叔父のやっちゃんが兄である父のことを気遣ってくれて、頻繁に父の様子を見に行ってくれて、私はどんなに助かっていることか!

 

私にとってまさに救世主!

 

それも「兄貴だもん。僕にできることをしてあげたいんだよね」 ウルウル。


娘達と『絶対やっちゃんおじちゃんは天国に行く!』と話しているのです。

 
このやっちゃんおじちゃんは昔、博報堂という広告会社にいて、アメリカテレビ番組の放映権を日本でいち早く得て、いろいろなアメリカのテレビ番組を日本に持ってきた人。
 
私は当時一日に観れるテレビの時間が限られていたのに、なぜか叔父関連のドラマは全て観るのOKで嬉しかった思い出が!
 
その中でも「夢見るジニー」とか「奥様は魔女」とかで、日本とは全く違うアメリカの生活風景を観れるのはワクワクして楽しみでした。
 
その叔父が「スター誕生」を企画して、いろいろなスターに会わせてもらえたのも嬉しかった。山口百恵さん、桜田淳子さん、石川さゆりさん...。その作成秘話も聞けたし。
 
そのやっちゃんと今回、ゆっくり一緒に話せる時間を持て、「JAL PAK」の名付け親だったり、いろいろなことを企画してネーミング親になっていたことに「へーっ」の連続。
 
「当時は何でも企画が通ったんだよ」 と やっちゃん。
 
「アメリカンコーヒーのもともとネーミング親も僕だよ」
 
えっ!?
 
昭和37年(1962年)に叔父がアメリカに仕事で行った際、『アメリカのコーヒーは飲みやすい!それは日本のコーヒーより薄いからだ!日本の喫茶店でも軽くコーヒーを飲みたい人用にアメリカのような薄めのコーヒーを出せばよい!』 と思ったらしい。
 
と、いうことで、当時、博報堂の人たちのたまり場だった有楽町ビルの2階のロアールという喫茶店の店主に「アメリカン」として薄めのコーヒーを出してくれ!と注文して、「アメリカンコーヒー」が登場したとのこと。
 
ほんと、日本以外、「アメリカンコーヒー」なんて言う表現はないですものね。
 
父のおかげで、叔父と頻繁に会えて、いろいろと面白い昔の話を聞くことは私の楽しみになっています。