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遊び心

日々の生活や遊び、世の中の動きについて思ったことをとりとめもなく書いていこうと思います。

その頃はすごいいろんな事件が社会的にも個人的にも起きていたっけ。

さかのぼること2~3年前、アメリカの大学に行っていた僕は、日本で就職しようと思い、卒業と就職活動も兼ねてその大学の日本分校でしようと、東京に戻ってきた。

夜、その当時つきあっていた彼女に電話で起こされたのは、奥尻島の地震のため。
そのとき引っ越してきたばかりの僕のアパートにあったテレビは、14インチにも満たないサイズで、スイッチをつけて5分もすると画面が画期的な色になるもので、いったい何がおきているのか理解出来なかったことを覚えている。

その後、LA郊外のとある会社に就職が決まり、ルンルンしていたらノースリッジ大震災。
自分が働く予定だったオフィスがこのノースリッジだったもんで、大慌てだったが、どうにか働く事は出来た。

そこで働いている間におきたのが、阪神淡路大震災、松本サリン事件、そして東京の地下鉄サリン事件だった。

就職先では、「僕が東京にいるときに故郷で大地震があった。同じく東京にいるときにここ(LA)でも地震があった。僕は地震を体験してもおかしくなかったのに、僕がいるところで地震は起きない。だから僕が働いている間はここで大震災は起きない」などと豪語していた。笑

阪神淡路大震災の時は、職場で一緒だった台湾系アメリカ人の彼女の友人が神戸に住んでいて、連絡が取れないのだけれどなにかわからないか?とかどうしたらいい?とか聞かれたけれど、フジTV系列の日本人向け放送で、死亡者リストをFAX受信出来るサービスの案内があったので、「このリストに名前がなければ生きているということだ」とその番号を教えてあげる事しか出来なかった。

震災のニュースが一段落した頃、松本市で不可解な事件が起きたと一報が入ってきた。
それなりの広さのエリアで原因不明の何かにより人が倒れたらしい。
僕はその第一報を見たとき、直感的にこれは次に東京で何かがおきる序章だろうと思った記憶がある。

そしてこの地下鉄サリン事件だ。

たまたま国際電話で話した友人が、TVを見ながら「今、警察官が鳥かごを持ってオウムに突入するところだよ」と言うので、「オームを連れてどこに突入するの?」と頓珍漢な返答をマジでしてしまったら、その友人は「そうそう警察がオームを鳥かごに入れてさぁ・・・」と僕がわざとボケているんだと思ったようだった。

あれから紆余曲折があり、今は北海道で暮らしているけれど、アメリカでの生活がもう15年も彼方に行ってしまったのかと改めて実感させられるニュースだった。
こんにち当然のように使われているこの『○○ですかねぇ?』っていう言葉。
異様な違和感を感じるのは俺だけだろうか?

これ、使っている本人は丁寧な言い回しをしているつもりなんだと思うのだが、“かねぇ”は決して丁寧ではないと思うのだ。

丁寧な言い回しをしたいのなら、『○○でしょうか?』『○○なのでしょうか?』のほうが丁寧だと思うのだ。

となると問題となるこの“かねぇ”で、こいつを引っ付けたとたんにそのセンテンスが丁寧でもなんでもなく聞こえるというのは、“かね”が目上の人に対し使ったり、相手を敬うときに言葉ではないからなのではないだろうか?

どうもこの表現はフォーマル+インフォーマルな感じで、ファッションならブレザーにスエットを組み合わせているようにダサく感じる。

テレビを見ていても、フジのナカミーなんかのように頭の足りなさそうなアナウンサーとか芸能ゴシップネタをおかっけることしか能のないレポーターなんかがよく使っている。
メディアが垂れ流せば、一般国民も使うのは明白で、こんなことを言っている自分自身がうっかり使ってしまうのだからどうしようもない。

学問としての国語には疎いので、この俺の主張は国語的に正しいのか、単なる言いがかりなのか・・・
で、こんなサイトを見つけた。

どうやら、相手の同意を求めるような表現が混ざっているということで、つまり日本人の責任を負いたくない、曖昧にしたいという、“逃げ”の姿勢のなせる業という側面が見えてきた。

まぁ、英語の表現だって、最近は“I”ではなく“We”を使うことが多く、これは責任を自分ひとりで負いたくはないという姿勢の表れなのだと、何かの文献で読んだことがある。

それにしても、質問のセンテンスでまで責任逃れの姿勢とは、一体全体どういうことだろうか・・・。


「全然OK」とかいう“全然”+肯定語がはやりだしたのは僕が高校の頃。
それまで全然の後には否定語が来るものと思っていた僕は、「全然OK」「全然おいしい」なんて言葉にとてつもない違和感を覚えていたが、今は時折自分でも使っているし、かつてのような違和感を覚える事もなくなった。

しばらくしたら、この「ですかねぇ」にも慣れて行くんだろうか・・・
どうなんでしょうかねぇ。

・・・・あぁ~自分で書いてイラッとするぅ~!゛(`ヘ´#)
日曜日の行程はすべて洞爺財田自然体験ハウス(体験センター)で楽しむ事に。

午前中は自分たちの昼食作り。
メニューはうどん打ち体験とダッチオーブンクッキング体験。
そうなのです。
すべては体験プログラムなのです。

メンバーの一人で、体験センターの職員でもあるS氏がインストラクターとなり、まずはうどん打ちを体験。
使用するうどん粉は京極の名店、野々傘が使用しているものを使わせてもらっているのだとか。

作業工程を説明してもらいながら、なれない手つきで作り始めるメンバー。
2班に分かれて、役割を交代しながら作る。
酒が残っているせいか、今ひとつみんなのノリが悪い。
T氏脱落。復活は昼飯頃となった。

うどんを寝かせている間にダッチオーブンクッキング。
極力、洞爺湖界隈で集めた野菜(集めきれなかったものは北海道産で)や鶏肉を適当にざく切りにし、オーブンの中に詰めて、ホールトマトを入れるだけ。
食材をつめた鉄鍋をよく火をおこした炭の中にドンと放置。

40分程度寝かしたうどんを切るわけだが、これがうまくいかない。
気がつけばとてつもなく太い、まるで長いニョッキのようなうどんの出来上がりとなってしまった。

一方、ダッチオーブンはなかなかいい感じに完成。
$遊び心-ダッチオーブン体験

うどん打ち体験の画像は・・・それどころでありませんでした。笑

ゆでて水にさらしたうどんとダッチオーブンの中身を人数分に取り分けて、ちょうどお昼時。
おいしくいただきました。

全員完食して、ちょっとまったりした頃、スノーシューで外を散策する事に。
北海道とはいえ、もう春が近いこともあり、スノーシューでなくとも散策出来るような状態だったけれど、普通に歩くのとスノーシューをつけるのでは大違い。
ちょっとペンギンの行進にも似た覚束なさでゆっくり歩くメンバーの姿はなかなか微笑ましいものだった。
$遊び心-スノーシュー体験

湖畔を少し歩き、再び施設の前まで戻ってきたとき、昨日見学したビエンナーレの彫刻にならい、小さな雪像を造ろうという事になった。

仲間内では、まだどの雪像が誰の手によるものか明かされていないので、ここでも画像を掲載するのみにとどめておこう。
3名1チームで3チーム作り、それぞれに取り組んだのがこの3作品。

遊び心-鼻炎な~れ3

遊び心-鼻炎な~れ2

遊び心-鼻炎な~れ1

こんなことをして遊んでいるうちに時間はあっというまに過ぎ、解散のとき。

それぞれに洞爺湖観光の新たな、そしてものすごく素敵な側面を見つけ体験した喜びを胸に帰路についた。

たぶん参加した多くのメンバーが洞爺湖観光はまだまだどうにでも出来る!という実感を得たであろう。企画報告会が楽しみである。

おわり
引き続き宴会である。
太鼓が終わり、陸船長も帰り、農業研究員にしてワインばか一代のM氏が眠りにつき、気がつけば相部屋のE氏も部屋に戻り、いよいよもってあちらこちらで熱い想いが噴火前のマグマのように余震となってエネルギー放出をはじめていた。

私は洞爺湖町の観光協会の方々と歓談。

周りを見ればメンバー同士で膝を突き合わせているところ、洞爺湖町の方々と盛り上がっているところと様々だ。
そのときT氏と目が合った。
T氏とその横にいたK氏(?)が手招きをする。
あまりに激しく手招きするのでそちらに移動すると、そこはまるで武市半平太率いる土佐勤王党か?突っ込みたくなる熱気。
T氏は恰幅もよく、声にも張りが有るのでなかなかの迫力だ。
まぁ、彼には彼のそこに至る想いがあるのだろうが、それを明快に説明出来るだけシラフではなかったし、例えしっかりと説明してもらえたとしても、その説明を理解出来るほど私もシラフではなかったと思う。笑

なんだかよくわからないが握手をして、一緒にやるぞぉ~!と雄叫びをあげたところあたりでそろそろお開きということになったのではないだろうか。

その後、そこに残った一同で乾杯。
風呂に向かう者は向かい、私は同室のK氏に促されるまま部屋で飲み続ける事になり、I氏がつきあってくれ、先に就寝したM氏が起床時間となり(02:00)、そのまま顔を出してくれたりしながら飲み続けた。
途中、風呂ビールを実行に移すべく、缶ビールを買って風呂に入り、戻ってきてはまた飲み直し・・・と、とうとう3時になり、K氏が一瞬気を失ったところでお開きとなった。

翌朝、9時出発とのことで、8時に起床し朝食をとった。
さわやかな顔をしている人、そうでない人のコントラストが面白かったが、実は私もどちらかというとそうでない方であった。

定刻通り宿を出発し、体験センターへ向かう。
実は今回の洞爺体験はここからがハイライトだったのだ。

つづく
17時を少し過ぎたところでお宿&宴会場となる大和旅館へ到着。
雪が舞い降り始めてきた。

この日はわざわざ半貸し切り状態で我々を迎え入れてくれた。

部屋割りはチェックイン時のくじ引きで決まった。
ルームメイトは、この後絶好調の頂へまっしぐらに登り詰めることになるK氏と、翌朝早々に仕事へ向かうことになっていたE氏。

18時から宴が始まるとのことで、全員早々に入浴をすませる。
露天風呂はなく、缶ビールを持ち込めるのは日帰り客がいなくなる22時以降ならOKということでだったが、同じ洞爺湖畔の温泉街でも湯元から近いか遠いか等の理由でお湯の感じが違ってくるらしく、かなり大和旅館エンスーがいるようだった。

18時を少し過ぎたところでいよいよ宴の始まり。
食事内容の画像はどこへやら。
ひたすら飲み食う。
19時半頃から地元の方々が懇親にいらっしゃるとのことだったが、18時半頃からボチボチやって来始めていた。
見ず知らずの人々と速攻打ち解ける能力を持ったセミナー修了生は、さっそく座布団をわたし、ついでにビールも渡す。
あっという間にごく自然な宴会集団として人々を飲み込み増幅してゆく。

♪いろいろな人と金が入り乱れていつか混ざり合えるの~♪
さすがに金は混ざり合ってはいなかったが、ロビーでくつろいでいた陸船長ご一行様まで宴会に引き込んだところで、アフリカンドラムが打ち鳴らされた。



さすがに大西ライオンは出てこないが、モンダ~イ ナイサァ~!とひたすら歌うのである。




陸船長ご一行は「とんでもないところにつれてこられたもんだぁ~」としばし戸惑っていたが、結果的にご一行の中のおばさま達がノリノリになり、これまたブラックホールのようにすべてを飲み込みながら増長し続ける宴会集団に飲み込まれて行った。