そもそも私は、、
私の性格は、、
HSP
顔色を見たり、
人が気になったり、
人に気を遣い、
常にアンテナを張って
自分が頑張らなくてもいいのに
盛り上げて
声かけて
無駄な時間を過ごしてきたのかな?
100%無駄だとは思ってないけどね。
あの時声をかけてもらって嬉しかったと感謝されることが多いので。
でも、、
単純に
いい人
で、終わってしまう人間関係。
娘が通った盲学校での親からのバッシング。
世間からは
やっぱり家族に障害者がいるとどっか違うのよと差別を受け
それでもなんとかしようと前向きに頑張ってきた。
仕事でもなんでもくらいつき、必死に頑張る私は上からは認められるものそれが面白くないとやっかみ!挙句に私には無関係な事故を私の責任だとなすりつけられ、、
人間が怖くなった。
3年間引きこもった。
そのタイミングでいろんな病気が発症して入退院を繰り返した。
鬱にもなった
薬に頼りたくなかった。
自力でなんとかふつーの生活に戻したくて精神科の薬を遮断した。
鬱も克服した
仕事復帰した。
あれだけ嫌な思いをした介護職なのにどーしても戻りたくて。
私は間違ってないことを証明するために、自分自身に言い聞かせたかったからまた介護の仕事で学びたかった。
介護の仕事復帰も果たせた。
順調だった。
でも、
根本的なHSPは私自身に植え付けられているため、
また人に気を遣い、
頼まれると断らず、
いい人
に戻っていた。
職場の人と狭い休憩室で1時間過ごせなくなり
他の場所に移動して1人を過ごす。
仕事も無関心な、スイッチを鍛えることにした。
間違ってるであろう業務も気にしない
私には関係のない業務に口を出さない
私は私の正しいと思われる介護の仕事に没頭することにした。
常に無関心。
利用者には関心を。
職員には無関心で。
やり過ごす!
昨日、、ふと思った。
私が1人で他の場所で休憩を取っても、
グループを移動させられても、、、
誰も何も言わない!
そう言うことか。
みんな無関心だったんだ。
人のことなんて気にしない
人のことなんてどーでもいい
だから私がどんなに辛い思いをしててもみんな無関心だったということ。
やられた!っておもった。
私は人を気にかけて、元気のない職員に声をかけ、
人付き合いを大切にしてきたつもりだったが、、
相手はそんなことどーでもよかったんだ。と!
自分が良かれと思ったことは、相手にとって良いとは限らないと言うこと。
全ては自分本位で
全ては自己主張で
全ては偽善者だった
そりゃ疲れるわけだ。
無関心でいることは罪悪だと思っていた。
落ち込んでいる人に声をかけてあげないのは思いやりの無い人間だと思っていた。
少しでも楽しい環境を作ろうと努力していたのは他人からすれば邪魔だったということかもしれない。
無関心は罪悪では無い。
無関心でいることは冷静に判断するための修行だ。
少しずつわかってきた。
今かー!ってちょっと自分のおバカさを実感した。
何も気づかず過ごす人生より
いくつになっても気がつき改直しまた前を向いて進む。
それでいいのかな。
今までたくさん経験したからこそ、今になって気づき。
経験してなかったら何も感じなかっただろう。
ありがたいと感謝して
今日を生きる!
無関心、、それもいいね!
関心を持つ必要のある人に関心を持って思いやれる人間になる!
ちなみに、、
昨日職場で利用者さんと七夕の短冊にお願い事を書いたよ!
『トムクルーズと結婚できますよーに』
あはは!ウケル!
幼稚園児だな🤣
そして今日、3ヶ月ぶりの内分泌科に受診後、
またトップガンを観に行きますよ!4回目😁
自分とって楽しい時間を過ごすと決めました!