今回、マイハハの「褒められたい!」心の叫びを知って、カウンセラーの心友のメッセージを通じて、改めて「褒める」ということをじっくり考えることができました。

 

思えば、私自身、親から褒められたことはそんなにないなと。

 

忘れているのかもしれませんが、褒められたことで思い出せるのは、学業のことばかり。

 

小学校で通信簿で5が増えた時

11歳で父の仕事の関係でアメリカに行き、成績優秀な生徒に与えられるHonor roll を取った時

大学院の卒業式の時

 

学業の成果が、マイハハにとっては私を評価してくれる基準だったのは明白で、私は常にマイハハを喜ばせるため(=マイハハから褒められるため)に、いい子でいて、良い成績を取ることを頑張っていた気がします。

 

意外と私の友達も同じような経験をしているので、私達の世代には共通することのようです。

カウンセラーの友達も言っていましたが、私達の親の世代は、戦中派で、私達が想像を絶するような苦労をし、どんなに頑張っても怒られるばかりで褒めてくれる人もいなかった年代だったよねと。

 

ましてや自分のしたいことなどすることは許されず、自分が出来なかったことを分身と考えている子どもに託し、子どもを通して自分の夢を追っているうちに、自分が出来なかったことをさせてあげていて、分身なのだから親の言うことを聞くのは当たり前、というようになっていったのではないかと。

 

私は結婚してアメリカに住んだことで、マイハハの意見に影響されることなく、マイハハから独立でき、本来の自分らしく生き始められた感じがします。

アメリカ人の友達は褒め上手なので、私は友達に沢山褒められたり、ポジティブな言葉をかけてもらえたことで、私も少し自分のことをポジティブに捉えられるようになり、自分がどうしてもしたいことはしてもいいんだなと思うようになりました。(マイハハに38年前、マクロビオテックやオーガニック食品を食べることで新興宗教に入ったと思われて猛烈に反対されたので、もしあの時マイハハに従っていたら今の私はいません)

 

私は最初11歳で父の仕事の関係でアメリカに行った時は、アメリカ人の親が自分の子どもを褒めまくるのに、マイハハは私のことを日本流に謙遜して皆の前で決して褒めることはなく「この子はおっとりしすぎで困ったものです」とか言い、ちょっと恥ずかしかったものです。

 

でも「あんなに褒めると子どもは自意識過剰になって、自分が偉くて何でも出来ると誤解してしまうからよくないわよ」とマイハハは言い、それもそうだなと思ったし、私は皆の前でけなされるのは日本にいたころから慣れているので受け入れられたものです。

(未だに私も家族以外の人に対して自分の子どものことを褒めたたえすぎるのは?と私も思っています。)

 

今となっては、過去を振り返って、どうなんだろうと思ってしまいました。

 

アメリカで自分のしたいことをし、活き活きとしていたと思っていた私ですが、40代過ぎまで自信が持てなかったことを考えると、親にもっと認められて、褒められて育っていたらどうだったろうと思いました。もっと早く自信を持てて自分らしく生きれたのではないかなと。

 

でもマイハハは、分身の私には強く出ますが、91歳になっても本当は自己愛や自信がないのだなと思いました。それゆえ自分を皆の前で誇示し、否定されると激怒したりムッとするのは自信がないゆえで、普通以上に傷つきやすくもろいのだろうなと。

 

 

上っ面の誉め言葉は、わかるから言われると気持ち悪くてひいてしまいますが、本心から言ってくれるちょっとした誉め言葉って嬉しい。

「この料理美味しいね!」とか「その服似合うね~」とか言われただけでもウキウキします。

何歳になっても褒められると嬉しいものですね。

 

 

不安いっぱいの子ども達には自信を早い内から持たせるためにも、頑張っていること、いいことをした時は思いっきり本人に直接褒めてあげた方がいいんじゃないかなと思います。

 

今回のマイハハの「褒めてよ!」の心の叫びのおかげで、マイハハの言動の要因を少し理解できたと同時に、自分の過去も振り返ることが出来、今回のマイハハのタイムマシンの日々は本当にショッキングでしたが、とっても意味があったなと今さらながら思います。

 

全て意味がありますね。

感謝、感謝。