父を4か月前に亡くした母はよく私に

 

「死にたい」

「生きている意味を見出せない」

「昔は活躍していたのにいろいろと出来なくなっている自分が情けない」

「年取って生きていることほどつらいことはない」

と言います。

 

私は、できるだけ母と話を聞く時間を取って(母はずっと一人で話続けられて、これは気づかなかった天性!若かったらDJになれるのではないかと思うほど!)、母に美味しい料理を作って(でも同居して母は4か月で4kg太ってしまって反省(-_-))、母ができるプロジェクトを考えてしてもらって(私がした方がずっと早いけれど...)感謝の言葉を述べるくらいしかできていません。

 

父が生前の頃はまだら認知の父の愚痴を私に泣きながらよくこぼしていたのに、今では父のすばらしさのみが思い出され、「早くパパのところに行きたい」と。(父はまだ一人の楽しい時間を謳歌していたいと思うが...(^-^;)

 

あれだけ買い物や出かけるのが大好きだった母も買い物に少し行くだけでくたびれてしまうので行くのもしぶり、積極的に出かけるのは優しくお話を聞いてくれるお医者様のところ。

家にいると横になって本を読んだり昼寝したり、知り合いや兄弟に電話をかけたり。

デイサービスに行くとリハビリをしていただけて運動できていいと思うのだけれど、デイサービスの時以外は歩くのは避けたい感じ。

 

母も特に大きな楽しみや予定もなく毎日をすごすのは死を待っているようで、つらいだろうなと。

 

「先の予定や計画を立てると楽しみが持ててよい」という記事をどこかで読んで、早速母の89歳の誕生日祝いに小旅行を企画。

それも今では「面倒」と言い出しているので、どうなることやら。

 

あまりに「死にたい」と毎日のように言われても言われる私もつらく、同じような体験を持つ人はどうしているだろうかとネットで探していたら、下記のスッと入る記事を見つけました。

http://hitotsunokai.jp/uchida/8129.html

 

ブログの中の下記のメッセージはなーるほどと思いました。

 

「非言語的コミュニケ―ション」を意識して、論理的に説得することはしない。

論理的に説得するほど本人には理解できないので馬鹿にされているように感じる。

優しい語り口で話す。

経験豊かな人生の先輩として敬意をもって接する。

 

母は父のようにボケているわけではないのですが、明らかに怒りっぽくなり、指摘されるのを嫌います。

特に娘たちに対して切れやすくなり、「今まで冗談でおばあちゃんは受け止めていたのに、おばあちゃんに冗談が伝わらない」と娘たちが嘆いているのは、母はしっかりしているようで老齢化によって、理解度が下がってきているのかなと感じました。

 

娘の夫は本当にできている子で、毎晩孫たちを連れて父の写真と母に「おやすみなさい」の挨拶に来ます。

母はこのことが一番嬉しいと。

 

まだら認知の父に最初は「なぜ!?しっかりしてよ~」と内心苛立ちがあったのですが、父の老いを受け止め、父に心から優しく接せられるようになってから父の私への態度が激変して優しくなったことを思い出します。

 

母の口から「死にたい!」の言葉が出ないようになって、母がたえず穏やかな笑顔でいられるよう、私ももっと心から優しく、母の気持ちをくみとって接してあげたいと思います。

 

子どもの育児は私にとって最高の育自だと思っていましたが、親の介護をさせていただいて、これも究極の育自かなと思う今日この頃です。