Yahooニュースから2つ。
広島の平和祈念式典 安倍首相の挨拶が前年と酷似との批判。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140808-00000125-jij-pol
長崎原爆の日、翌日生まれた方の話。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140809-00000016-mai-soci
唖然。
純粋に祈ること、一時でもみんなで共通項をもって寄り添うことができないのでしょうか。
広島、長崎の悲劇があってもそれを成し得ない日本という国に、非常に情けないものを感じます。
1つ目の記事は、揚げ足取り。批判のための批判です。
スピーチが変わらなければ、同じ誓いを繰り返してるだけですが何故攻撃するのでしょう。
教会で聖書を読んだり、寺でお経をあげたり、似たような説法をしたり、
過去と同じようなこと、型にはまった行動に対して、いちいち批判するほうがおかしい。
そして、世の中の変化に応じて変える部分は変える。
要は、みんなで心をひとつにして祈る事が大事。
祈るときは祈る。
これは常識であって、被害者の会だから何でも文句を言えると考える事は、完全にお門違いです。
2つ目の記事は、プロパガンダです。
途中までは手記なのですが、最後の段落に政治的なメッセージが含まれています。
しかも、議論が分かれる政治的な内容です。
平和については誰もが一致しますが、集団的自衛権については意見が分かれます。
広島、長崎の方の貴重な体験を語り継ぐことと、
政治的なプロパガンダにすることは違います。
そこを混同されていると、聞き手としては非常に困ります。
政治運動になっている時点で異論は必ずつき、論争になります。
その時点でもはや、平和的な運動から一歩遠ざかっています。
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祈りは(個人的に祈ることもできますが)
能力や思想の差に関係なく、黙って静かに共有できる点で、非常に大切なツールです。
慰霊と平和であれば、そこに反論がつくはずはありません。
平和を語るなら、まず一時でも自分たちが、静かに体現すべきです。
その時、その場所に、わざわざ対立する意見を持ち込んで場を荒らすことは
純粋な祈りへの冒涜であり、平和への冒涜行為になります。
ある程度、型通りのスピーチ。
意見が別れ、分裂を促進する内容は削除。
みんなで祈りを行う際の、単純な知恵ではないでしょうか。