大連での仕事を終えた12月24日、前から行ってみたかった旅順の東鶏冠山と水師営の会見所を訪れました。旅順には6年ほど前にも行きましたが、その時は203高地のみ。そこもとても感慨深い場所でしたが、それ以来、いつかは行きたいと思っていたところでした。
旅順は大連から車で約一時間。東鶏冠山は日露戦争時の激戦地で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にその激戦の様子が詳細に描かれています。ここには当時のロシア軍の堅固な堡塁が今も残り、壁の無数の弾痕や爆破跡が当時の戦闘の激しさを物語っていました。
東鶏冠山全図
水師営の会見所は、日露戦争終結のための両軍の将軍(乃木大将とステッセル中将)が会見した場所です。探すのに少し苦労しましたが、やっと見つけて中へ。
旅順は大連から車で約一時間。東鶏冠山は日露戦争時の激戦地で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にその激戦の様子が詳細に描かれています。ここには当時のロシア軍の堅固な堡塁が今も残り、壁の無数の弾痕や爆破跡が当時の戦闘の激しさを物語っていました。
東鶏冠山全図
またそこには小さな資料館もあり、旅順の歴史に関する展示がありましたが、やはり日清、日露戦争関連について(日本語はありませんでしたが)写真とともに多くの展示がされていました。
広瀬武夫
資料館
資料館内部の展示
児玉源太郎
乃木希典
広瀬武夫
水師営の会見所は、日露戦争終結のための両軍の将軍(乃木大将とステッセル中将)が会見した場所です。探すのに少し苦労しましたが、やっと見つけて中へ。
もともとは地元の農民の家を夜戦病院として利用していたものだそうで、当時の建物は文化大革命で破壊され、今の建物は後に復元されたものだそうです。屋内には当時の写真と文章が展示され、また会見で使われた机や椅子の復元や満鉄マークのついた懐中時計、李香蘭や川島芳子のポスターなども展示されていました。ここでは無料でガイドさんが日本語で説明してくれたので良く分かりました。これらの場所を見ると、こんな遠いところに当時の日本人の生活があったことが不思議に感じられました。
中国の人にとっては自分たちの土地で日本とロシアという外国が勝手に戦争をして「取った、取られた」と言っているのは迷惑至極のことでしょうから、中国人にとって決して愉快な場所ではないでしょう。特に水師営の会見所は日本人しか訪れることのない場所のようで、地元の人にもあまり知られていない場所のようですが、それも仕方のないことだと思いました。でも、祖父が満鉄で働き、母が満州で生まれた自分としては、東北地方はやはり関心の尽きない場所です。その意味で、当時の祖父母や母の生活に少し近づけたような気がした訪問でした。