ホームレス小学生 | 秘密基地♡りかちゃんねる

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元大学病院栄養士♡
2020年夏フランス帰り♡りかちゃんの秘密基地にようこそ⭐︎
あなたの大切な身体を生涯築くのは毎日の栄養素♡
食材で内面からの美容に繋ぐ記事書くよ♡
いい子のみんな(大きい歳の子もだよ♡)遊びに来てねっ♪

 

 

 

東京都で

両親共に代々世田谷区の

家系

 

父方は深沢

母方は用賀

 

 

親族も豊かで社長

 

父は出光の船長

母は料理教室の先生

 

 

父が長男、だから私の実家は

棟梁だった祖父が建てた家の

2世帯住宅で生まれ育った

 

車は3台

陽だまり注ぐ暖かい縁側で眺める景色は

春には鶯が歌いに

梅雨は雨上がりの空とカタツムリと紫陽花

夏には花火やプールを広げ

秋の庭園には木の葉と柿が実り

冬には氷柱やカマクラを

 

燕が巣を作ってくれたり

時折雀が家の中に迷い込んだり

隣には梅林があった長閑な美しい場所だった

 

私の兄弟は

長男はダウン症

次男は男が女に、なった

 

私は末娘

 

週のほとんどはお習い事

ピアノ バレエ 水泳 

英語 学習塾 絵画 書道

 

夏期冬期は

International school.

 

可愛いドレスと

シルクの下着に身を包んで

 

高級車に乗り

高級デパートを自慢げに歩く

親のお人形だった

 

クリっとしている二重の目が

父似で瞳の目力の強さ

鼻から下は母にで小鼻と小さい唇

双方小顔

芸能界にスカウトは頻繁で

高級スーパーでご挨拶する仲の

スポーツ選手

芸能人の知り合いからも

お人形さが評判だった反面

母に嫉妬されていた

 

毎週の様に

御用達のレストランに家族の予約の特別席

 

幼稚舎から大学まである

世田谷区の私立学校

順風満帆かと思われますが

 

いつの日からか

7.8歳頃から

家族から罵声と暴力を

振るわれ続けるのです

 

泣き叫ぶことを、諦めた。

私は

お人形、大丈夫。大丈夫。

 

最初は

押し入れ

次に

息を潜めて暗い

天袋に隠れて数日

それでも家から

追い出されていたから

夏の暑い日も

冬の寒い日も

雨の日も雪の日も

 

のちに頑丈な体になる

 

朝昼夕は図書館や電車に乗り

夜の多摩川や

深夜

駒沢公園で野宿

自転車カバーのテントの下がお家

息を潜めて

「見つかる事」

が何より怖かった。

 

空腹感に耐え

冷えた身体で

尿が温かった

 

野良猫と過ごして

野良猫だったんだ

と気づいた

 

幽霊とか虫とか

まったく怖くない

人間のほうが怖い

 

1か月も

お風呂に入れなく

髪はベタ付きフケだらけ

制服も体操服も臭くて

靴下も皮脂で固くなったり

穴だらけ

ボロボロの不潔の汚い子で

 

それが日常で繰り返し続きます

 

幼稚園も小学校も

全て制服だったから

同じ服の様なことないので

周りに気付かれなかったのだろう

 

学校にも居場所がありません

 阻害されて差別されいるだけ、

「不登校気味の不潔でマナーのない絶対泣かない子」

と。

 

名のある家系や

宇宙飛行士の家系も

大変恵まれていたのでしょう

 

結局はこの銀河でも

見て見ぬされる私は不要な存在

 

聞いた事は頭の賢い人は

宇宙か時空かに興味示す

 

給食と

お弁当の日があって

 お弁当の日は

作ってもらえないから

小銭で買ったコンビニの

焼きそばを弁当箱につめて

 

端っこでコソコソ食べていた

 

同級生にお金を借りたりもした

 

給食は当時

その私立学校では

専用の容器で

お弁当の様に男女問わず

同量を配布されていたから

ご飯を食べてなかった翌日

ただただ苦しかった

 

慢性的な栄養不足で

身長は伸びなかったけれど

飛行機のエコノミークラスは

快適だし

 

何より立派に生きる

人々を

見下げなくていいから

これはこれで別に善い

 

運動会や文化祭のイベントは

誰もこないから

競技の時以外は学校のトイレを

行ったり来たりしていた

 

周りは豊かな家庭ばかりを横目に

 

遠足は

不参加か

 

車で送るから、

「土下座しな」と言われてた

 

行ったとしても

ボロボロだし。

 

家の裏に住む幼馴染の

同じ学校に通う男の子にも

いつの日か ずっと無視されていた

 

家を行き来する仲だった

同じ塾に通い一緒に過ごしていたのに。

 

今でも

過去の

濡れ衣を着せされる

悪夢を今でもよく見る

 

全て

罵声

 

 

欧米や欧州は

皆パートナー探し

それは自分の女神を

生まれながらも

幼少から探していて

なぜか4歳児男子の

パートナーだった

 

すぐに隣にきて

 

叔父さんには叔母さん

ママにはパパ

お姉ちゃん達には、彼氏達

ねぇ

僕の側にいて。

ずっとね?みたいに。

ずっと側にいた

小さな王子様

 

 

それまで

関わった

日本人の全ての人は各々の

勝手な気持ち本音と建前に

先入観や損得勘定が強かったから

「関わらなければいい人」で済んで

「何も期待しない自分で死ぬのが

あれほど怖いから感情を殺しながら

生きていた、笑っていた」


 

 

 

 

母に

「おととい来やがれ」

「連れ込まされて

いたずらされて

山奥に捨てられてしまいな」

と毎度毎度同じような言葉を言い

罵倒されていた

7.8歳には

意味もわからなかった

それが、ずっと続きます

 

気が向いた時の

学校の面談の日だけには

「身綺麗にしな」

 

同じ頃には

親戚には

「裸踊りして歩けば金になる」

 

徐々に

わかるように、なります

 

今は

毎度思い出す度に

画面がボヤけてしまいます。

 

私が悲しいよりも

そう言ってしまう側が

悲しいのではと。

 

 

親戚も いつも

門前払い

 

みんな

何処に帰るのだろう

通行人達に思います

 

所詮

見て見ぬフリと

関わりたくない

 

ねぇ、

誰か、

その子を役所とかに相談してあげて。

 

「親も親なら、子も子だ」

と決めつける人達

 

万引きや道を外すといった事もなかった

ただ人の形して早く死を望んでただけで

健康体で何もなかった

誰一人として困らせたくなかった

無を欲していた

 

別の国だと「親は親で」

子供らは例えば

息子でも「彼は彼」

娘でも「彼女は彼女」

として見ている。

 

無知こそ無力の

子供に罪ってある?

この世で

生きてたらダメなの?

 

頼る事を学ばないまま

 

同級生が

何かの募金を募る時も

目の前に

ホームレス小学生生活している子から

僅かな小銭を取り

 

得た「お金」を称賛され

見たこともない誰か知らない他所に使う

 

この世は

見て見ぬふりなだけ

全て

「無情」だと思っていた

 

私立のお金持ちは

ホームレスの小学生なんて

未知の世界なんだろう

きっと

 

のちに

全て仕方ないことだと

知られた事を学びます

 

施設に保護されたのは

やっと15歳

高校1年生になりたての春

 

施設の格子越しで

外が見える時に親子が

手を繋いで歩いてるのが羨ましかった

 

最初は相部屋の隅で大人しくしていた

 

傷ついた天使たちと過ごしていて

何かを悟っていた子、痣だらけの子、攻撃的な子

やんちゃな子、嘘ばかりつく子、外国人とのハーフ

 

みんな「何か」に満たされていない子だった

 

私は ぼーっとしていて「お嬢」と呼ばれていて

図書室に篭ったりピアノを弾いたり教えていた

 

集団生活で自分のことは極力自分でする事が

当たり前で今となれば

学校では教えてくれない

生活力だったり学べていた事が多かった

 

のちに出て

自立をします

 

祖母の遺産を多少なり受け継ぎ

自分でアパートを借り、

学校が終わってから朝まで

ずっと働きながら勉強していた

 

周りの子は

親が学費をだしてくれて

実家暮らしが羨ましかった

 

とても眠かったものだから

授業にあまり集中できなくて

進級も卒業もギリギリだった

 

 

この世が

嫌で嫌で

摂食障害や

様々な事がありました

 

屋根があって

壁があって

温かいご飯と布団があれば

幸せ

 

‥‥

 

 

孤食

 

家族に憧れて

家族アニメ見ながら食べてた

 

シルバニアファミリーで家族ごっこしてた

 

何か違った

 

 固形物が怖くては

吐き続けては食べの

毎日に

入院直前

嫌で嫌で

 

栄養士免許保持者で

大学病院勤務してたから

入院だけは嫌

 

栄養士免許を

持ったのは

施設の姉貴分が

厨房でお手伝い係をしていて

「あたし栄養士になるんだ!

調理師より凄いんだ、でも中卒だから

高卒認定試験受けないとねぇ」

その言葉が

降り注いだから

 

 

全て直感

 

私立学校の先生は長年勤めるから

威厳がある厳しかった担任も

「お前が栄養士ねぇ」と

今まで見てきた中で最高に微笑んでた

 

私の高校の担任の先生は

当初若い女性で

保護された施設の面会室で

泣いていて

私は捻くれていた対応

見栄を張る親譲り行為を

他の大人達や同級生達に

していただろう

気づいたら

 

その

長年の厳しい先生になっていた。

 

 

保護された時に

お世話になった区役所の方に

マクドナルドの

ベーコンレタスバーガーセットを

与えられたので

今でもベーコンレタスバーガーが好きで

辛い事の時食べると元気出ます

 そして

15歳なのに

絵本を託され「後で返しにきてね」

と言われて

家族に私物全部ゴミ袋にいれて

捨てられてしまったし、

全然自立もしていないし

挨拶に行けてないけれど

 

辛さを幸せに変え

嫉妬してきた人生を

嫉妬させられる人生にしたかったから

 

其れは

海外旅行が好き、でもなく

着飾りたい、贅沢したい訳でもなく

会うべくして会えた「人々」に逢えたこと

 

この人達の20年後30年後を見てみたい

だから

私もそんな事を思わす人になって生きたい

こんな

気持ちが湧き上がる事が何より嬉しくって

 

今は誰にも嫉妬しない

自分になれたので解決したのかな

 

 

次回

コロナワクチン接種2回目で

伺うのでご挨拶したいです。

 

ついでというよりかは

ご縁のような

 

本当は等々力渓谷とか

傷が とても深いから

地元を歩きたくはない

 

祖父母の

お墓の場所を教えて貰ってないけれど献花したい

 

まだまだ私は

立派ではないけれど

新しい絵本を持っていくだろう。

 

摂食障害のち

入院直前に

転地療養を

格安で

自分で考え組んでいた

 

より安い航空券を手配し

現地で

サイレンの音が昼夜問わずの

粗末なホステル

スマホ通信費が高いから持たずに

困ったらヒッチハイク

 

それが

始まり海外留学や

ホームステイを得た

 

全ては、経験

 

 

 

父が船長

この世界を渡った

母は料理の先生

その

お皿の世界を築いた

 

今の私が在るのも

其れらが有るから

 

 

この世界中の

父は神様で、

母を女神様だと

 

 

青は自由

白は平等

赤は博愛

 

フランス人

教師ファミリーから学んだ

 

友人達には

認め合う事を

 

親戚からは

揺るぎない絆を

 

祖父母から

温かさに、寛大さ

受け継がせるものに優しさを

 

父母は

守る強さ、知識と誇り 

眼差しに深い愛情を

 

兄弟達には気高さ

受け継ぎ、繋ぐもの

向き合いを

 

子供達には

無垢の天使のような愛くるしさを

 

「ちゃんと言葉にしな」

「どうしたいの?」「目を見て言いな」

 

まっすぐな瞳で

意志を聞いてくれた

 

今まで、ただの

「人の形をしているもの」

「人と関わりを持ってはいけないもの」

だった筈なのに

お人形が入っている箱から取り出すように

息吹を感じる様に沁みた

 

日本で

考え方1つ周りと違うだけで

「変だよ」「個性的」「おかしいよ」

や兎に角見た目に五月蠅い

視野の狭い人たちに

差別的な言葉に視線を受けていたから

 

今更

海外で差別を受けたとしても

別にいいという気持ちだった

 

しかし海外のほうが

差別されたことが一切

なかった

むしろ好意的だった

 

第一言語が違う間柄は

表情だったり雰囲気で察し合うから

本音で向き合うのに最適で

 

私は

内面がいいという訳ではないけれど

内面を見ようと

真剣に寄り添ってくれていた

悲しい事があれば身を手繰り寄せ

「大丈夫」と

頭や頬にキスを

 

命が

この世に在ってもいいんだと

大切にしてくれた

 

ホストファミリーと言っても

たまたま

1人旅で滞在していた

現地での人の少ない海で

朝から昼は泳いでいてたり

海外では吐かないと決めて

離島に行き綺麗な海水で食塩を精製したり

 

滞在場所の側の海で

夕暮れから夜まで

1人黄昏ていて拾われていた為

去年のフランス滞在も

航空券のみで

ホストファミリーやその親族の家なので

滞在費や食費全てかからないでいた

 

出会った当初に海を見ながら

「人生に必要なのは小さいお金と大きい愛」

何か察して言ってくれたのだろう

この教師を信じてみたいと思った

 

初対面で

他人なのに国や

人種も全て違って

 

あなたは地域でも人望が厚く

私は1人の旅人で

悪い人かもしれない

 

食べる事が苦手なのに

もしかしたら

暴れるかもしれないのに

 

なるべく「人」と

関わらないように

生きていた筈なのに

 

話を聞いてくれた

納得するまで全て

 

レストランで最初

固形物を口にした

ガレットの味は

今でも忘れられない

 

女神たちの

手料理も忘れられない

 

命の恩師で

 

教職って偉大だ

あなたが偉大だ

 

その器の大きさ

優しさ

今までの

傷や壁が

解けるようだった

今まで闇の灰色の世界が光がさして虹色に見える様に

 

「私という旅人」が

求めていた先だったのかもしれない

 

 

大人しい私に

毎日度々「幸せか?」確認される

 

「うん」

「それは」

 

「あなた達がいるから」

「手料理美味しかったから」

「景色が美しいから」

「パーティー楽しかったから」

 

この世はいいところで

 

あぁ

いつからか私は

幸せに囲まれてたんだ

言葉で気付かせてくれた

 

ようやく

美しい家族に恵まれた

 

 

って凄く綺麗なんだろう

 

って温かくて

幸せなんだろう

 

言葉

って大切なんだろう

 

慈しみ

って成長なんだろう

 

 

旅人の

あなたは

逞しいと言われてきた

 

異国の地を1人で振る舞える強さ

 

 

日本も

この世界でも

何も変わらない

 

コロナ禍前に会えた事が

奇跡だから

 

きっと

出会えていなかった

この世界は

孤独に苦しみ

お人形の儘だっただろう

 

 

天袋の闇に潜んでた私が

この世界を見たくて

歩んできた日々に

ただただ今は感謝しかない

 

『ありがとう』

 

この身体で

生き抜いてきて

本当に良かった

 

なんて毎日が美しく

綺麗な生活で

恵まれているんだろうと

 

 

ねぇ

起きて素敵な朝だよと

毎日

起こしてくれている様に

 

 

画面ばかりを見ないで

瞳を、

心を、

見てくれた人たちがいるから

 

 

私は 

この世界で1番幸せだ 
昨日も今日も明日も
どこに居ても何していても、変わらない

 

 

もしも

苦しみに明け暮れ

悲しみを背負い辛い人がいる

 

それでも

私達は美しいから

 

報われるようにと心から願うよ。

 

 

 

※この記事につき更新したりします

 

私は

「今の苦しんでいる子達、

施設の子達に

もしも「あなた」に興味があるとしたら

語学教育や広い視野を

教えて育めるのなら

大変だろうけども繋げてみたい。

 

こんな話をすると次元が違うだろう

嘘だろ、波瀾万丈と言われてしまうので

 

『囚われなくてもいい』

との思いで

まとめてみたくて書きました。

私は自分が特別とかは思ってません。

施設の子達とか様々な人々を

見てきているので

日本の都会だと社会や欲の渦

守るものが大きいと思います。

其れでも美しいし成り立つべきものである為

 

私は他人の幸せや不幸を

云々言って愉快に一方的に嘲笑って思っている人達が

わかりません。

 

こんな人生もあるんだよって。

 

今も 

この世界で1番幸せだと打っているし

 

帰国後1年だったり義務教育時代も

正しい文章を満足に学べなかった事もあり

完成させてみたい気持ちがあります。

 

日本での

心的外傷が強すぎて震えや

美しい思い出に縋った儘

逃げ出してしまいたい気持ちがあり

向き合う事に躊躇ってしまうので

少しずつ少しずつ

 

完成させて

 

いつか全て翻訳して

ホストファミリーに魅せてみたい。