自民党若手議員の勉強会、そこでの言論統制的な問題発言。
脱線していろんなことを考慮すれば見方は多岐に渡るのですけど、「政治権力が言論機関を潰す」 に対しての反応が第一の論点で、与党の傲慢さにきちんとNOが言えることが大切。
まずはメディア側の問題を抜きに、表現の自由を守る原則に忠実か否か。
各人の言動を見て、その見極めが出来るリトマス試験紙的な事件だったと思います。
その意味で、一部のネトウヨや同類の思考形態に拘る大西英男氏、または次世代の和田政宗氏などを除けば、世間の大勢はまともでした。
愛国者ぶってるが、「似非」としか言いようのない偽物が、ハッキリと露呈してきました。
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押さえるべきを押さえた上で脱線します。
「こっちのほうが本質的な議論なんじゃない?」 という話。
極端な右派から見れば、
「本質はリベラル紙の問題、なので潰す必要がある」 との見方になるようです。
(偏向報道・嘘・捏造・報道すべきをしない等々が理由)
一面では当たってるだろうけれど、多分にお門違いの暴論でしょう。
たとえば、
・紙媒体に報道の中立性は求められないこと。
・政治的中立性が求められるTV放送に於いても、メディアが与党にもオファーをかけても議論を欠席すること。(中立性が保ちようがない)
・右派はリベラル紙の誤報や悪質な印象操作を指弾するが、右派メディアも相当数同じ様な事をやっていること。(デマに基づいた個人攻撃では、右派のほうが酷い場合もある)
ちょっと引いて見れば、ネトウヨさんがアホに見えるだけの構図が、わりと多い。
ただし個人的に安全保障に関しては、全体的にもう少し現実的な議論が進むことを望みます。
憲法尊重も、協調外交も必要な事だろうけど、リベラル紙の論調が一面的で甘いと感じることは多々あります。
そういう意味での右派のジレンマは分かる反面、やはりリベラルが反日とかそういうわけではなく、単にネトウヨさんの頭の中が偏向しているというのが、私の結論です。
(個人的には改憲派で、その文脈での憲法尊重です)
ネトウヨさんは新聞やメディアに比べて、暴論が多すぎる。
あの周辺の幼稚な連中は無視して、メディアの構造的な問題を指摘する人の言論を見ます。
百田尚樹氏の批判した電波利権
http://agora-web.jp/archives/1646604.html
池田信夫氏のブログ。
記事で引用されている東京新聞の内容。
たしか6月26日の2面だったと思います。
26日あたりの数日は、言論統制問題への各紙の対応を確認すべく、5つの全国紙と2つの地方紙(読売、朝日、日経、毎日、産経、東京、神奈川)を全て確認してましたが、電波利権に関することは東京新聞だけが記していたように記憶しています。
ただし東京新聞もさらりと触れているだけで、池田氏の様に指摘をする人がいないと、うっかり見逃してしまいます。
(事実、私は目で追って記憶の底に入れてはいたが、池田氏のような留意の仕方はしなかった)
全国紙は、ここの部分を意図的に伏せてますね。
TV局と系列化しているため、新聞社自身が利権当事者であり、触れないでおきたいところだから。
池田氏以外にもうひとつ、ビデオニュースも。
言論への圧力を跳ね返すためには
メディアは自らを律しなくてはならない
http://www.videonews.com/commentary/150704-01/
50分ほどの動画だが、見る価値は大。
池田氏と同じく東京新聞の記事を引用しながら電波利権に触れ、その他のメディアの問題(再販・クロスオーナーシップなど)も論じています。
また、沖縄2紙から見たら本土のメディアのほうが偏向しているとの説明も、ネトウヨ的視点とは逆で面白い。
(ここについては、私はどちらが正解か判断不能。 ただし一面的に見ず相対化する意義はある)
もうひとつ、池田信夫氏のブログ。
「言論統制」は日本中でいつも行なわれている
http://agora-web.jp/archives/1647281.html
週刊文春、週刊新潮が作家タブーのため、百田氏を批判しないことについて。
リテラなども、よく指摘する内容。
極端な左のリテラと、池田信夫しのような右派(ただし宗教右派的なイデオロギーは見られない)が同じことを言ってるという点では興味深い。
文春と新潮は、百田氏との関係でかなり世間的評価を下げましたね。
ただし文春に関しては、芸能プロダクションの利権に絡め取られておらずフリーに批判できる面があると、立花孝志氏などは評価しています。
芸能関係では、サイゾー系や紙の爆弾も頑張ってるので、私は文春の存在意義は薄いと思いますが…。
何れにせよ、どこのメディアが何を批判対象にしており、逆に何が批判しづらい構造になっているのか…。
それを把握し、裏を想像しながら眺めて行かないと、発信者の思惑に踊らされるだけで終わりです。
自戒も込めて、自分なりにリテラシーを養っていきたいところです。