私はものすごくがんばっている時って
無意識のうちに
自分に我慢をさせていることが
よくあります
そして
我慢させている時って
悲しい、辛い、苦しい、悔しい
そんな感情を感じることを自分に
制限してしまっているんですよね
感じてしまうともうがんばれなくなりそう
自分の中に
そんな感情があることを認めたくない
感じるのも、認めるのもものすごく
怖いので(全部無意識なことですが)
心の奥の小さな箱にぎゅーっと詰め込んで
重たい重たい蓋をのせてしまう
そうして感じないようにして
その感情自体をなかったものにしたり
気づかないふりをしてしまう
自分の中から湧き上がってきた感情を
蔑ろにすることは
自分を蔑ろにするのと同じこと
ですよね
UMIで学ぶまでの私はそんな風に
感情に蓋をして感じないようにしてる
なんて全くの無自覚でした
でも思い返してみると
誰かの一言でぶわっと感情が溢れ出る
という経験が数え切れないほど
あったんですよね
例えば
看護師1年目慣れない仕事に四苦八苦
してた頃、先輩に
「みんなで心配してたんだよ、大丈夫?」
って声をかけてもらった時
祖母のお葬式の後に会った友達が
「無理しなくていいよ、悲しかったら
泣いたらいいよ」って言ってくれた時
結婚式の準備で忙しかった時、父が
「がんばりすぎてるんとちがう?」
って声をかけてくれた時
どれも声をかけてもらったら
堰を切ったように涙が止まらなくなって
優しいこと言われたら涙が止まらない!
って感じていたことだけ
覚えています
辛くて、苦しいことを
うっすら気づきながらもスルーしようと
していた私
優しい言葉をかけてもらうことで
重たい蓋が緩んで閉じ込めていた
私の感情を涙と一緒に感じて
たんだと思うんですよね
しっかり感じたので
当時の感情は消化されており
どれも今思い返すと人の暖かさに
救われたいい思い出となっているんです
支えてくれた人たちに感謝です
でも裏を返すと
この時声をかけてもらっていなかったと
したらその感情は未消化なまま
心の奥底にずっと置き去りのまま
だったかもしれないのです
私の感情は私のものなのに
誰かがきっかけを作ってくれないと
感じられないなんて
とても他人任せで、自分に対して
無責任だし失礼なことですよね
他人に依存するのではなく
自分のどんな感情からも目をそらさず
自分で自分の感情を感じ切ること
それができれば
感情はその都度解放されて
いきます
その繰り返しで
自分が自分のことをわかってくれるという
安心感が生まれて
自分が自分を信頼できるように
なってくるんです
とっても自分に優しくて
暖かい世界です
他人に寄り添うように
自分が自分に寄り添ってあげて
自分が自分を満たしてあげれる
まだまだ練習中の私ですが
そんな世界があることを知り
少しずつそこへ近づいていることが
幸せだなぁと思っています![]()
今日は
優しい言葉をかけられると
泣いてしまっていた私を
考察してみました![]()
今日も最後までお読み下さり
ありがとうございました![]()
