振り返ってみて、今の私は20代までの私と全く別人間なくらいだなと。

 

弱くて、自信がなくて、決断力がなくて、周りの意見に振り回されて、流されていた20代前半の私。

「自分」というものを全く持っていなかった気がします。

 

それが「YES かNOか」、自分の意見をはっきり持たないといけない環境のアメリカに住んだことが私のターニングポイントだったなと。

その土台があって、心がときめいた「マクロビオティック」や「オーガニック」に出会えたことで人生が変わりました。

 

家族や友達から当時、「やめておきなさいよ!」とさんざん注意されても、譲らなかったのはアメリカに住んでいて、私自身が「人に迷惑をかけないのであれば自分の思うことをしてもいいんだ!」と自分を説得できたから。

 

40年近く前、「オーガニック」とか「マクロビオティック」とか「玄米菜食」とか全く一般に知れ渡っていなかったことを実践することで、「新興宗教にはまった」と勘違いして心配されたのも無理はなかったかなと、今では思います(^-^;。

 

このことは、私の中で、どんなに皆から言われても、なぜか譲れなかった。

初めて親に反抗したことかもしれません。

 

とことん突き進めていって、マクロビオティックの桜沢如一氏の愛弟子の方々にも8人にも出会え、お世話になって教えていただけ、アメリカのオーガニック生産者とも仲良くなっていろいろと教えてもらえて、今思えば本当に恵まれていました。

 

そして、知れば知るほど、納得できました。

 

オーガニックに理解を示してくれる友達も徐々に増えていき、父と母も私がマスメディアでオーガニックで取り上げられ始めた1997年頃からやっと理解し始めてくれた感じでした。

今では母は誇らしげに「娘はオーガニックの検査をしているんです」と話しているし。

時代は変わったなと。

 

いろいろな考えがあって、それでいい。

 

社会にいる限り、法律や規律は納得できないことがあっても守らねばだけれど、自分の意見を持っていい、持つべきだと思います。

 

自分の人生は自分の人生。人に迷惑をかけなければ、自分の責任の上で、自分が納得できる生き方をしたい!と思います。

 

この世を去る時に後悔をしないために

 

今はそれが私の生き方のキーポイントのような気がします。

 

いろいろとブログでつぶやかせていただいても(書くことで発散させていただいていてすみません(;'∀'))、母の自宅でのケアは私が選んでしていること。

実は母のためというより、私のためです。

いろいろなケアの仕方があっていいと思います。愛に変わりないと思います。

同居していても常に優しい言葉をかけられなかったら、優しい介護の方々がいて常に看てくださっていて安心できるホームにいる方がいいかもしれません。

 

話は違いますが、55歳でランニングを始めたのは、私はランニングが大嫌いだったからです。

大嫌いなことを来世まで引き継ぎたくないなと思って、ランニングを初めて、フルマラソンまで参加でき、一応、嫌いなこと、苦手なことはクリアできました(^^♪

 

今は母を看取れることが私の課題としてあります。

そのために、私自身、心身共に健康でいたいと思います。