昨日はアッコちゃんもランチタイムに来て、従甥も夕方のフライトで帰宅なので、アッコちゃんに駅まで送ってもらって、私も中学の同級生の集まりに途中から参加!
エンジのシャツをきているのが、アーティストの築地久弥君
築地君の作品が出展されている日本伝統工芸展に行って、皆で築地君を囲んでの懇親会。
私はお先に13日に見てきましたが!(*^-^*)
築地君の個展では、もっと様々な作品が見れるそう。今度は個展に伺いたいです。
あと、知らなかったのですが、この工芸展に出展している作品は買えるそうです。
価格は書いてはいけないのだけれど、担当者に聞いたら価格を教えてくれるそうです。
これを作るのに7か月かかったそう。
大変な仕事だ~。
これは築地君の奥様の作品
奥様のような作品を作れる人は日本では今は限られていると。
私は小学校6年の後半から中2まで父の仕事の関係でアメリカにいたので、中学には1年しか行っていないのです。小学校も卒業証書をもらっていないから、小卒とも言えません( ;∀;)(アメリカでは行きましたが(^_^;))
アメリカではテキサス州のエルパソという日本人学校がない町に3年行くことになり、アメリカに行くまでずっと昔、中学の英語と美術の教師だったマイハハが3ヶ月で中学1-2年の英語を教えてくれて渡米。
アメリカで、当時小学六年生女子の多くは、もうお化粧をしていて、話題はボーイフレンドや流行の音楽やお化粧品のような感じ。その同級生に”This is a pen”なんてマイハハから習った言葉を使っても、"Huh?
(えっ、何?)”と言われそうな雰囲気。
日本製は車はあったけれど、あとは10 セント入れたガチャポンがMade in Japan のころ。
日本も中国もごっちゃ混ぜで、日本から来た私のような子に興味ない人多し。(この時の経験が元で、「日本のことを皆に理解してもらいたい」と日本語教師になることを考えて、なったのです)
でも、どこにでもいるけれど、面倒見の良い優しい子や年下の子が話し相手となってくれたし、頑張って皆の話題に付いて行こうと思ったのでした。
Partridge Family のテレビを観たり(クラスメートはBobby Shermanのファンが多かったけど、私はDavid Cassidy)、ファンクラブに入ってファンクラブ通信を読んだり、漫画のArchiesやPeanutsを読んだりしたのも勉強になったな。
学校では最初は授業についていくのがやっとだったのが、帰宅したらマイハハが日本の参考書の「自由自在」でいろいろと教えてくれて、算数/数学は2学年スキップできるレベルになり、honor roll にも名が載るようになったのは教育熱心なマイハハのおかげ。
帰国したときは中学3年になる前の春休みで、教育委員会から「3年間アメリカに行っていて、日本人学校にも行っていなかったのですから中1からスタートしてください」と言われ、(◎_◎;)
マイハハが頑張って「この子は中学3年生なので、中学3年生に一応入れてください!どうしても付いていけず、どの高校にも入れなかったらまた中学3年生をリピートさせますから!」と教育委員会を説得してくれて、晴れて中学3年生になれ、文京十中の3学年に入ったのでした。
その時のクラスメートが昨日来ていたメンバー。
そしてアメリカ帰りで変わっていたであろう私を温かく受け入れてくれたクラスメート。
家庭科の時間はスカートづくりだったけれど、私は家庭科の2時間をいかに作業しているように見せながらすごすかが大変で、帰宅したら、すぐさまマイハハに縫ってもらい、提出して厳しそうなアパッチというあだ名の先生から「5」をもらったり、数学や英語や音楽でも「5」をもらえたりして、高校にも受かり、無事に中学をリピートせずにすんだのでした。
マイハハにスカートを縫ってもらって、厳しい教師のアパッチに「戦時中の縫い方ね!」と一言言われたものの「5」をもらったことを皆に伝えたら大笑い。でも皆、お母さんたちに縫ってもらっていたことが発覚(^_^;) 一人の友達のお父さんはプロのテイラーさんだから、それはそれはきれいな出来で先生もビックリしただろうなと。
クラスメートは、それぞれ違う仕事に就いて、築地君のようにアーティストになっている人、実咲ちゃんのようにバレエストレッチの人気講師をしている人、年齢的にリタイアしてプロ並みに趣味に集中している人や、まだ仕事を頑張っている人など様々。
でも共通点は中学の時代を一緒にすごしたこと。
私にとってこの中3の1年は、「どうにか追いついて、高校生になりたい!」という思いが強かったので、精神的にもきつかった1年。
でもこの楽しく明るく優しいクラスメートのおかげで、乗り越えられたのだなと、昨日つくづく思いました。
有難い仲間です。




