前回からの続きで、
音楽コンクールの伴奏に立候補した
娘の話です。
うきうきと練習に取り組む一方で、
オーディションについての案内が
後手後手なことに対して、
娘が抱えていたもやもやと不安な気持ち。
それは次第に、
「先生たちの音コンに対する意識が
低すぎる。」
という怒りの気持ちに変わっていきました。
「もう全部嫌になってきた。
伴奏やめたい。」
と言った娘。
そして、「ちょっと来て!」と
私は娘の部屋に連れて行かれました。
(弟におちょくられるのが嫌なのでね笑)
娘は、私から先生に話してほしいと
言ってきたので、何を言ってほしいのか
聞いていきました。
◯結局、オーディションはあるのか
ないのか?時期はいつなのか?
聞く先生によって返答が違うので
混乱しているし、
ちゃんと案内してくれないので、
放っておかれてる感じがしている。
◯すごく楽しみにしていたのに、
先生たちと温度差を感じている。
悔しい、イライラする。
要約するとそんな感じでした。
この「温度差」って、娘が反応しやすい
ところなんですよね。
人は自分が大切に感じていることに
対してほど、傷つきやすいものです。
特に自分と同じように大切にしてくれる
だろうと信頼している人に対しては
無意識のうちに同じ温度で感じることを
期待してしまいがちです。
その分、温度差を感じると
「自分は大切にされていない」
「分かってもらえない」と、
心が受け取ってしまいやすいのです。
そこには、
「分かってほしい」気持ちがあるんです。
昨年は文化祭と部活の試合が重なり
学年合唱の伴奏を打診されたのに
断るしかなかった娘。
悔しさを感じながらも、
来年は絶対弾く、と決めていたんですね。
音コンの練習は二学期からだけど、
娘の中では前回の音コンが終わってから
もう始まっていたんです。
娘の中にはこれだけ熱い気持ちが
あるので、
先生方もきっと同じ熱量で全力で
向き合ってくれるだろうと
期待していたのです。
裏返せば、それだけ先生方のことを
信頼していたということかもしれません。
でも、伝えていない人には
分からなくて当然なんですよね。
「友達は分かってくれていると思う?」
と聞くと、思うのだそう。
「どうなったん?」と気にかけてくれたり、
一緒にムカついてくれたり、してくれる
子がちゃんといるんです。
それは、娘が自分の気持ちを
話しているから。
そのあたりから、娘の意識が軽くなって
きたのが分かりました。
「あー、分かった!なんか分かってきた!
もう大丈夫かも。」
言語化するのは難しいけど、
体感的に安心したのが
私にも伝わってきました。
先生たちは三者面談もあり、
忙しい時期で詳細は決まっていないの
かもしれない。
娘の気持ちを無碍にしているわけでは
ないけど、対応が遅いことは事実です。
「先生にもう一回自分で聞けそう?」
娘にそう聞いてみると、
「やってみる。」と返ってきました。
気持ちが整理できたことで
娘はもう一度先生に聞いてみようと
思えました。
結果は、
はじめに音楽の先生が言ってたとおり
オーディションは二学期。
心が落ち着くと現実は思っていたより
ずっとシンプルでした。
夏休み思う存分練習して、
オーディションに臨む覚悟ができた娘は
すっきりと軽くなっていました。
心の不協和音を敏感に感じとる娘。
だからこそ、一つ一つの出来事が
大事件のようになりやすいのですが、
スルーせずに向き合うことって
大切だなと私に感じさせてくれる存在
です。
この「分かってほしい」は私の中に
根強く居座る意識でもあります。
母の意識は、子供に引き継がれるん
ですよね。
娘という鏡を通して、
自分の心を見ることはよくあります。
「分かってほしい」が出てくると
心の中が忙しくなり現実が見えにくく
なってしまうんです。
そういう時は、まず
自分の気持ちを自分が分かってあげること。
一番の理解者でいてあげること。
それを大切にしていきたいと思っています。
そうしていると
不思議と心が落ち着いてきて、
物事がフラットに見えるようになり
必要な行動が見えてきますからね。
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました![]()



