画面にヒビが入り(防護フィルム越し)、
通常のネット操作は出来ても、通話をすると、
【相手が電話を切る】か【自分が電源を切る】かしないと通話が終了しないスマホで、
この記事を書いております(汗)。
《教訓》
ある意味、スマホの画面は卵の殻の様なものである。
さて、
私め的な今春のセンバツの見所は、
応援団的には、
智弁和歌山【ジョックロック】vs
習志野【レッツゴー習志野】の対決が見たい…
が、例によって、私め仕事の兼ね合いで、
順延が無いと仮定して、準決勝しか都合が付きません。
慣れてるとはいえ、やはりと言うべきか、いささかつらい。
今春の甲子園の神様は、準決勝に、私めにどんなドラマを用意するのか。
私め的に、もう1つの見所は、
高松商と米子東の、23年ぶりのアベック出場で御座います。
《1960年 春 第32回センバツ 決勝戦》
米子東 000 100 000 |1
高松商 000 100 001x|2
私め子供の頃、
その大会で高松商がサヨナラホームランで優勝を決めた、という事だけは知っておりました(もちろん私めが生まれる前)。
紐解くと、
春の大会90回の歴史で、
唯一の決勝戦サヨナラホームラン、
(夏は1977年 第59回 東洋大姫路)
しかも、第32回大会唯一のホームランでもあった、
ちなみに米子東の宮本投手が高校時代に打たれた、唯一のホームランでもあった…。
その米子東の準優勝は、現在に至るまで春夏通じて山陰勢唯一の決勝進出でもあります。
宮本投手も、ホームランを打った山口選手も、
後に共にプロ入りしております。
宮本投手は尼崎出身で、県内の志望校への進学が叶わず、
という事情が有って【野球留学】をする事になったそうで御座います。
春の大会でホームランが2桁になったのは、
第1回を除けば、金属バットが導入された、
1975年 第47回大会以降で御座います。
1950年代まではホームランが出なかった大会が何度か有ったという、今では考えられない、
古き良き時代で御座います。
甲子園の対戦を契機に交流戦を行う様になったというお話は幾つか御座いますが、
高松商-米子東もその1つで御座います。
甲子園での対戦成績は、
《1961年春 準決勝》
高松商4-1米子東
《1965年春 2回戦》
高松商4-0米子東
高松商の3勝で御座います。
うむ……うん、米子東、頑張れ!
高松商も頑張れ!
数年前、職場の鳥取出身のバイト君に米子東の話をした時に、
バ【え!米子東って、メチャメチャ進学校ですよ!?】
私『え!そうなん!?』
というやり取りが有ったのを思い出します。
何はともあれ、甲子園で、54年ぶりの対戦が叶えば、オールドファンには、
否、のみならず、お涙頂戴なので御座いましょうなぁ…。
過去が有って今が有る。
高校野球。甲子園。
甲子園の神様、
今年、2019年も宜しくお願い申し上げます m(_ _)m。