そもそも、「自信」とは、自分に対する信頼なので、他人に教えられるものではないからかもしれません。
普通通りにはいかないのだ、一般論はかなぐり捨てて、我が子を見なければいけないと考えたからです。
娘はとてもデリケートで、傷つきやすく、環境や周囲の動揺に影響を受けやすいようです。
「ちがうわよ」と、単に間違えを指摘されるだけで、言葉が攻撃されたように心にささり、立ちすくんで動けなくなります。
親としては、好きなことを見つけ、長じて夢を抱いたときに、自信を持って取り組んでいけるように育てたいとごくシンプルな子育ての指針を持ちましたが、はて、このデリケートちゃんに自信を持たせるにはどうしたらいいものかと、はじめは悩みました。
私自身の子供の頃は、「一家中であなたが一番バカ、どうしようもない」「かわいくない」と毎日のように刷り込まれていたので、自信の持ちようもなく、夢や希望を持つには自分は劣りすぎていて、どうせ何をしてもおろかものの私には何事もなしえないのだと、本当に信じていました。
すっかり大人になって、自分のお金でお菓子作りを学んで、素晴らしい師匠に出会えてから、人生が変わったように思います。
お菓子作りは、家族の他の誰もしなかったので、貶されることがなかったですし、先生は、お前はなんて不器用なのだ!とはおっしゃったけれど、覚えの悪い弟子の私に、時に髪の毛をかきむしりながらも、がんばれ、なんとかなる、と励まし、教え続けてくださいました。お菓子作りを習って、努力を重ねることで、私は初めて自信を持つということが何なのか、理解したのだと思います。
でも、障害がある娘には、辛いことを我慢して続けて行けとは、まだ言えません。多分、今のうちは、辛いことを耐えることによって二次障害が発生し、もっとひどいことになるだろうと容易にわかったからです。
自信をつける方法は人それぞれですが、1番の近道は、親が子供をとびきり愛しんで育てることだと思います。子供の時期にはとにかく、べたべたに甘やかして、膝に乗せて、頭を撫でて、かわいいね、いいこね、がんばっているね、すごいね、すてきね、と繰り返し言って聞かせてやることだと思います。
子供の時に親に受け入れられ、自分には人に愛される魅力が十分に備わっていると肌で感じた子供は、自分を大事にするということはどういうことかを理屈抜きで理解します。それは、何か食べたら歯を磨くという習慣を身につけることと似ています。歯磨きをしないと気持ち悪いと、当たり前のこととして刷り込むことと同じです。
歯磨きのように当たり前のことになれば、自分にできることは他者に対しても容易に行うことができますから、他者を慈しみ、大切に感じ、感じた愛情や素直な称賛を惜しみなく表現する力を、なんの苦労もなく発揮できるようになります。
私の娘はまだ7歳で、今のところは、特別にお勉強ができたり、将来有望な目に見えるきらきらしい才能があるというわけではありませんが、とても優しくて穏やかな美しい心を持ち、それを表現できる人です。
自分に自信がない、自信を持ちたいとお感じになる方は、是非ご自身を愛しんでください。
間に合わないことはないと思います。大人になってからも、自分を愛おしむことは、自信につながると、私は体験的に知っています。