"祈る思い” 『平成24年5月掲載』





◆指導者には何ものかに祈るというほどの真剣な思いが必要である。




みずから何もせずして、


ただ神仏に後利益を願うというようなことは、


人間としてとるべき態度ではないと思う。




また、そんな都合のよいご利益というものはありえないだろう。


しかし、人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、


ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思う時、


そこにおのずと何ものかに祈るというような気持が、


沸き起こってくるのではないだろうか。





それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、


自分なりにそれに準ずるものを設定して願うということもあると思う。


そういうことは、一つの真剣さのあらわれであり、


またそのことによってみずからの決意を高めるという意味からも、


大いにあっていいことだと思う。




まして、指導者の場合は、それが単に自分個人のためでなく、


天下万民のため、多くの人々の幸せのための祈りであり、


それはまことに尊いことであるといえよう。




指導者は何事にもほんとうに真剣に当たることが大切であるが、


その際に、祈るほどの思いになっているかどうか、


一度自問自答してみることも必要ではないかと思うのである。




松下幸之助




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