NHKのニュースから、一気に話題になりました。
宮内庁は打ち消しをしていますが、いちおうは打ち消さないといけない事情もある様子です。
詳しくは、毎日新聞のニュースサイトに。
http://mainichi.jp/movie/video/?id=5035094451001
要は、皇室典範の改正は国会で議論をしないとできない。
天皇陛下は政治的な主張はできないから。
なので、「漏れた」 の意味も、そこから汲み取ることが出来るかと思われます。
仮に、時の政権(特に安倍政権)が突然議論を始めたら、物凄く疑念を招く事になるでしょう。
変に与野党がいがみ合って話が進まなくなります。
陛下のご意志が 「漏れて」 (仕込みなのは察しがつきますが)、それを知った国民の理解がある段階で議論が始まる。 そういう日本式のお作法ということで、よろしいかと思います。
(違うかもしれないけど…)
※国民にご意志をハッキリ示されるかもしれないとも、報道されています。
いちおう、参考までにブロゴスの松田公太氏の記事を添付しておきます。
松田氏の意見は意見として、コメントを参照です。
http://blogos.com/article/183461/
「議論をするなぞ不敬である」とか…そういうの多いですね。(;´Д`)
いちおう私は、神武期以来とされる最古の皇別氏族の流れの名字を持ちます。
そしてもちろん、この手の話は半ばネタであることは承知であり、当たり前です。
でも、そうじゃなくてガチで信仰に励んでらっしゃる人が…結構いるのですよね。
私の名字の由来にすら、クソ真面目に反応する人がいる。(ご年配の方とか、特にね)
自分や、自分たちのルーツに興味を持ったり、内心で矜持を持つのは自由だけど、人生の意味は世襲では決まりません。
(※ 自分で自分の人生を見つめる「意味」です。
「価値」については判断しないほうが好ましいと思います。)
私個人は、宗教右派的な天皇崇拝者やスピリチュアルな神社好きには、とても冷めています。
別の理由で尊敬できると思って尊敬したとしても、そして個人的には神道の多くの部分にシンパシーを感じたとしても、しかし神秘的な何かを畏れて政治的に皇室を持ち上げる傾向には馴染めません。
普通に考えれば近代的な国家観や憲法を受け入れている時点で、天皇の政治的役割は終わりでも不自然ではないはずです。明治期に国家のデザインを誤り、未だに修正ができてない様に思います。
おそらく双剣論のように、天皇を政治的立場から切り離して聖性の権威として存続させるほうが好ましい。逆に政治的に持ち上げ軍備を整えると、必ず責任を問われる事態は発生します。
現状の象徴としてのポジションを維持して曖昧な状態を続けるか、もしくは政教から離れた聖なる存在としての天皇を国民に再認識してもらう方向で行くのか、その選択肢で考えるほうが無難かと思います。
何れにせよ、天皇の生前退位は重要な議論になるはずです。
陛下のご健康のためだけではなく、減少(簡略)傾向にあった祭祀の重要さを考え直す意味でも、議論に値すると思います。