シロウトが政治家を判断する基準 | ふぇりっくす日記

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更新する時間や余力が無ければ、今年最後の日記です。



今年は戦後70年の節目ということもあって、政治的にいろいろな出来事がありました。

この日記も、政治的な記事が多かった…。


日記に引用する記事は、自分が見た中の一部。

もっと様々な情報が見たいのに、時間的に無理だったものも多々。


しかしそれでも、

少ない基礎知識への積み増しを自分なりに頑張りました。


(つかれたw)


ショックだったのは維新分裂。

考えが違って袂を分かつのは仕方ないけれど、

それにしても泥仕合が酷すぎました。


騒動に釣られて関係ない人まで騒ぎ出す始末。

そのみっともなさを見て、絶望を感じずにいられませんでした。


兎に角、情けない。

支持できると思っていて、ああいう幼児性を見せつけられると胸が潰れそうになります。


大阪都構想や安保国会、70年談話よりも、

私には維新分裂騒動がいちばん重たかった。





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本題。



シロウトが政治家を判断する基準。

結局はその政治家が

「政治家以前に、人として信頼できるか否か」


月並みな人間関係論のようですが、やっぱりこれが一番重要だと考えます。


素人がいくら新聞等から情報を得たり、識者の言葉を聞いてみても、

プロとは情報格差があって当然です。


政治家にしか分からないこともあって当然でしょう。


しかしそれを利用して有権者を騙すタイプなのか、

それとも誠実に説明責任を尽くして支持を得るタイプなのか。


素人にとって最も重要な判断材料とは、

つまるところ、政治家の姿勢の差を見極めることにつきます。








何か騒ぎがあって注目された時の動向よりも、

普段からフォローして、日頃どんな発信をしているのか。

その人物がネットで直接発する一時情報に触れておくことは、有力な判断材料になります。


良さそうな政治家を発見したら、とりま、その人の発信を追っかけ続けることは良いと思います。



しかし、一方的な主張を見ても、なかなか本当のことは見えません。


最初に、言ってることが本当なのかという精査が必要になります。

(議論が分かれる部分については置き、事実関係の誤認などについてのチェック)


そして異論者と何をやり取りしているか、または何を避けているか。

なるべく多角的に見ることが、その人を図る材料になっていきます。


特に、避けている部分を見ることで、随分と印象は変わってきます。


維新分裂騒動であれば、橋下氏は米山隆一氏からの批判には、ほとんど答えていない。

それより優先したのは、自分のペースに巻き込みやすく墓穴を掘るタイプである柿沢氏への攻撃でした。見ている側の印象に残るのは、橋下氏の攻めの姿勢です。


それを、彼が選んだ土俵で戦っているために成り立つ「攻勢」とは気づかないままに…。


橋下氏の側にも相当に不都合な情報はあり、米山氏のように糾弾する人もいたのだけど、橋下氏側はそれに触れないことで、説明責任を回避しているようにも見えました。


世間的に注目されるのは橋下氏の発言のほうになります。

厳しい批判を 「なかったこと」 に近い状態に出来る。


普通の人は、発信力がある側が避けていること、メディアが追及しきれれてないことまで観察できません。


米山氏の指摘については、それを記者会見で橋下氏にぶつけた記者もいて、ネットでは記事にもなりました。

しかし大手が取り上げるほどには至らず、橋下氏のペースに振り回された感が強い。


騒動があった時ですら、不都合なことから話を逸らそうと思えば、わりと出来るものなのでしょう。



(※ 維新分裂騒動で、私の中では橋下氏の株はかなり下がっています。

とはいえ橋下氏の発言全体を見て、彼自身が自分のスタイルに対する自嘲も冗談交じりに表明したり、憎めない部分もあります。

記者会見などで批判を吐き出させることは、やっています。

もちろん返答で煙にまくことはあるのだけど…批判を無視まではしていません)








橋下氏の様に注目される政治家でなくても、不都合なことは 「なかったこと」 で済ませる人は、思いのほか多い…。

見てる人がいちど誤魔化しに気づくと、その引っ掛かりが残り続けます。


争点の別れる政治的なイシュー(または係争ごと)になった時、普段から不都合なことを誤魔化す人の言は、あまり信用されません。


有権者は賛否両論を見て、どこが一番良い決着なのか、それなりに悩んでいます。


また週刊誌やネット記事、ワイドショー的な 「ちょっと胡散臭い情報」 を見て、それが本当なのかガセなのか、判断に迷います。







迷ったときに、最終的な判断基準として 「人間として信頼できるか否か」 は非常に重要な要素となります。


普段から嘘や誤魔化しを多用する人に(その人の政策に)、何かを託す気にはなれないものです。


結局、難しい政策の議論になるほど有権者はついていけなくなります。

最終的な判断基準が、わりとシンプルになってしまうケースがあったとして、それは仕方ない事です。







自民党や安倍総理のやり方に批判が多いのは、

「与党だから、時の政権だから」 だけでなく、やはり嘘や誤魔化しが多いからです。



安保国会とか、ほんとに酷かった。

私も大まかな方針は支持できても、手続きや説明責任には、もの凄く違和感があります。


他に良いリーダーがいれば、さっさと変わってほしいのが正直なところです。






安倍政権批判がしたいわけではないので、戻します。

与党や政権は普段から厳しく追及され対応もしているので、それで足りてるとも言えます。

ですから私が問題視する政治家の不誠実さとは、少しニュアンスがズレてきます。



私が問題視してるのは、多くの目立たない(普段は報道などに出ない)政治家です。

彼らが 「人間として信頼できるか」 。

かなりの不信感が募っています。

政治家にとっての 「政治家としての説明責任」 など、たかが大手紙で大々的に叩かれた時に発生するものだと、有権者側も厳しい目を向けておくべきです。


「大手の新聞に書かれれば、釈明する」

「週刊誌に書かれれば、釈明する」

「ネットで批判されれば、それは無視するのか…」


そこに怒ってもいい事例は、結構ある。


もちろんネットの批判も千差万別で、難癖をつけているだけの場合もありますから、それに政治家側がいちいち全部答えるべきとも言えませんが…。









怒ってもいい例として。


たとえば、上田令子都議がデマを拡散してしまい、

その嘘を指摘されても知らんふりを通しています。


これなんかは、政治家側が全くダメと言える事例でしょう。


【(東京都の)行政解剖される不自然死の33%もが医薬品等による薬物中毒死】という誤情報を拡散する都議会議員 上田令子氏。再三指摘されるが…

http://togetter.com/li/848622


私は最近知って、かなりビックリしました。

上田さんって、こんな人だったけ? と。


以前は、この日記で持ち上げていたのですが…。(*´Д`)


猫カフェ報道での上田都議への批判があり、批判をしている動物愛護の方の意見がどれくらい妥当なのか判断がつかず調べていたら(判断がつかないとツイートもしていたら)、この件を教えてくれた人がいました。


(※ 来年以降、詳細を書いていきます。)







「政治家として説明責任を果たす」 について、政治家に期待して任せていてはダメだろ…と思う典型例です。


おそらくネットの批判だけでは上田都議には効かず、週刊誌等に書かれないと何の釈明も説明もせずに誤魔化したまま終わらせるのだと思います。


上の記事は3万人以上に見られており、上田都議のデマ記事を掲載した側(安倍宏行氏)も、ネットで指摘を受けて記事の訂正→不掲載に踏み切っています。

(詳細は上記のまとめ記事で)

コメントも上田都議の事実誤認よりも 「間違いを認めない姿勢」 に対して批判が目立つのですが…彼女は無視を決め込んでいます。 これ、上田都議のデータの読み間違い、事実関係の誤認なので、指摘を認めないのはさすがにダメだと思うんですよね…。


もはや 「人として」 どうなのよ、と思うレベル。






リーダー論の中には 「安易に謝らない」 「非を認めない」 というものもあるのでしょう。

しかし君主制的な帝王学(そこに教訓を得た勘違いビジネスパーソン的なリーダー論)にこだわって、民主主義社会に於ける有権者との信頼関係を壊すようでは、現代の政治家(リーダー)としては失格だと思うのです。





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今回は政治家への判断基準として

「人として信頼できるか否か」 を最も重要であると考え、不都合な件からも逃げずに説明責任を果たす人物であるか否か…。

そこまで厳しく問うべきとの考えで日記を書きました。


人間は誰でも過ちがあるのは仕方ないでしょうし、政治家も人間ですから、ある程度は寛容に見ることも大切かもしれません。


だからこそ、間違いや不都合な事実を指摘された時の対応が一番見られる。

そこでまず 「人として信頼できるか」 が図られます。


ここで落っこちると、その人が何を言っても、さほど信頼されなくなるのですね。


逆に 「この政治家は、いつも正しいとは言えないが、誠実な部分がある」 となれば、あとは政策や係争案件については是々非々で見て行こうか、と思われるものです。





もちろん政治家に対する判断基準は、もっと多様だと思います。


公約を守っているか、きちんと旗を立てて立場を表明しているか、発言や政策がブレていないか、立場を修正するなら有権者に適切な説明が成されているか、政治資金の扱い、発言、その他諸々あるでしょう。


経歴や見た目、キャラクターを重視する場合もあるかもしれません。






しかし、あまりに嘘つきが多くウンザリしているので、そんな私としてはまず、 「人として信頼できるか否か」 が一番重要な判断基準になります。



なんで小学校の道徳の教科書みたいなことを年末に書いてるのだ…と思いつつ。

それが今年見てきた政治家の実態だった。



もう少し、誠実な政治家に増えてほしいものです。