江戸川大学社会学部ライフデザイン学科3年 領家 悠介


 今回は、フードディレクターの奥村文絵さんにお話を聞いた。テーマは「ごはんをデザインするということ~食のブランディングの立場から」だった。

・フードディレクター

フードディレクターとは、ごはんをデザインする仕事である。料理の盛り付けや商品の写真のデザインに携わったり、雑誌で新しいレシピを紹介したりしている。

また、奥村さんは北海道や東北地方に行く機会が多く、食べる空間、食器、盛り付け、パッケージ、レシピなどによって地域の食材に新しい価値をつけ、産地と都市を結ぶ役割も果たしている。

  同じ食に関わる仕事に料理人があるが、料理人はレストランという固定された場所があり、その中で自分の得意なジャンルの料理を展開していくが、フードディ レクターは家族向けか、単身向けかなどによって、さまざまな場所で幅広い年齢層の食に携わるという点で、料理人より少し自由な立場である。

・奥村さんと遊佐町の出会い

 奥村さんはあるとき、山形県遊佐町に行くことになった。遊佐町は辺りを山と海に囲まれた人口15千人のまちである。それまで、メーカーを通した仕事には関わっていたが、産地と直接関わったことはなかった。奥村さんが呼ばれたのには理由がある。遊佐町は米の産地であり、当時は若い農家が外来種などの3つ の米を作っていた。農家は米を売って生計を立てなければならないので、どうにかその米を売っていきたいと考えていた。そこで、まちの人々が思いついたの が、パエリアを作って売り出すということで、その手伝いをしてほしいと頼まれたのだった。遊佐町はオランダに似た気候からパプリカや紅花などの西洋野菜を 栽培しており、海ではカキもとれるなど、パエリアを作るのに十分な素材があったのである。

  しかし、そこで困ったことが起きた。町の人々はパエリアのことをよく知らなかったのだ。パエリアを作ろうとしているのに、それをよく知らないということに 奥村さんは違和感を覚えた。そこで、本当にパエリアがまちに必要なのか皆で考え、まず遊佐の食をブランディングしようということになった。

・遊佐ごはんと彦太郎糯

  はじめに、遊佐の人々の食に対する考え方を整理した。たとえば、来客があればおいしい水を出す、ご飯は炊きたてを出すなど、当たり前にしてきたことを価値 として認めることから始め、それらのおもてなしを遊佐ごはんと名づけた。そして、次のステップは遊佐の良さ、米の良さを外に広めていくことだった。そこ で、都市に住む食のプロに向け、遊佐の米を使った試食会を開いた。これが好評を得て、マスコミや料理研究家によって評判が広められ、ついには百貨店の伊勢 丹から米を売りたいというオファーが来るまでになった。これは大きなチャンスであったが、農家にはどうやって米を売るかという形を持っていなかった。百貨 店で商品として売っていくためにはパッケージや資金をどうするのかといった構想をしっかり練る必要がある。

 そこで、奥村さんはアートディレクター、グラフィックデザイナーと3人 チームを組み考えた結果、彦太郎糯という名のもちを商品化することになった。数ある商品のなかから、彦太郎糯を買ってもらうにはどうすればよいのか。話は もちの個性をどう作るかに進展していった。商品には高い品質だけではなく、それが持つ物語性や生まれた背景を伝えて、消費者に共感を与えることも大切だ。 そんな中、彦太郎糯には在来種復活という物語性があった。彦太郎糯に使われる糯米の稲は、もともと東北全土に広く普及していた在来種であったが、稲丈が長 く、効率が悪かった。さらに、農業の転換期と重なりこの稲は廃れてしまった。しかし、その後当時32歳だった農家の人が、試験場から稲を持ち帰り復活したという逸話がある。

  また、パッケージも遊佐の郷土性や稲作文化を表現するようにと、稲穂を巻いておみくじ型にした。人の体温を残し、整理しすぎないモチーフにするよう心がけ た。地元の人々は、自分たちにとって初めての商品である彦太郎糯のデザインに不安を抱いていたが、評判は上々で、今年度のグッドデザイン賞にエントリーさ れた。

と ころが、彦太郎糯が売れても、農家にお金がほとんど流れてこなかった。しかも、生産から梱包まで一連の作業を行うのも農家の人々であり、負担は大きい。逆 に生活が苦しくなっているとの声も聞かれ、このままでは継続して販売できないのではないかと懸念されている。これらは遊佐町や彦太郎糯の将来を考える上 で、解決していくべき課題である。

・感想

今 回のお話を聞いて、まず食べることとは何なのかと考えさせられた。今までは何かを食べて満腹になるならそれでいいと思っていて、何かを食べる瞬間や空間の ことまで考えたことはなかった。これからは、一緒にご飯を食べる人、空間を大切にして、時間を楽しみながら食べられたらいいと思う。

また、モノのデザインでは、商品とどう出会ってもらうか、出会ったことによって何に繋がるのかということまで考えてはじめて完成するのだということが分かった。

彦 太郎糯によって農家が得る利益の少なさと負担の大きさを解決していくことが今後の課題だが、まず米の生産を行う農家とは別に、包装などを別に行う集団を地 元に作ればよいのではないだろうか。そうすれば、農家の負担は少し減ると思う。あとはいかに利益が出るようにするかだが、これは全国各地で販売できるよう にどんどん宣伝していくしかないだろう。たとえば、まち全体を紹介している遊佐いろはを読むと、遊佐が実に多彩な食文化を持つまちなのだということが良く 分かる。そして、この中からひとつひとつ詳しく取り上げていけば、遊佐を知ったきっかけが他のものだったとしても、糯にも興味を持って買ってくれるかもし れない。彦太郎糯がまちの新しいブランドになってくれることを願う。

遊佐町のことを少し知ることができてよかったと思う。