って、決して可哀想なんて言葉は使ってはいけないのだ。」
少なくとも、障害者の作業所で今は働いている弟は、笑顔で、家族思いで、誰よりも他人を思っていて、前を向いて笑っている。
ただそうしていられることが、彼にとって幸せなんだとあたしは思う。
自分が可哀想だなんて、たった一ミリも弟は思っていない。
他人を傷つけることも、暴力を振るうこともない。
あるのは巧く言葉を発せないくて、うまく伝わらなくて、
悔しさから来る自傷行為だけだ。
手を繋ぐときも、「やさ、し、く。」と言ってはにかむ様に笑う。
そんな弟を、どうして恥ずかしいなんて思えるだろうか?
中学生のときに、「弁論大会」と言うものがあって、
当時から人前で話すことが好きだったあたしは、恩師である先生の勧めで壇上に立つことになった。
「何を話したいか、原稿を書いてきて」
そう言われて、真っ先に浮かんだのが弟のことだった。
どんなに考えてもそれしか、当時のあたしには思い浮かばなかった。
今だから言うが、弁論大会に出場した際には、絶対にそのことを訴えよう、そう思っていたのだ。
案の定、あたしは思っていること、間違っていると思うことを書き連ねて持っていって、多少の直しはあったものの、ほとんどそのままの状態で弁論大会に出場する運びとなった。
タイトルは、「やさしさをありがとう」。
当時、ちょうどうちの両親が、あたしのいる中学校に養護学級を作るために署名活動や知事への懸け合いをしていた。
伝わるかどうかわからない難しいテーマだったけれど、あたしは全身全霊を込めて原稿を読んだ。
偽善と呼ばれても構わない。だけどそれが、当時あたしにできる唯一の世間に対する訴えだったのだ。
沢山の学校が出場している中で、聴衆の中には弟も居た。
幸いなことに、聴衆のほとんどが、あたしの弁論を聞いて涙を流してくれた。
「ああ、伝わったんだ。」という気持ちが、何よりも先にこみ上げてきて、あたしは満足感と共に壇上を降りた。
それだけで十分だった。
トロフィーも賞状も、あたしにとってはどうでもよかった。
ただ、あたしの話が、障害児を持たない親や学生に伝わった、それだけで嬉しかった。
だけど喜ばしいことに、あたしは最優秀賞という名誉ある賞を頂いた。
その伝で、仙台の公演にも招かれ、あたしはより多くの人に障害という本当の意味を伝えることが出来た。
中学生の拙い言葉だから、伝わったかどうかはわからない。
でも、自分の思いの丈を、大勢の人の前で言えるということが、素直に嬉しかった。
トロフィーと賞状は、あたしがもらったものではない。
弟が、懸命に生きてきたことへの勲章だ。
翌年、無事に我が中学校に養護学級が出来た。
2才下の弟とは、一年間一緒に登校することができた。
両親の頑張りが認められたのだと思うと、嬉しくて仕方なかった。
そしてあたしの弁論も、少しはその役に立ったのかなぁ。
そうであることを、願いたい。
何度も述べるようだが、これはあたしの自慢話でも何でもない。
偽善と呼ばれても構わない。
ただ、身近にそういった障害を持った人がいなくとも、歩み寄ることは出来るはずだ。
声をかけることはできるはずだ。
だって、同じ人間だもの。
彼等だけが虐げられるなんて、おかしいと思う。
世界は、狭い。
あたしは、家族にそう気づかせてくれる新司という存在が居て、
心からよかったと思うのだ。