私の実両親は今年共に81歳。
電車で2時間ほどの距離。
千葉と神奈川
2人のキーパーソンは末の弟。
私は幼少期の記憶と写真で親の思い出は少なく、親戚のおじおばと居る思い出。
なんでだろう、
おじいちゃんの家にいた記憶
おばあちゃんと毎朝卵を買いに行く記憶
叔母の家で、叔母の生まれたばかりの私の従兄弟のそばにいた記憶
毎晩夜泣きがひどく部屋を真っ暗にして私も黙ってそこにいた。
たまにもらう粉ミルクが嬉しかった。
ぶどう狩りに行った写真には自分両親はいない。
叔父に抱かれている。
写真は、、
おばあちゃんと海水浴
私は小さい時から毎年集まる正月に親戚から『あなたがしっかりしなさい、お母さん守りなさいよ、あんたのお父さんは飲んべで大変なんだから』と言われ続け、、、
そこにいた親戚は父親の兄弟たちで、みんな同じ呑んべだ。
小さい時から叔父叔母の老後は私が見るものだと、、自分で勝手に思っていた。
面倒を見てくれた叔父叔母の為に私はなんでもすると。
が、、、
そんな私の気持ちと裏腹に、、
私を頼ってくれる親戚はいなかった。
もう90を過ぎた叔父叔母たち、、
絶対何か不便なことがあるはずだ、、
子どもは居ない
なのになんで頼ってくれないの?
悲しかった。
財産目当てと思われてる?
ちゃんと話したことがあった。
私は、お金が目的じゃない。
お世話になったお礼をしたい、それだけだから頼って欲しいと。
でも、、
お墓参りもしてきた。
レンタカー借りてみんなを連れてったこともある、なのに、、
誕生日のお祝いも企画してきた、、
ただ、ただ、喜んでもらいたくて。
でも、叔父叔母からは、、、
誰からも連絡がからことはなかった。
私は、、
何が間違ってるんだろう?
遠慮?
あなたは親の面倒も見るんだから、、大変よと、、昔言われたのを思い出した。
私は、、
親より親戚を優先してきた。
私が介護の仕事をしようと思ったのは親を見るからではない。
介護の仕事をして感じたことは、、
介護は長丁場だ。そして、感情的になってはならぬ。
終末を迎える高齢者。認知があろうとなかろうといかに穏やかに余生を過ごしてもらうか、、
だから、親子じゃ難しいとおもった。
どーしても甘えや感情が先に出てしまう。
仕事していても利用者様はスタッフに本音が言えたり、子供たちには言えないのよとか、、いう利用者様もいた
それを生で感じると、親の介護は他人に任せようと思った。
実の娘は世話しない。
そう思っていたから、、
親の介護なんて考えてなかったから、、
おじおばのお世話ばかり考えてきた私は馬鹿だ。
親の面倒も見られない人間に他人様の介護なんてそんな甘っチャるい私は最低だ。
私は、、
自分を、、、、、
ずっと苦しめている。