私は母親です。


3人の娘がいて真ん中の娘は

多発性奇形

知的障害

弱視

難聴

etc.


でも3人平等に育ててきたつもりです。

時には鬼になり

時には仏になり

それぞれ試行錯誤しながら向き合ってきたつもりです。

完璧なんてないです。

私自身がどれだけ一生懸命に我が子を思って貫いたことは子どもにとってそれが喜びになるかと聞かれれば負担と思うことの方が多いです。

私自身がそうでしたから。

素直に娘たちの声を聞き、受け入れて、どうしたいのか導き見守る。信じる。

それだけでよかった。

それに気がついた時はすでに娘たちも大きくなっていました

結局、私は母親と言う選択をした時に、子供たちより大人でいなければならないと言うプライドで先頭を切ってしまいました。

本当は

共に歩んでいけることが重要だったと。

これからの人生を生きる子どもと初めて子育てする大人がそこからスタートすると言うこと。

1人目でも2人目でも3人目でもスタートは一緒。我が子といえどそれぞれの個性があるのだから。

長女の子育てが三女に当てはまらなかったので軌道修正。

次女はハンデを持っていたので何も当てはまるものがなくで全てが模索状態だった。

あの頃の私は偉かった。本当に頑張って母親業をこなしてきたと今更ながら褒めてあげたい。

ただ、がんばる母親を見てる娘たちも辛かったと思う。


今年29歳になる知的障害をもつ次女さんが暴れ出して早4ヶ月。

精神的にも辛い。

放置してきたわけではない

どうしたらいいのか

どこにすがったらいいのか

わからない

私も辛いが何より本人が一番辛いだろうと。

何を聞いても答えない

聞きすぎると怒り出す

暴れる

それでも作業所には行くので信じて見守る。

とうとう暴れ方がハンパなくなって区役所の障害福祉課の担当に相談するも良い返事はなく、私の母親としての全否定をされた。

限界

病院を探す

無い

そもそも知的障害を診てくれる病院は少ない

ようやく出会えた診療所の予約は1ヶ月後だった。

それまで漢方薬でなんとか抑えてもらって、それでも夜中は手がつけられなくて、、

ひたすらその日を待つ。

後3日!


私は母親業を選びました。

私の喜びは

子どもたちと時間を共有することです。

笑い

怒り

嘆き

泣き

喜び

そんな日常が過ごせたら、そして娘たちも母親である私を受け入れてくれたなら一番幸せでした。

それが次女さんにできなくなって一番悲しい。

母親なのに母親できてない

家族のために仕事もセーブして、介護の仕事が大好きでもっとこの仕事やりたいと思っても、私は母親業と両立したくて介護の仕事も半分。

朝一番に起きて、

お弁当を作り

朝ごはんの用意をして

家族が起きる前にストレッチの体操を20分間

その後洗濯して

掃除して

ようやく自分の朝食

家族を送り出して

今にも暴れそうな次女さんを穏やかに見送り共に職場に向かう。

帰るのもなるべく早く。

買い物してる時間はないのでとにかく17時までには帰宅したい

バタバタと前もって仕込んでおいた食材で夕飯を作り家族の帰宅を待つ

無事に家族が揃って夕飯を食べるが、機嫌の悪い次女さんは1人ダイニングテーブルで食す

みんなと食べたくないらしい

会話がうるさいと。


私は


アダルトチルドレン

HSP

カサンドラ症候群


精神病みます

糖尿病で血糖値が安定しません。

このまま行くと入院と脅かされていて

ドクターは私のこんな気持ちを理解してくれるわけもなくただ結果の数値を見て平気な顔で脅かしてくる。

家族のこんな状態で入院なんてできるわけもなく

もっとストレス溜まるわけで。


毎日飲んでいたビールも週一にしました。

仕事帰りのビールは至福でした

今は炭酸水を飲んでビールを飲んだつもり。


母親失格です。

私に強さを授けてください

弱音を吐いてる私に怒ってください

私はもっともっと強くならなくては!